久遠の空 表紙絵妄想第9巻

第9巻 表紙絵妄想



「じゃあな、おセイちゃん」
明里が清三郎の手に自分の手をそっと重ねた。
「いつもありがとう明里さん」
「今回は重いみたいで大変そうやけど、
無理したらあかんえ」
毎月、生理のたびに駆け込む遊女の明里の部屋。
兄の愛した女性という奇妙な繋がりではあるけれど、
女子の身でありながら新選組に属する自分の
数少ない理解者である。

三日間の居続けで体を休め、
心も休めて休養する。
隊務もさることながら、己の身上を隠しとおさねば
ならない清三郎の、唯一の安らぎの場であった。
しかし、ここにいられるのは三日だけ。
どんなことがあろうと、それ以上は許されない。
そう、たとえ生理が重くても。
「うん、なんとか」
清三郎は弱弱しく微笑んだ。
「もう行かなきゃ」
立ち上がり、腰に二本を差す。
そこへ、明里の禿(かむろ)であるお志津が入ってきた。
「神谷はん、お客さんやで」
お志津はにこっと笑って言った。
「私に?」
「うん、誰やと思う?」
下からいたずらっぽい目つきで見上げて、
「お・き・た・は・ん」
とお志津は告げた。

店の外へ出ると、本当に総司が立っていた。
「沖田先生、どうしてここに」
下駄をつっかけて、清三郎は転がるように外へ出た。
「あ、いえ、そろそろ神谷さんが戻ってくるころかなぁと
思って、迎えにきたんですよ」
照れくさそうに頭を掻いて、総司は言った。

「あ、ありがとう…ございます…」
私のためにわざわざ来てくれたんだろうか。
嬉しい。

ぽっと赤くなって俯いた瞬間、店の二階の格子窓から
声がした。
「沖田はん!」
明里と同じ店の、小花だった。
総司が島原に行く時、相手に選ぶ遊女。
と言っても、行為には及ばずただ泊まっていくだけ。
それだけの関係。
だが、今の小花の呼ぶ声に何か別なものを感じて、
総司ともども清三郎は格子窓を仰ぎ見た。
「ありがとう、沖田はん。これ…」
小花は手に紙切れを握っていた。
嬉しそうな、でも泣きそうな顔で。
清三郎は総司を見た。
総司は小花の様子を見て微笑んだ。
「いいえ、どういたしまして」
軽く手を振ると、じゃあ神谷さん行きましょうかと
清三郎を促して、総司は歩き出した。

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「昨日はね、一番隊に急遽出動命令が出たんですよ」
春の陽気を浴びながら、総司は清三郎に言った。
「ええっ、そうだったんですか」
びっくりして総司を見た。
自分のいないときに。
申し訳ありません、と頭を下げる清三郎。
いいんですよ、他にもいなかった人いますから、と
総司は言って、その出動の一部始終を語り始めた。
でも、清三郎は上の空だった。
先ほどの小花の姿が頭から離れない。
沖田先生はいったい何を渡したんだろうか。
小花さんがあんな顔するなんて。
「神谷さん?どうしました?」
総司が声をかけても、聞いているのやら。
「見てください神谷さん、ほら、桜が満開ですよ。
少し休みましょうか」

清三郎の様子を見て、総司は座ることを提案した。
ふたりで川のほとりに腰を下ろす。
そう、そこには春を象徴する満開の桜。
気がつけば、春の香りが暖かく漂っていた。

うららかな桜色の午後。
大好きな総司との、ふたりきりのひととき。
普段なら幸せで顔が緩んでしまうものなのに、
今の清三郎には拷問に等しい時間だった。

下半身にある違和感。
小花の態度。
いまだに昨日の捕り物の話を続ける総司が、
いまはただ鬱陶しい。
目の前に広がる川の水面がぼやけてみえる。

「…だったんですよ、だから屯所に帰ってから土方さんに…
神谷さん、聞いてます?」
いつまでたっても下を向いている清三郎を、
総司は覗き込んだ。
「お馬で辛いのかもしれませんけど、
隊務には戻らなきゃいけませんよ」
総司は厳しいけれども、本当のことを言った。
わかってます、そんなこと。
きちんと隊務にはつきます。
「どうしたんですか、いつもなら屯所に
戻ってきたときは嬉しそうにしているのに」
清三郎の行動が読めずに、総司は軽く
溜息をついた。

この野暮天。
まったくわかってないんだから。
清三郎はのろのろと顔を上げた。

「…おきたせんせい」
「なんですか?」

どきどきと、心臓が音を立てる。
ずっと黙っていたため、口を開くのが難しい。

「あの、さっき…」

そんなこと関係ないでしょう、と言われるのが怖い。

「小花さんに…」

秘密の手紙の中身を、知りたい。
でも知りたくない。

「な、何を、渡したんですか」

どもりながらも出てしまった言葉に、
心臓がひときわ大きな音をたてて、
全身から冷や汗が吹き出た。
思わず顔をまた伏せてしまった。

「…あぁ、あれですか」
わずかに間を空けて、総司が答えた。
「あれはですねー、小花さんに
届けて欲しいって手紙を預かったんですよ。
それをちょうど店の入り口にいたお志津ちゃんに
お願いしたんですよ」

…本当に?
開けられた間が気になる。
あれはですねーって、伸ばされた語尾が気になる。
だいたい、そんな手紙をどうして沖田先生が
届けなくちゃいけないんですか。
次々に沸いてくる懐疑心、嫉妬心。
清三郎はますます顔を上げられなくなってしまった。

その様をずっと見ていた総司は、
今度は少し長めの溜息をついた。
「神谷さん、いつまでそうしているんですか。
そんな俯いてばかりの武士などいませんよ」

…野暮天、野暮天。

「先に戻ります」
総司の立ち上がる気配。

「あ…」
待ってください、沖田先生。
嫌だ、置いていかれたくない。

後に続こうとして清三郎は急いで立ち上がった。
だが、それが悪かった。
もともと生理が重かった上に、勢いよく体を立てて
振り向いてしまったので、くらりとした清三郎の体は
川の水面へ大きく傾いた。
「わわわっ!」
「神谷さん!」
清三郎の慌てる声に、総司は瞬間的に振り向いた。
隊服の背中をはっしと掴む。
ぐいっと、落ちようとする方向の反対に引っ張られた体。
その力が思ったよりも強くて、清三郎の体は
真後ろに倒れこんだ。

どさっ。
「いったー…」
声を出したのは清三郎ではなく。
倒れこんだ体の下敷きになった総司のほうだった。

総司が下で、清三郎が上で。
ふたりとも青い空を見上げて、重なって仰向けに転んでいた。

薄紅の花びら。

雲ひとつない青空。

暖かく頬をなでる風。

土と草の感触。

そして、大好きな人のぬくもり。

「…ぷっ」
清三郎は噴き出した。
突然笑い出した清三郎に、総司はびっくりした。
「何ですか神谷さん。さっきまではあんなに…」
「ご、ごめんなさい先生」

ああ、なんかもういいや。
悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった。
私は、武士でありたいと願って新選組に来たんだ。
それを近くで、好きな人が支えていてくれる。
それだけで。
それだけで。
私、幸せなんだ。









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