久遠の空 二次小説 サーキットの狼たち 3


 その夜、予選の快勝を祝ってささやかな宴が催された。
 モーターホームでシェフが腕をふるい、スタッフ全員が喜びを分かち合った。
 近藤はひとりひとりに労いの言葉をかけ、明日の本選でのさらなる結束を頼んだ。
 土方は冷たい緑茶を片手に壁にもたれ、山崎と話している。
 斎藤は乾杯の時こそその場にいたが、しばらくするとひとりでどこかへ消えてしまった。 彼の場合は、それがいつものことだから誰も構わない。本人いわく、“ひとりで精神集中”なのだ そうだ。

 沖田は甘いものが並ぶテーブルの前に陣取り、食事もそこそこにデザートをひとつずつ味わって いた。
 シェフが作った素晴らしいデザートもたくさんあったが、初戦から大活躍の沖田に日本から差し入れ が山ほど届いていた。沖田の好みを考慮した和菓子や洋菓子が、「チームの皆様でどうぞ」と一筆 添えられているにしても多すぎるぐらい送られてきている。また、開催地で大人気の菓子も、地元の 企業から届けられていた。
 大量にそれらを消費する沖田をセイが見つけ、「明日は本選なんですよ!」と嗜めた。
 沖田は口を尖らせて「いいじゃないですか」と恨み言で返し、セイに睨まれる。

 なごやかな雰囲気の中で、決勝の前夜は更けていった。



 翌朝、決勝当日。
 突き抜けるように晴れ渡った空から、強烈な熱気と紫外線が降り注ぐ。
 路面温度は朝からぐんぐん上昇していた。
 早めに切り上げられた昨夜の宴の余韻を誰ひとり残すことなく、Mibroレーシングの全員が ピットに集合した。
 緊張と気合が絶妙なバランスを保つ空気の中で、隣合ったもの同士と肩を組み、ぐるりと円陣が 出来上がる。
 「いいな、初戦はまぐれだったと言われぬように、皆全力を尽くしてくれ!」
 近藤の大音声が響き渡る。
 腹の底から出した近藤の声に、スタッフ全員が「おう!」と負けないほどの気合を込めて答えた。

 固く組まれた円陣が解かれ、それぞれが持ち場へと小走りで向かう。
 まずは午前中のフリー走行。
 ここで昨日のセッティングを最終確認し、各ドライバーがコースを走るイメージを頭にインプット する。
 沖田と斎藤がヘルメットを装着し、マシンに乗り込んだ。
 近藤、土方、山崎はテレメトリーの前で無線をつけている。
 セイも同じくテレメトリーの前に来てパイプ椅子を用意し、汗を拭っていた。

 いよいよ始まる決勝前の予備走行。
 2台のマシンは、ピットレーンの制限速度を守りながらスムーズに発車していった。

 マシンの姿を映し出すモニターで、彼らがコース上へ出て行くのを見送る。
 一昨日のフリー走行でタイムは出さなかったとはいえ、グランプリ期間中にレースカーで走った コースだけに、セイはいつもより気持ちが湧き立つのを抑えきれなかった。

 手にしたコース地図を目で追う。
 真っ先に第1コーナーで突っ込み、その後は慎重に少しずつアクセルを踏んでいった感触を、 ストレートを全開で飛ばした時の風の抵抗を、それを切り裂くようにステアリングを強く握り、奥歯を 噛み締めた力を思い出していた。

 その時だった。
 ざわめき始めた空気を感じてセイが顔を上げると、近藤たちが険しい目でモニターを見ていた。
 「監督?」
 セイは地図から目を上げて近藤に話し掛けた。
 「総司が・・・」
 その言葉に近藤の視線が注がれているモニターに目をやると、沖田のテレメトリーの画面だった。
 体温を現す数値が、明らかに高くなっている。
 「沖田先輩・・・?!」
 数値の示す意味がわからないセイではない。
 近藤が無線で沖田に戻ってくるように説得していた。

 ややあって、沖田のマシンがピットに戻ってきた。
 クルーが集まり、マシンを取り囲む。
 マシンから沖田が降りてきた。
 降りてきた途端、足元が覚束ない。
 「総司!」
 近藤が真っ先に沖田の元へ走っていった。

 「・・・監督」
 ヘルメットを脱いだ沖田の顔は紅潮している。
 その紅潮の様子がただの熱気でないことは歴然としていた。
 「総司、午後の決勝は欠場しろ」
 土方が近藤の後ろから歩いてきて、沖田の前に出て告げた。
 「・・・嫌です、と言ったら?」
 体内に篭った熱気に、沖田の目は潤んでいた。
 「完璧に無理だろ。ディレクターの裁量だ、従え」
 何が“完璧に無理”なのかは言わずもがな。
 沖田の顔を見下げる近藤の目も同じ事を語っている。
 近藤と土方の両方の顔をそれぞれ見た沖田は、
 「・・・わかりました」
 と苦笑いを浮かべて、ピットの奥へ歩いていこうとした。
 だが、その足元は大きく挙動を乱し、沖田はコンクリートの床の上に倒れ伏した。

 「メディカルチームを呼べ!」
 土方が叫ぶ。
 すぐに医療班が駆けつけ、沖田をすばやく担架に乗せた。
 「沖田先輩!沖田先輩!」
 担架に乗せられた沖田は意識がない。
 「運びますから下がって」
 医療班に言われて、セイは担架から離れた。
 ピットから運び出される沖田を、その姿が消えるまで見送っていた。

 「神谷、テメェはこっちだ」
 土方に首根っこをつかまれ、セイはモニターが並んでいる前に座らされた。
 「あの、誰かついていかなくても」
 「決勝当日の午前中だ。誰がついていける?」
 土方はサングラスをギラリと光らせて言った。
 「よかったら私が」
 「バカヤロウ、テメェはレースを見とけ」
 でも、とそわそわしているセイに土方は作戦指令書をさっと丸めて一撃をお見舞いした。

 テレメトリーの前に座る山崎が、斎藤に無線で話し掛けた。
 斎藤から返事があり、そのまま走行を続けた。
 ピットの正面、グランドスタンドから観客のどよめきが起きている。
 同じくサーキットのあちこちに点在するモニターの前からも。
 ピットを外から映し出すカメラにより、一部始終は観客たちから丸見えだった。
 場内アナウンサーがしきりに状況を心配する実況を繰り返す。


 Mibroレーシングドライバー・沖田総司。
 熱射病に罹り、グランプリレースを欠場―――




 その日の午後、現地時間15時からスタートした決勝レースはポールポジション不在でスタートが 切られるというあり得ない事態で幕を開けた。
 56周を走り終え、結果としてチームEdgeの藤堂平助が初優勝を果たした。
 二番手から出走した斎藤は最初のピットストップで藤堂に抜かれ、そのまま巻き返すことは出来なか った。


 斎藤と土方でインタビューを引き受け、近藤とセイは沖田が搬送された病院へ向かった。
 幸いにして症状は軽度だったため、冷却療法と点滴で病状は回復した。
 「たいしたことはありませんよ」
 おとなしくベッドで横になり、腕から管を伸ばして沖田は言った。
 「そうか」
 近藤もベッドの脇の丸イスに腰掛けて答える。
 セイは近藤の後ろに立ち、ほっとした表情を見せた。

 「でも・・・すみません監督」
 沖田は天井を見上げた。
 「何がだ、総司」
 近藤は己の両手を組んだ。
 「・・・今年は必ず毎レースで近藤監督に勝利を捧げようと思っていたのに、逆に足を引っ張る 形になってしまいました」
 ふー、と沖田は溜息を吐き出した。
 「バカだな総司、一年間全部優勝なんて誰も出来やしない」
 近藤が肩を揺すって笑う。
 「それにまだたった2戦目だ。これからいくらでも巻き返せるさ」
 点滴の繋がれた腕の先にある手を、近藤はグッと握った。
 「来週またすぐにレースがある。いけるか?」
 近藤は沖田の目を真っ直ぐに見て言った。
 「もちろん」
 沖田は力強く近藤の手を握り返した。


 近藤とセイは病室を後にした。
 「何はともあれ、総司が無事でよかったよ」
 近藤は病院の前でタクシーを待ちながら、セイに安堵の言葉を告げた。
 「はい、私も安心しました」
 セイもつられるように笑った。
 「今回はもうドライバーのエントリーを出した後だったから代わってもらえなかったが、もし 金曜の夜にエントリーを出す前に再びこういったことが起きたら、君に代わってもらうからな」
 近藤はセイの顔を見ながら言った。
 途端にセイの心拍数が上がる。
 「えっ、えッ、・・・えっと」
 突然の決勝起用宣言に、サードドライバーという肩書きを思い出してセイは慌てた。
 「この前言っただろう?グランプリレースに出走してもらう可能性もあると。いつ本選で走るとは 決めてやれないが、いつでもその準備をしておいてくれたまえよ」

 このグランプリのために集結したあの日だった。
 近藤はミーティングで、セイの出走の可能性について述べた。
 もちろん忘れたわけではない。
 ただ、フリー走行で起用してもらった喜びに覆い隠されてしまっていただけだ。

 「返事をしてくれると嬉しいんだが」
 固まるセイに、近藤が頭を掻きながら言った。
 「は、はいっ」
 セイは緊張したまま返事をした。
 その時、病院のロータリーにタクシーが滑り込んできた。
 近藤、セイの順に乗り込んでサーキットの名前を告げる。
 クーラーが程よく効いたタクシーで、ふたりはサーキットへ戻った。






 次の週も続けてレースがあった。
 やはり暑い国でのレースだったが、今度は土方の徹底した管理の元、沖田は土曜日の予選を無事に 1位で通過し、そのままポールトゥウィンでフィニッシュした。
 準優勝には前回の優勝者・藤堂平助が斎藤と2/1000秒差という僅差で入賞した。
 斎藤は初戦と同じく3位のポディウムに上がった。


 そしてレースは舞台をヨーロッパに移してゆく。
 世界中を転戦するこの興行は、別名を「グランプリサーカス」とも称されている。
 途中にアメリカ大陸での2戦を挟みながらヨーロッパ各地を廻り、その後はいよいよ日本での 開催である。

 日本の雄大な景色を背景に、その麓で16のコーナーと1475mのストレートを駆け抜けてゆく 11のチーム、22人の若者たち。

 その戦いの結末は、いましばらく先に譲るとしよう。






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