久遠の空 表紙絵妄想第22巻

第22巻 表紙絵妄想



「本当にありがとうございました」
とその青年は何度も二人に頭を下げた。
その手には短く切られた柳の枝があった。
「いいえ、それよりも旅のご無事を」
「気をつけてくださいねー!」
鮮やかな浅黄色の羽織の袖をはためかせ、総司とセイは手を振った。
それに応えるように相手も大きく手を振り返した。
相手を乗せた船がゆっくりと岸を離れ、喫水線が上下する。
ふたりは船影が消えるまで見送っていた。



事の起こりはこうだ。
大坂商人の跡取息子が、初めて一人で商品の仕入れにやってきた。
父親と何度か来て仕入れをしていたので手順はわかっていた。
船に荷を積み込み、あとはもう船を出すだけで、
岸に座って一服していたところをタチの悪い連中にからまれた。

からんできた連中は酔っ払っていた。
「テメェ京のもんじゃねえな」
「デカい顔してフカしてんじゃねえぞコラ」
「他所もんが」
跡取息子は男としては華奢で、見るからにケンカには弱そうな風体。
ようするにいかもにおとなしそうな感じの野郎をちょっと脅して金をせびり取り、
今夜の酒代にしようという魂胆が見え見えだった。

跡取息子がおろおろとしているところへ巡察中の一番隊が現れ、
タチの悪い男どもをあっけなく追い払った。

他の隊士たちは巡察を続け、総司とセイは跡取息子と少し話していた。
会話中の発音から総司たちが関東の者だと分かると、
跡取息子は自分も関東から来て大坂の商家に養子として入ったのだと洩らした。

「いやー、久しぶりに江戸言葉の方々とお話しましたよ」
彼は嬉しそうにはにかんだ。
「さっきの酔っ払いたちも江戸言葉みたいでしたけど・・・」
セイは苦笑した。
多分江戸で食い詰めて京へ流れたきたのだろう。
だが京に来てもロクに仕事も出来ず、あんなことで糊口を凌いでいると思われる。
ふらふらと歩いているところへ耳慣れた江戸の発音が聞こえてきて、
その声の持ち主がしっかりと仕事をしているところが目に入った。
自分たちはこんな暮らしをしているのに。
そういった妬みもあったに違いない。

「義父も義母もよくしてくれますけど、時々無性に実家が恋しくなりましてね」
そんなことを言っては罰が当たりますよね、と跡取息子は申し訳なさそうに言った。

「・・・うらやましいな、そういうの」
セイがぽつりと言った。
「え?」
跡取息子が聞き返した。
「あ、いえ、私の親兄弟はもう皆他界してしまったものですから」

そう、生きていれば、相手が生きてさえいてくれれば、どんなに心配だろうと
恋しく思う事が出来る。元気だろうかと思いを馳せる事が出来る。
しかしもうこの世のものでない場合、呼べど叫べど相手は目の前に現れてはくれないのだ。
その姿を思い描き、どんな生活をしているだろうかと想像することさえ許されない。

「す、すみません、そんなこととは露知らず・・・」
跡取息子はすまない思いでいっぱいになった。
「とんでもないです、私こそそんなつもりじゃ・・・」
セイは跡取息子の肩に手をおいて顔を上げさせた。
「確かに今の私にはもう肉親はいません。でも、生きる場所があるんです」
そう言って爽やかに笑った。
その目の奥には、生きるために何をか見据えた揺るぎない光が宿っていた。
跡取息子もセイの目を見て、一呼吸おいてふっと笑みを見せた。



「ではそろそろお暇いたします」
跡取息子は、商人然とした態度で頭を下げた。
「あ、ちょっと待ってください」
セイが小刀を抜いて、川岸の柳の枝を切った。
「父が言ってたんですが、古来清国では柳の枝を道中の安全を願って
渡すと言う習慣があったそうです。もしよかったら」
「・・・ありがとうございます」
跡取息子は嬉しそうに笑って受け取った。
そして船に乗り込み、再び挨拶を交わして出航していった。


船の姿が次第に小さくなっていく。

手を振るセイの横顔を、総司はじっと見ていた。
強くなったな、と総司は思った。
先ほど総司は黙って二人のやり取りを聞いていた。
セイの言葉に陰りが見えたとき、口を出そうか一瞬迷った。
しかし、セイは自らその影を振り払い、目に光を宿した。
以前はいちいち慰めたり励ましたりしていたはずなのに。
今のセイは己の道をしっかりと踏みしめている。

生きる場所がある、と彼女は言った。
もちろんそれは新選組のことであろう。

自分にとってもそれは同じだ。
しかし、自分にはもうひとつそうだと言えるものがある。
先日図らずも自分の想いを自覚してしまった。
武士であるために永遠に封印したはずの想い。
それを向ける相手が、この目の前にいる。
しかも、眩しいほど精神的に目覚しい成長を遂げて。

「じゃあ私たちもそろそろ行きましょうか」
総司はセイを促した。
もう船の姿は水の彼方に消えていた。
「はい、もう巡察終わっちゃいましたかね?」
セイは振っていた手を下げた。
「何事もなければそろそろ・・・」
と総司が言いかけたとき、遠くから呼子の音が聞こえてきた。

総司とセイの背中に、同時に緊張が走った。
「行きましょう神谷さん」
「はい!」

愛しいけれども、負けられない相手。
その相手と共に今を駆け抜けていきたい。


それが私の生きる場所。










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