久遠の空 二次小説 サーキットの狼たち FINAL LAP 1


 灼熱の南半球から、北上してモータースポーツ発祥のヨーロッパ、同じく発展の国アメリカを巡り、極東の地・日本へと駒は進んだ。
 地獄の取材攻勢が終了し、ドライバーたちはやっとレースだけに集中する。
 週末はいよいよ日本グランプリ――――――――



 日本の霊峰・富士山を背負い、世界有数の高速サーキットとして多くのドライバーたちから愛されている富士スピードウェイサーキット。
 永くその活躍を三重県の鈴鹿サーキットに明け渡してきたが、この度見事日本グランプリとして復活した。
 富士周辺は数十年ぶりの開催地変更に沸いている。




 木曜日。
 ピットクルーたちはマシンの組み立てやモーターホームの設営、ピットの整備などを開始した。
 Mibroレーシングの沖田総司、斉藤一、チームEdgeの藤堂平助のドライバー3人が、グランプリ前に行われる恒例の記者会見に呼ばれた。
 まず全員が日本グランプリまで無事にチャンピオンシップを戦ってこられたことを喜び、次にそれぞれが今グランプリにおける抱負をマスコミに語った。
 ドライバーズポイントトップの沖田は、何を置いてもまず一位でゴールすることを誓い、斎藤はチームのために全力を尽くすとだけ言った。
 藤堂ももちろん狙うは優勝であり、追う立場ながら気負いは微塵も感じられない語り口であった。

 セイは別室のモニターでその様子を見ていた。
 3人には3人とも頑張って欲しいという気持ちがまず最初だったが、あの場に自らがいつか、という気持ちもどこかにあった。




 金曜日。フリー走行。
 夏の名残を引き摺りながら、僅かに秋の愁いを含んだ空気。
 雲ひとつない青く高い空をヘリコプターが何台も飛ぶ。
 そのうちの1台が風を巻きながらグランプリ関係者専用のヘリポートに接近し、ゆっくりと舞い降りた。

 まず出てきたのは、Mibroレーシングの監督・近藤勇。チーム専用のウェアに身を包み、すでに臨戦体勢かと思われるような雰囲気で地上に降り立った。

 次に出てきたのはチームディレクターの土方歳三。近藤と同じくチームウェアを纏い、小脇にノートPCを抱えての登場である。

 続けて沖田総司が現れた。レーシングスーツを着用し、笑顔で土方に話しかけている。

 その後には斉藤一。こちらも浅葱色に輝くレーシングスーツ姿でヘリから降り、後ろを振り向いた。

 最後に降りてきたのは神谷セイ。正規ドライバーの二人と同じ戦闘服を着込み、危なっかしい足取りのところを斎藤に助けられながら降りてきた。


 「斎藤さん、抜け駆けはズルいですよ」
 それに気が付いた沖田が、ヘリコプターの爆音に負けじと大声で斎藤に文句を言った。
 「アンタがディレクターといつまでもくっちゃべってるからだ」
 斎藤もいささか大きな声で答える。
 「ヘリの中で土方さんにご趣味の俳句の話をフッたのは斎藤さんじゃないですか、あれワザとでしょう」
 どうやらそこから土方と沖田のおしゃべりが始まったらしい。
 斎藤はフッと鼻で笑い、セイの肩に手を置いてすたすたと歩いていってしまった。
 ちなみにこの会話、ヘリの駆動音のせいで肝心の彼女には聞こえていない。


 天候曇り。幾分涼しい風が吹いている。
 フリー走行だというのに、スタンド席と言わず自由席と言わず人で埋め尽くされている。
 近隣のホテルも旅館も駐車場もほぼ一杯だと、衛星放送の番組でアナウンサーが驚嘆していた。
 パドック裏には各チームのモーターホームが立ち並び、モータージャーナリストたちが出入りをしている。
 Mibroのモーターホームにも多くのジャーナリストが訪れ、写真を撮影したり、短いながらも核心を突いた質問をスタッフに浴びせたりしていた。
 だが、ドライバーたちへの質問は土方によって許されていない。
 ジャーナリストの面々も土方の決定に背いた時のことはよく理解しているので、ドライバーたちを静かに見守っている。

 3人は早々にピットに入り、マシンの前に立った。
 古川兼定が導入した新しいパーツを各所に盛り込んだ“富士スペシャル仕様”。
 ストレートが長い富士スピードウェイで高速を保つためのパッケージだ。






 今日は午前中を沖田とセイ、午後に沖田と斎藤が走行するスケジュールになっている。
 まずは沖田から。
 ピットを軽快に滑り出し、コースに乗った。

 テレメトリーのモニターに続々と走行データが送られてくる。
 フリー走行ではあるがストレートではペダルを思い切り踏み込み、沖田は誰よりも速いタイムを出した。
 サーキットアナウンサーも彼を褒め称える言葉を場内にアナウンスした。

 斎藤や山崎らと共にモニターを見つめていたセイはうわの空だった。
 先日藤堂に言われたことがずっと心に重くのしかかかっていた。
 いつか去就を迫られる時が来る。それが外的要因にしろ内的要因にしろ。
 そして最終的には自分だけが選ばなければならない。
 右の道を行くのか、左の道を行くのか。

 その時、私は選べるのだろうか
 このチームを去るべき時に、情に流されず、去っていくことを。
 チームメイトの沖田先輩や斎藤先輩のことは尊敬しているし、サードドライバーとして起用してくれた近藤監督をはじめ首脳陣の面々にも感謝している。
 スタッフも暖かく自分を迎えてくれたし、女だからと言って差別するようなこともなく、かえってどうしても男性よりも肉体的に劣るセイを、 どうしたら正規ドライバーと同じように走れるか工夫を重ねてくれた。
 そして自分も懸命にそれに応えてきた。

 だが、それと正規ドライバーとして走ることは全く別だ。
 サードドライバーは本選においてはあくまでもリザーバーでしかなく、ふたりのドライバーに余程のことがなければ出場の機会はない。
 加えて、現在自分の上にいるドライバーたちは天才的な才能の持ち主で、努力でさらに磨きをかけている。
 自分がこの椅子取りゲームに加わる余地はまるでないのも分かっている。
 そんな時に、常に本選で走れるシートを用意してくれるチームが現れたら――――――


 沖田が、課された周回数を順調に消化してピットに戻ってきた。
 マシンから降りて山崎やピットクルーたちと話し合っている。

 セイはバラクラバ帽を手に持ったまま、まだぐるぐると頭の中を勝手に回る言葉に支配されていた。
 沖田がピットに戻ってきても気が付かずに座ったままでいた。

 そこへ突然、頭に衝撃が走った。
 「いたっ」
 「いたっ、じゃねえだろ!次お前の番だ、準備しろ」
 鬼のような形相で土方が横に立っていた。手には丸められた指令書が握られている。それでセイの頭をはたいたに違いない。
 「は、はい」
 セイは慌てて立ち上がり、バラクラバ帽を取り落とした。
 「あっ」
 さっとかがんでバラクラバ帽を拾い、ヘルメットを取りに奥へ向かう。
 だが、ヘルメットを持った瞬間、手が滑ってゴンという音と共に落としてしまった。

 「ちっと来い」
 土方が目を吊り上げてセイの胸倉を掴み、外へ引き摺り出した。
 ピット内からどうしたんだと言わんばかりの視線がふたりに集中する。
 セイはずるずると連行され、ピット裏の壁面に押し付けられた。

 「・・・っ、すみません」
 セイはアイテムを落とした事を怒られるんだと思い、先に謝罪を述べた。
 「何に対してだ?」
 土方はセイを掴んだ手をそのままに、彼女へ質問した。語気は鋭かった。
 「た、大切なレース用品を、不注意で」
 「違うな。俺はそんなことを怒ってるんじゃねえ」
 セイの言葉を遮った土方はそう言うと、セイをひと睨みしてやっと手を離した。
 スーツに寄ったシワを直しながらセイは土方を見る。

 「何なんだ最近のテメェは。集中してるフリしてまったく心あらずじゃねえか。そんなんでサードドライバーが務まると思ってんのか」
 見透かされている。
 やはりこの人には通じなかったのだ。
 「申し訳ありませんディレクター、これからは」
 「テメェが何を考え込んでいるのか知らねえが、やる気のない奴を雇っておくほどこの世界は甘くねえぞ」
 土方はそう言い捨てると先にピットへ戻っていった。
 ごくりと唾を飲み込んで、セイは溜息をつく。

 ダメだ、こんな気持ちでいては。
 ここは母国グランプリ、チームにとっても自分にとっても。
 期待している人たちで埋め尽くされている観客席。
 自分の役割を思い出さなければ。

 セイは大きく息を吸い、長く吐き出した。
 そして自分もピットへ戻っていった。
 いまだ出口のない難題に心を乱されたまま。




 セイが戻ると、もうすでにマシンのセッティングは済んでいて、沖田の走行から得られたデータを元に、セイに最適なコンピュータのプログラムが 流し込まれているところだった。
 バラクラバ帽をかぶり、ヘルメットを装着する。
 セイの出走を告知するアナウンスの声が小さくなった。
 窮屈なコックピットに体を押し込み、シートベルトをつける。

 「神谷さん」
 コツコツとヘルメットをノックする音がして、目の前に沖田が顔を出した。セイは沖田の言葉を聞こうとバイザーを上げた。
 「大丈夫ですか」
 「緊張してますけど・・・」
 何とか、とセイは苦笑いをして答えた。
 「土方さんが何を言ったのかわかりませんけど、フリー走行とは言えレースの一環です。集中しなさい」
 セイははっとした。沖田にも気づかれていた。
 「はい」
 グッとステアリングを握り締め、セイは頷いた。
 沖田はそれを見てにこりと笑い、セイのバイザーを丁寧な手つきで降ろした。
 「頑張って」
 一言、沖田は囁いた。
 セイは心に暖かいものがじわりと広がるのを感じた。
 応援してくれる人がいる。サードドライバーの私でも。
 そう思うと何だか体の奥から力が湧いてくるような気がして、バイザー越しに見える景色にだんだんと精神が集まってきた。


 セイは近藤の声でピットからゆっくりと発車していった。
 日本人初の女性ドライバーが、フリー走行だけとは言え日本グランプリで駆ける姿を見せるだけのことはあって、場内は大歓声の渦に包まれた。
 さすがにこのどよめきはヘルメットをかぶっていても伝わってきて、セイは嬉しくもあり余計に緊張もした。
 『ははは、神谷君、すごい人気だね。ひとつ手でも振ってやれ』
 近藤の朗らかな声が無線から届く。
 「近藤さん・・・」
 その横で土方が渋い顔をした。
 「いいじゃないか、ちょっとしたファンサービスだよ、ファンサービス」
 近藤はいたずらっぽく笑い、土方の背中をぽんぽんと叩いた。土方は仕方ねえなという表情でテレメトリーの画面に視線を移した。

 セイが速度を緩く保ちながら言われたとおりに手を振ると、さらに歓声は大きくなった。
 もしかすると沖田出走の時よりも大きかったかもしれない。
 セイはステアリングに指をかけながら、自分を、チームを応援してくれるファンに感謝した。
 今、ここで走る。
 それ以上でも以下でもない、今の自分の仕事は。
 そう心に留めたセイは、アクセルを踏み込んで1コーナーへ飛び込んでいった。

 セイのタイムはなかなかだった。
 同じチームの沖田には及ばなかったものの、現時点で5番手という速さでフリー走行を終わらせた。
 富士山をグランドスタンドの裏に見ながらピットへ戻る。
 指定席からも自由席からも大きな拍手と歓声とチアホーンが沸き起こった。

 所定の位置にマシンを止め、セイは車から降りた。
 ヘルメットを脱ぎながらふと目の前のグランドスタンドに目を遣ると、浅葱色の旗が無数に振られていた。
 今度はヘルメットを落とさぬよう細心の注意を払いながら小脇に抱えると、ゆっくりと手を振る。
 呼応するようにスタンドのあちこちから応援の言葉がかけられた。ひとつひとつは何を言っているのか判別できないにしろ、自分に好意的なメッセージを 送ってくれるたくさんの人たちの姿に、セイは目が潤むのを感じた。

 「おかえりなさい、神谷さん」
 観客の次に声をかけてきたのは沖田だった。
 「沖田先輩、ただいま戻りました」
 汗だくになりながらセイは答えた。
 「お疲れ様でした。いかがでしたか富士は」
 沖田はタオルを渡しながら聞く。
 「走りやすいですね。さすがの設計です。それとお客さんが熱いです。ビックリしました」
 セイは受け取ったタオルで汗を拭った。
 「神谷はん、お疲れ。ちょっと」
 山崎がテレメトリーの前で手招きをしている。はい、と返事をしてセイはそちらへ向かった。
 いろいろと注意されているのだろう、山崎や近藤が口々に何かを喋り、セイがその度に首をこくこくと振っている。
 時々土方が横柄な様子で言葉を浴びせ、しゅんとしたりもしていた。
 沖田はそれをセイのマシンの側でしばらく見つめていたが、時計を確認するとすでに昼食の時間だったのでセイを誘ってモーターホームに消えた。



 午後は沖田と斎藤の出番だった。
 セイはお役御免である。午前中のセッションが終了した時に、セイはまだ5番手のままだった。近藤に労いの言葉をかけられ、セイは満足だった。  日本グランプリで出走できずとも。

 かなりリラックスした様子でパイプ椅子に座り、ドリンクを口にしながらテレメトリーのモニターを眺めている。
 その様子を近藤と土方はちらりと横目で見て、お互いの視線を一瞬だけ交わした。

 沖田から走行を開始した。
 午前中のタイムを上回るペースで周回を重ねたが、まだ本気で走ってはいない。最初の本番は明日の予選だ。
 だがやはり最速のラップタイムを記録して順調にフリー走行を終了した。

 次は斎藤の番だった。
 斎藤もこつこつとタイムを刻み、二番手に入っていた藤堂を抜いて自らがその位置に納まった。
 午前中は走らなかった選手も続々とコースにマシンを送り出していったが、Mibroの二台を抜くことは出来なかった。

 美しいラインを描いて斎藤のマシンが戻ってきた。
 沖田とセイは斎藤のマシンに近づいた。
 テレメトリーの前では近藤や土方が納得した表情で座っている。
 斎藤はシートベルトをはずし、マシンの外に出てヘルメットを脱いだ。

 「斎藤先輩、お疲れ様でした」


 セイが笑顔で声をかけた瞬間、斎藤が無表情で「う」とうめいた。




 「いかん、俄かに差し込みが」






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