久遠の空 二次小説 サーキットの狼たち FINAL LAP 2


 サーキットは騒然となった。
 斎藤がフリー走行直後に腹痛で動けなくなり、2戦目の沖田同様、体調不良に付きグランプリを欠場することになったのだ。



 その夕方、ニュースのスポーツコーナーはこの話題一色となった。
 「F1で現在ドライバーズポイント3位のMibroレーシング・斎藤一が腹痛で倒れ・・・


サードドライバーの神谷セイが代理出走する模様です」




 その夜、Mibroのモーターホーム。
 首脳陣、ドライバー、ピットクルーが全員集まり、ミーティングを開いた。
 「・・・」
 居心地が悪そうにしているのは神谷セイである。
 「明日は予選だ。タイムスケジュールについては先ほど配り直した予定表通りだ」
 土方がホチキスで留められた書類を軽く上げ、皆に示した。そして明日の予定を読み上げて全員に確認した。
 「残りはあと3戦。コンスタラクターズポイントは今回勝てば決まる。だが、ドライバーの方は最終戦までもつれるだろう。絶対に負けるわけにはいかん。 今までの健闘を無駄にしないためにも、全員が全力で戦ってくれ!」
 近藤が机を拳で叩いて気合を入れる。その場の全員が揃って返事をした。

 「以上だ。質問は」
 土方がぐるりと皆の顔を見渡しながら言った。
 「あ、あの・・・」
 おずおずとセイは手を上げた。
 「神谷」
 「斎藤先輩は・・・」
 「斎藤は今、医務室で休んでいる。レースには出場しない。テメェはレースのことだけ心配しろ」
 土方が冷ややかに言った。

 やはり自分が出場するのだろうか。
 「でも、あの、私」
 「グダグダうるせえぞ、大体もうエントリーシートは総司とテメェの名前で出しちまってるんだ、腹くくっとけ」
 金曜日の夜に提出しなければならない本選のドライバーエントリー。土方はそのコピーをセイに手渡した。
 それに名を書かれた各チームふたり、総勢22人だけがコースを走る事を許される。
 沖田の名前の隣に“Sei Kamiya”と書かれた自分の名を、他人の物のように遠く感じた。
 「では明日の朝、集合時間には遅れないように。解散!」
 近藤の言葉でミーティングは終了した。

 「神谷さん、一緒に帰りましょう」
 エントリーシートを土方に返したセイは、沖田に付き添われて宿泊先のホテルへ戻った。
 帰る道々、レースに関する心構えをいろいろと諭されるに違いない。
 土方はエントリーシートをクリアファイルに入れてカバンに突っ込み、医務室へと歩いていった。


 蛍光灯に白く照らされた床を歩き、サーキット内の医務室へと向かう。
 小さな曇りガラスのはめ込まれたドアをノックすると、「どうぞ」という声が聞こえた。
 「失礼します」
 と土方は断り、中に入ってドアを閉めた。
 「よォ、土方」
 ぐるりと椅子を回して土方を迎えたのは、今大会の医療責任者・松本良順だった。
 「先生、斎藤の様子は」
 土方は進められた丸椅子に腰掛けながら聞いた。
 「痛いとしか言わねぇよ。斎藤と話があるんだろ、俺は席を外すぜ」
 知った顔で松本は立ち上がり、土方の肩をポンと叩くと医務室を出て行った。


 カチャリとノブが回る音がして、松本の遠ざかる靴音が聞こえなくなった。
 「斎藤」
 土方が声をかけると、斎藤はむくりと起き上がった。
 「すまない、俺は」
 土方が謝罪を口にした。
 「謝る必要はありません。俺は了承している」
 斎藤は真っ直ぐに土方を見据えた。
 「これもすべてチームのためだと言ったのはあんたじゃないか」
 その顔には具合の悪さなど微塵も感じられなかった。

 オール国産のチームを立ち上げ、決して豊富ではない資金力でもってここまで戦ってきた。
 幸いにして沖田・斎藤と言った実力ある選手を抱える事が出来、しかも成績に結びついている。
 だが、F1というのはいくらでもカネのかかるスポーツなのだ。永遠に繰り返される新パーツの導入、レギュレーションが変わるごとに新しく 作り変えなければならないマシン、それらを生産するためのファクトリーの増設など、挙げたら枚挙に暇がない。
 このまま順調に行けば今シーズンの優勝は決定だ。しかし、常に資金を獲得するためには、強いマシンを作り続けるためには、 決定的なひと押しがどうしても欲しい。

 そこで土方は考えた。
 セイを日本グランプリでデビューさせることを。
 日本人女性初のF1ドライバーが日本でデビューする、これ以上の話題があるだろうか。
 しかしただポンとデビューさせるだけというのも華がない。
 だから、斎藤が急に倒れて緊急出走というカタチを演出したのだ。
 沖田に倒れてもらうわけにはいかなかった。彼に演技ができないのを土方は分かっていた。
 だから土方は近藤と共にスケジュールを燃やしたあの日、斎藤をオフィスに呼び出して説明し、承諾を得たのだった。
 斎藤はいとも簡単に首を縦に振り、余計な事は一言も言わず質問もせずにこの計画に乗った。

 「だがな、俺が考えてるのはそれだけじゃねえ」
 土方がゆっくりとした口調で喋り始めた。
 「あいつには・・・神谷には忠誠心が足りねえ」
 斎藤は静かに続きを待つ。
 「あいつはウチのチームに来て懸命に働いてきた。俺や近藤さんの指示に従い、クルマを作り、テストしてきた。だがそれだけだ。あいつには まだサードドライバーの重要性がわかっちゃいねえ」
 土方の目つきが険しくなった。
 「サードドライバーってのはクルマを作ったら後はレース場で椅子に座ってりゃいいもんじゃねえんだ。万が一、こんな時のためにいつでも 出走できるように準備しておけなくちゃならねえ。正規ドライバーと同じスピードで走るつもりでな。クルマを作るところまではどのドライバー にも出来る。だが、それ以上にレースに出る事を忘れたらダメなんだ」
 セイをチームに迎え入れてからずっと、土方はそれが気になっていた。サードドライバーという呼び名が悪いのか、セイはどうしても他の二人より 一歩引いたところからチームを見ているような気がしてならなかった。
 「むしろお前ら二人をいつか飛び越えてやるぐらいの気概があったほうがいい。その気持ちがあいつを、それにお前らをより高みへ押し上げる。 違うか」
 チームの発展のために尽くすこと、それが忠誠心。
 より速く、より強いチームを作るためには仲良しこよしだけでは成り立たない。

 藤堂が離脱したとき、誰よりも彼を止めたのは土方だった。
 沖田と斎藤と藤堂の3人なら、チームを高いステージに押し上げるための条件を満たす事ができると踏んでいたからだ。
 だが藤堂は去っていった。
 しぶしぶ了承した土方は藤堂にひとつだけ条件を出した。
 「俺が必要だと思った時に、俺の頼みをひとつだけ聞いてくれ」
 と。
 そして土方は藤堂に頼んだ。
 セイに己の経験を語り、今後Mibroに残る気持ちがあるかどうか揺さぶって欲しいと。
 藤堂から件名も本件も入っていない空メールが送られてきたあのインタビューの日の夜、土方は藤堂が約束を果たしてくれたことを知った。
 そこから本格的にこの計画はスタートしていたのだ。

 「俺を恨め、斎藤。お前も今年チャンピオンに手が届くところまで来ているんだ」
 自嘲気味に話す土方を斎藤はじっと見詰めていた。
 「俺はそんなものに固執していません。・・・すべてはチームのために」
 斎藤は無表情で土方の前に拳を突き出した。
 土方はその拳に視点を合わせた。そして自分も拳を出し、斎藤の拳とコツリと打ち合わせた。




 土曜日。
 セイは緊張に漲って・・・いや、漲りすぎて、右手と右足、左手と左足を同時に出して歩いてきた。
 「オ、オハヨウ、ゴザイ、マス」
 油の切れたロボットのように、ガチガチの動きでピットクルーの面々に挨拶をした。
 自分でもその動きがおかしいのはわかっているのだが止めることが出来ない。会う人会う人に笑われながら、セイは監督の元へと歩いていった。

 「オ、オハヨウございます!」
 腰から直角に上半身を折り、セイは勢いよく挨拶をした。
 「おはよう神谷君。・・・その様子ではゆうべはあまり眠れていないようだね」
 近藤が苦笑いしながら挨拶を返した。
 「寝たんだか寝てないんだか・・・自分でもわかりません・・・」
 セイの目の下には隈が出来ていた。
 「たかがデビュー戦でこんなに緊張してるんじゃどうしようもねえな、しかも予選で」
 土方がサングラスを少し引き下げて言った。
 「うう・・・すみません」
 セイは肩を竦めて、ただでさえ小さな体をますます小さくした。
 「あーもう、ずるいですよぅ」
 沖田がすたすたと足早に近づいてきた。
 「総司。何だ、お前も神谷をイジめてぇのか」
 ククッと喉で土方が笑う。
 「違いますよ」
 眉を寄せて沖田がむくれた。
 「私も構ってください、土方さぁん」
 そう言って、つつと土方にくっ付き甘えるようにしなだれかかった。

 セイは無言でジト目になって沖田を見た。
 土方は顔色ひとつ変えずに、傍にあった武器・作戦指令書を振りかざした。


 サーキット内の空気が変わり始めた。
 研ぎ澄まされ、見ている方までじわじわと息が詰まるような希薄な空気に。
 いよいよ予選が始まる。



 『神谷君、出たまえ』
 無線から聞こえてきた近藤の声に弾かれるように、セイはマシンをスタートさせた。
 些か急にアクセルを踏み込んでしまったので、ブレーキを少しかけて調整した。
 もう予選は始まっているが、まだ序盤のため路上に多くのクルマは出ていない。
 『とにかく落ち着いて行け。事故らなきゃそれでいい』
 励ましなのか嫌味なのか分からない指示を出す土方。
 返事をしながらセイはステアリングを握り直し、前方を見つめた。
 ヘルメット越しに聞こえる風の音、エンジン音、排気音、歓声。
 いつもの金曜日と同じ、そして昨日と同じようにコースに出たのに、この気持ちは何なのだろう。

 全く違う。
 フリー走行と予選。同じコースをつい昨日走ったばかりなのに、見える景色が全く違う。
 ―同じ気持ちで臨んだらダメだ。これはフリー走行じゃない。
 バイザーの向こうに見える四角く切り取られた景色にすべてを集中させ、セイは小さく息を吸った。
 ―これは、本番だ。


 予選は、ノックアウト方式と呼ばれる“タイムの遅い順に振り落とされる”システムが使われている。
 最初にノックアウトされるマシンは22台中6台。全車が走行し、その中で1周のラップタイムが遅かった6台が速いタイム順に決勝当日の17番グリッドから22番グリッド に就く。次のノックアウトでも同じように、残った16台からタイムの遅い6台が振り落とされ、11番グリッドから16番グリッドに就く。
 そして運命の最終ノックアウト。2回のノックアウトを勝ち抜いてきた10台が走り、タイム順に1番グリッドから10番グリッドにマシンを止めることに なる。

 タイヤを暖め、コースを確かめながら、セイは速く走る事に神経を集中させていった。
 沖田の足を引っ張らないように。そして斎藤の代わりにはなれないながらも、全力で走行し、少しでもチームに貢献できるように。

 2周ほど回ったところで、タイム計測をするという無線が山崎から入った。
 『次のライン通過から測りまっせ、神谷はん』
 セイはコースの後半部分を走りながら山崎の言葉に返事を返した。
 最終コーナーを曲がる。
 なんとかふらつかずにコーナーを曲がりきる事ができた。
 『行きまっせ』
 「はい!」
 コーナーの立ち上がりからアクセルを踏み込み、長いストレートの出口を目指す。
 セイがコントロールラインを通過した瞬間、ラップタイム計測の時計が動き出した。


 右へ左へ、ラインに振り回されるマシンを細い腕で必死に押さえつけ、セイはとにかく走った。
 ヘアピンコーナーで一瞬後輪がスリップして、土方の『事故るな』という言葉がちらりと頭をかすめた。
 だがすぐステアリングを切ってマシンを戻し、小さく息を吐いた。
 普段はフリー走行中にあれこれ無線で指示してくる土方は何も言ってこない。
 セイは不安に駆られながらも必死でコントロールラインを目指した。



 細かいミスは各所に見受けられたものの、グラベルやタイヤバリアに突っ込んだりせずにコントロールラインを再び通過できた。
 セイはいいとも悪いとも言われず、1周流したらまた計測だと近藤に無線で伝えられた。
 (どうだったんだろう・・・言う事もないほどダメなタイムだったんだろうか・・・)
 後方から来るマシンに注意しながら、セイは速度を緩く保ち、周回した。

 ピットにあるテレメトリーのモニターの前では、近藤と土方と山崎がそれぞれ腕を組み、足を組みして画面を睨み付けていた。
 沖田は自分のマシンに乗り込みシートベルトで固定されたまま、3人の姿を眺めていた。



 2回目の計測が終了し、セイがピットに戻ってきた。
 計測後にもう1周している最中、観客席の前を通るたびに観客が歓声を上げていたのに気がついた。
 沖田と斎藤が築き上げてきたMibroの人気はすごい。ちらりと見た観客席には、浅葱色の旗が海の波のように振られていた。
 シートベルトをはずし、ヘルメットを取ると、とたんに呼吸が楽になった。
 かみ締めすぎた奥歯が痛む。
 セイはヘルメットを注意しながら抱え、近藤の側に寄って行った。

 「か、監督、神谷ただいまキカンいたしましました」
 静まらない動悸のままセイは近藤に挨拶をした。その声に近藤や他のメンバーもぐるりとセイの方を向く。
 「あの・・・タイムはどうだったんでしょうか」
 おずおずとセイは伺った。
 「1位だ」
 ぼそっと土方が言った。
 「はい?」
 セイはよく聞こえずに聞き返した。
 「1位だって言ってんだこの野郎」
 「えっ?」
 1位と聞こえたような気が。でも。
 「やったな神谷君、ぶっちぎりだぞ!」
 近藤が破顔してセイの肩をグッと掴んだ。
 「ええええ?」
 「やりましたな、神谷はん!」
 山崎も立ち上がり、嬉しそうにセイの手を取った。
 「や、ちょっと、本当ですか?」
 信じられずに、セイは喜びとも困惑とも取れる表情で近藤に再確認した。
 「ああ、本当だ」
 「やっ・・・!」
 そびえ立つ電光掲示板にも、「1」の隣にセイのカーナンバー2が灯されている。
 スタンドを見ると、チームの旗がちぎれんばかりに振られているのが分かった。
 「浮かれてんじゃねえよ、この程度で。今もう総司がコースに出ているからな。テメェなんかすぐに抜かされちまう」
 土方がサングラスの位置をわずかに直して言った。
 「それにまだ5台しか計測に入ってねえんだ。ウチのクルマがトップなのは当然だろうが」
 「はい」
 土方にどう言われようと嬉しかった。モータースポーツの頂点に立つF1で、例えわずかな時間になろうとも自分がトップに表示されたのだ。
 案の定、沖田のタイムにかなり離されてしまい、他のチームのドライバーたちにも抜かれてしまった。
 セイは結果的に、この第1ラウンド(Q1:クオリファイ1と呼ばれている)では12番手になり、1位のタイムを叩き出した沖田と共に次の ノックアウトに進んだ。

 次の第2ラウンド、Q2でもセイは奮闘し、ギリギリの10番手で通過した。
 休憩を挟んで行われたものの、Q1での緊張と疲労は思ったよりもあったらしく、Q2が終了する間際のタイムアタックでは最終コーナーからの 立ち上がりでコースアウトしてしまった。
 かろうじてグラベルの砂を巻き上げて止まる事が出来たが、タイヤもボディも砂まみれになってしまった。
 休憩の間に砂を払い落とさなければならない。メカニックたちは総出でセイのマシンを磨きにかかった。

 やってしまった、とセイは重たい気持ちでタオルを頭からかぶって椅子に腰掛けた。
 すとんと隣の椅子に誰かが座った。
 目だけをそちらへ向けると、レーシングスーツの足元が見えた。
 「沖田先輩・・・」
 タオルの端を少しだけ持ち上げ、セイは沖田の顔を確認した。
 「すごいじゃないですか、初めての予選でQ3まで進むなんて」
 沖田はにこりと微笑みかけた。
 「いえ・・・さっきディレクターが言ってたように、私の腕じゃなくてマシンの性能のおかげなんです」
 セイは溜息をついて下を向いた。
 「そんなことありませんよ、マシンは誰が乗っても早いわけじゃない。神谷さんだからこそQ3まで進んでこられたんです」
 「そうでしょうか・・・」
 セイはもう一度溜息をついた。
 「だとしたら、ゆうべ沖田先輩が帰りながらコースの説明をしてくださったおかげです。あれが頭に入っていなかったら私、きっとダメだったと 思います」

 そう、ゆうべ一緒にセイと帰った沖田は、初めて本選に出場するセイに、レースに関する諸注意やレース中のメンタルコントロール、コースの 各ポイントの細かい攻略法などを懇切丁寧に説明していた。
 セイはホテルの自室に戻ってから沖田に言われた事をすべてメモに書き出し、必死で頭に叩き込んだ。
 いい時間になったのでもう眠ろうと思ってベッドに潜り込んだが、沖田に教わった事が本当に頭に入り、予選やレースの最中にそれを思い出せるか どうか、心配で仕方がなくなってしまった。その後何度もメモを見ては目をつぶり、メモを見ては目をつぶりを繰り返していて、気がついたら 朝になっていたのだ。
 おかげで沖田の注意は頭に入ったものの、きちんと眠れたという充足感がないままサーキットへ向かう時間になってしまったのだった。

 「大丈夫ですよ、それちゃんと覚えてきたんでしょう?上出来です」
 沖田はセイの頭をよしよしと撫でた。
 「沖田先輩、私コドモじゃないんですけど」
 セイが苦笑いした。
 「そうでしょう?あなたは子どもじゃない」
 ピタリと手を止め、急に沖田は厳しい顔つきになった。セイは急に雰囲気の変わった沖田にびくりと身を竦めた。
 「誰かのおかげとかマシンのおかげだとか言ってないで、自分の腕だと認めなさい。調子のいいときはそれでもいいかもしれませんが、 もし結果が悪かったら自分のせいでなく誰かがとかマシンがとか言い訳する気ですか?いい結果もわるい結果も、己のせいだと責任を取りなさい」
 そう言うと、沖田は厳しい顔つきを維持したままスッと立ち上がり、自分のマシンへと戻っていった。
 いい結果にも悪い結果にも、自分に責任が――
 考えたこともなかった沖田の言葉に、セイは胸がちくりと痛むのを感じた。
 これがトップドライバー、これが沖田総司・・・
 サードドライバーとして予選を見守っていただけの自分には決して言ってくれなかった言葉。
 その言葉の意味を、そして重さを緊張とともに飲み込んで、胃の辺りに押さえつけた。
 拳を握り、立ち上がる。
 そしてセイも自分のマシンに戻っていった。


 第3ラウンド、Q3が終了した。
 沖田は今回も堂々ポールポジションからのスタートが決定した。
 セイも必死に走ったが、結局は10人のQ3進出者中9位という結果に終わった。
 近藤は「初めてのサーキットで、初めての予選でよくここまでやった」と褒めてくれた。
 土方はちらりとセイを一瞥しただけで、何も言わずにサーキットを後にした。
 他のスタッフと沖田は、近藤と同じようにセイを労った。
 「明日もがんばりましょうね、神谷さん」
 沖田がグローブをはずしてセイに握手を求めた。
 「はい、よろしくお願いします」
 セイもグローブをはずしてそれに応えた。
 その様子がサーキット内の巨大なオーロラビジョンに映し出された瞬間、観客席から大きな歓声が沸き起こった。



 沖田は予選後の記者会見に行ってしまっていない。
 近藤をはじめとして幹部全員、スタッフも全員サーキットを後にした。
 マシンは決勝用の燃料を補給した後、パルクフェルメに預けられた。明日のレースまでそちらで保管される。
 誰もおらず、マシンもないピットの片隅で、セイは佇んでいた。
 「今年のグランプリの最初の決勝の後も、ひとりでピットにいたっけ・・・」
 セイはひとり呟いた。あの時は沖田と斎藤のマシンを磨くように言われて、磨きながら兄のことを・・・

 胸がぐっと詰まったが、涙は出てこなかった。
 もうあの頃の私じゃない。
 本選に出る事を儚い夢としてしか見ていなかった自分じゃない。
 チームカラーのレーシングスーツを身にまとい、Mibroの選手として走るのだ。

 傍らにはレースで使うヘルメット。グローブ。バラクラバ帽。
 そのいずれにも彼女の名前が書かれている。
 そしてチームの名前も。

 見た目以上に重く感じるそれらをしっかりと抱え、セイはピットを後にした。



 明日はいよいよ決勝当日。






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