第23巻 表紙絵妄想「あー、楽しかったですねえ」 「そうですね、里乃さんに感謝しなくちゃ」 ちりりと虫が鳴く暗い夜道を、総司と清三郎は並んで歩いていた。 里乃は正一を引き取り、二人で手を取り合うように寄り添いあって暮らしていた。近所の長屋の人たちも、歳の割にはしっかりしすぎているが やんちゃな面を持つ正一と、てきぱきと小気味よく動き、誰にでも愛想を欠かさない里乃に非常によくしてくれていた。 ある日、二軒隣の子沢山の夫婦が里乃に“たまには里乃さんも一人で羽伸ばしなよ”と言って、正一を一晩預かってくれることになった。 正一はそこの三人目の男の子と同年でいつも仲良く遊んでいたので、喜んで泊まりに行くことを了承した。 里乃は恐縮しつつ、くれぐれもよろしくと言って正一を預けることにした。 さて、突然一人になり何をしようかと里乃は考え込んだ。 裁縫も洗濯も掃除も、いつもまめにしているから特にやらねばならぬことはない。 自分用のちょっとしたものを買いに行くと言っても普段の生活の中で買いに行けるものばかりだし、何かおいしいものでも食べようかと言う気も 起きない。それは一人きりよりも正一と一緒のほうが楽しいからだ。 「ああ」 ぽんと里乃は手を叩いた。 正一がいない間にしか出来ないこと。 「おセイちゃんと沖田はん呼んだろ」 里乃はそう言うと立ち上がり、鏡台の前に座って化粧を直し始めた。 「よし」 午前中の家事で崩れたところをちょこちょこと直すと、里乃は屯所へと向かった。 おセイちゃんは沖田センセのことが好きだけど、きっと屯所では男の振りして気持ち隠して気張ってるはずや。 二人してうちんとこ来て、女子に戻るわけでもないけども必要以上に男の振りせんでええようにするといいわ。 別にそれでどうというつもりもない。 二人の距離が縮まればいいとか沖田が少しでもセイに女子として興味を持ってもらいたいなど思ってもいない。 ただ二人が新選組の枠を離れて、ごく普通の沖田総司と神谷清三郎、あるいは富永セイとしてひと時を過ごしてくれれば、と里乃は思ったのである。 (そりゃあ、沖田センセの野暮天が治ればええに越したことはあらへんけどな) ぴたりと足を止め、里乃は天を仰いだ。 暦の上では秋だが、まだまだ灼熱の日差しが下りてくる、青く澄んだ高い空。 (ま、そのことはお天道様にお任せするよりないわ) 里乃は一人苦笑いをして、汗を拭きつつ道を急いだ。 午前中の巡察を終え、続けて非番に入った総司と清三郎は、一も二も無く里乃の元へ遊びに行った。 急な思いつきだったので里乃は帰りがけに食材を買い求めて、簡単な料理を二人に振舞った。 素材の旨みを大切にした料理と、二人の何気ない会話に合いの手を入れて場を華やかにする里乃の話術。 総司も清三郎も気を緩めて充分にその場を楽しんだ。 「ほな、またな」 「里乃さん、ありがとうございました」 「ありがとう、近々また」 日が暮れ、茶を飲んで一服したところで総司と清三郎は里乃の元を辞した。 二人は暗く静かな道を歩いていった。 昼間の暑さはやや引いたが、変わらず汗は出てくる。 道端の草陰から虫が涼やかに鳴くのがせめてもの風情だ。 「沖田先生、見ましたか?」 「ええ」 それまで黙っていた清三郎が口を切った。 総司も隣で頷いた。 「あれ、山南さんをお迎えするための・・・」 そこまで言うと、清三郎はぐっと拳を握り締めた。 里乃の家の片隅には仏壇があり、正一の両親の位牌と共に、山南の位牌が収められていた。 仏壇の前には魂祭、つまり盆の用意がなされていた。桃、柿、梨、みそはぎ、粟穂、きび穂、稲穂、枝栗などが蓮葉の敷かれた四角い折敷の上に飾られており、 畳の上には迎え火用の苧柄が紐で括られて横たわっていた。 「早いものですね・・・」 「そうですね・・・」 虫の音と二人の足音しか聞こえない空間に、総司と清三郎の声は吸い込まれていく。 「新盆・・・ですか・・・」 山南が旅立ってから初めての盆。 里乃はきちんと準備していた。彼の魂が帰ってくるための。 思い思われ結ばれた相手。 幸せだった日々。 突然やってきた別れの瞬間。 里乃はどれほど傷つき、涙を流し、打ちひしがれたことだろう。 いや、言葉などでは足りないほどに、暗い闇の中を彷徨ったはずだ。 そこに差した、正一という微かな光を抱いて、里乃はここまで生きてきた。 正一に、儚く死んでいくことは山南が教え、強く生きていくことは自分が教えると。 こうして無事に新盆を迎えることを、里乃はどう思っているのだろうか。 ざ、ざ、と。 土の上を自分たちの草鞋が擦る音だけが聞こえる。 急に総司が足を止めた。 「沖田先生?」 清三郎も隣で反応して止まる。 「神谷さん、ご覧なさい」 そう言って総司は上を向いた。 清三郎も天を振り仰ぐとそこには。 空を白銀に埋め尽くす、星、星、星。 砂粒のように細かい星々の合間に一際輝く大きな星がいくつも存在している。 「わ・・・」 清三郎は思わず声を上げた。今の今まで暗い地面を見つめて歩いてきたので、夜空の光が殊更に煌々と感じられた。 「すごいですねえ。いつもは意識してみたことなかったけど」 総司が柔らかな笑顔で言う。 「はい・・・」 清三郎も自然と笑顔になった。 「あれでしたっけ?牽牛星って」 総司が空の一点を指差した。 「そうですよ。あの反対側のが織女星です」 清三郎は総司が差した星の少し先を辿る。 「今年はお天気だから会えましたよね、きっと」 清三郎は七夕の話を思い出した。晴れていれば織姫と彦星は天の川を渡り、一年に一度の逢瀬を実現できる。数日前の七夕は晴れていたから、 きっと今年は会うことが出来ただろうと思った。 「そうですね、きっと」 総司も相槌を打った。 「・・・山南さんとも会えればいいのに」 清三郎が空を見上げたまま言った。 「え?」 「一年に一度くらい、里乃さんと山南さんが会えればいいのに、って」 総司の問いかけに、清三郎はゆっくりと振り返りながら答えた。 織姫と彦星が年に一度会えるように、里乃と山南もそうであったら、と。 その清三郎の表情がせつなくて、総司は一瞬言葉を失った。 総司は手を伸ばした。 そして清三郎の手を握った。 何をどう言ったらいいのかわからないけれど、とにかく手を握ってやりたかった。 ぎゅっと力を込め、黙ってただそうした。 「沖田先生・・・?」 清三郎は驚いた。 急にどうしたのだろう、手を握るなんて。 「きっと、会えますよ」 総司は空を見上げたまま言った。 「迎え火に誘われて山南さんの魂が今生に下りてきた時に、きっと」 明日の夜辺りに焚かれるであろう迎え火は、魂が戻ってくるための道しるべである。 薄い煙と赤い炎を囲む里乃と正一の元へ、山南は真っ直ぐに戻ってくるのであろう。 「はい」 清三郎は総司の横顔を見ながら力強く頷いた。 きっと山南は帰ってくる。彼を待つ二人の元へと。 見えなくても、そこにいなくても、二人はきっと笑って言うのだろう。 「山南はん、おかえり」 と。 二人はしばらく手をつないだまま歩いた。 頭上に無数の星の光を頂きながら。 そして屯所の影が見える辺りで、どちらからともなく手を離した。 七夕から程なくして行われる盆の迎え火。 消えていった愛するものの魂を迎えながら、生きているものは思い出す。 かの人がいなくなった寂しさを。 あたたかい人の温もりを。 生きていることの喜びを。 |