久遠の空 二次小説 サーキットの狼たち 2


 第1コーナーでは失敗したものの、その後セイは落ち着きを取り戻した。
 そこからは土方の指示でいくつかの簡単なテストをこなして、軽めの走行で午前中を終えた。
 一方、沖田は明日の予選に備えて本格的な試験走行を行って、セイを何度も追い越していった。

 『よし、総司、神谷君、二人とも戻って来い』
 近藤はそれぞれの走りに満足した様子で、無線を使って呼びかけた。
 セイ、沖田の順番でピットに戻ってきた。
 クルマから降りてヘルメットを脱いだセイに、サーキット中からふたたび暖かい拍手と歓声が送られた。
 「神谷さん、お疲れ様でした。ほら、お客さんに手を振ってあげてください」
 沖田が同じくクルマから降りて、セイにねぎらいの言葉をかけた。
 肩で息をしているセイがスタンドに目を向けると、ところどころにチームカラーである浅葱色の 旗や帽子が振られている。
 「ほら」
 セイは沖田に促され、ヘルメットを片手で抱えなおすと手を振った。
 すると今までよりも大きな歓声が上がり、手を振るセイの姿を収めようとカメラのフラッシュが しきりにたかれる。
 総司が隣で同じように手を振ると、さらに観客たちは熱狂的になった。
 セイと総司は顔を見合わせ、ふふっと笑った。

 「何笑ってんだお前」
 ふと背後から、熱帯雨林気候を遮断するかのような冷たい空気が忍び寄ってきた。
 「・・・ディレクター」
 勿論、土方であった。
 土方は手にもった作戦指令書をさっと丸めると、セイの頭をポカッと叩いた。
 「いたっ」
 「こんなの痛いわけねーだろ!それより何だあの1コーナーのザマは!客が大笑いじゃねえか! テメェのくだらないミスのせいでスポンサー様がいなくなったらどうすんだ!」
 土方は手首のスナップをきかせてポカポカとセイの頭を叩き続ける。
 「ほんとにすみませんでした!反省してますから!やめてくださいっ」
 「テメェのおかげで、明日のスポーツ紙の一面じゃ大恥だ!“Mibroレーシングから出走の日本人初女性 ドライバー、緊張のデビュー”ってな!」
 セイはなおも紙で頭を叩かれながら、新聞の一面に自分がグラベルに突っ込んでいった 写真が載っているところを想像してしまった。
 ・・・確かに恥ずかしい。

 「ディレクター、そこまでで」
 困り果てるセイに助け舟を出したのは斎藤だった。
 「斎藤」
 土方は叩くのを止めて、セイの横に立つ斎藤の方を向いた。
 「こんなピットの鼻先で幹部が初出走のドライバーに、ましてや女で注目を浴びてる奴をあんなに 叩いたら、明日の一面はアンタの記事になりますよ。“Mibroの鬼ディレクター、初出走の女性 ドライバーをタコ殴り”とか」
 土方はそれを聞いて、フンと鼻を鳴らした。
 「好きなように書かしとけ」
 そう言って土方は二人に背を向け、ピットの奥へと消えていった。

 「すみません斎藤先輩」
 セイは土方に言われた事と、自分のミスを叱られていたのに手を差し伸べてもらったふがいなさに しゅんとした。
 「気にするな。走行ご苦労だった。後半はいい走りだった」
 「・・・本当ですか?」
 セイの顔に、少し明るさが戻った。
 「ああ、モーターホームに行って休むといい。食事が用意してある」
 斎藤は促すようにセイの背中にそっと手を当てた。
 そして“Sei Kamiya”と彼女の名前がプリントされたタオルを差し出して背中をそっと 押してやり、セイをその場から退場させた。

 「・・・かっこいいなぁ、斎藤さんは」
 いつのまにか沖田が斎藤の斜め後ろに立っていた。
 「沖田さんもご苦労」
 ちらりと沖田の方をみて、斎藤はぼそりと言った。
 「そっけないなぁ、神谷さんには優しいのに」
 沖田が頬を少し膨らませる。
 「この世界、女の身で困る事もあるだろう。チームメイトを気遣って何が悪い?」
 「そうじゃないでしょう?」
 斎藤の返事に、沖田が突然雰囲気を変えた。
 「あいつの兄とも、あいつとも同じスクールの出身だからな」
 用意していたものを読み上げるように、スラスラと斎藤は言葉を並べた。
 「それだけでもないでしょう?」
 沖田はさらに突っ込む。

 「・・・沖田さん、何が言いたい?」
 斎藤がいささかうんざりしたように、沖田に聞いた。
 すると沖田は、斎藤の正面に立ちはだかるようにして言った。
 「負けませんよ、斎藤さんには。いろいろと」
 沖田はにこりと人懐こい笑みを浮かべた。
 だが、その目は笑っていない。
 沖田の目が意味するところを察した斎藤は、僅かに瞠目した後、目を細めた。
 「・・・俺もだ」
 そして口の端だけで僅かに笑った。

 沖田はそれを見ると、踵を返してピットを後にした。
 斎藤は自分のマシンに近づいた。
 午後は斎藤が走るため、ピットクルーたちが様々な作業をしていてくれている。
 斎藤も同じく作業に加わった。
 彼の目はもう、午後からのフリー走行に向いていた。


 モーターホームは、ピットの裏にあるパドックスペースに設けられた、各チームの施設である。
 “移動する車”の名の通り、巨大な車を中心に組み立てられ、中はグランプリ開催中、様々な生活を 行える空間になっており、まるで「家」のような役割を果たしている。
 モーターホーム内には簡易キッチンもあり、グランプリ中の食事や休憩に役立っている。もちろん シェフもいる。
 セイが先ほど斎藤に言われた食事と言うのはそれだ。
 総司もセイの後を追うようにモーターホームへ向かったが、セイは途中で近藤と山崎に捕まっていた。
 どうやらテレメトリーから見たセイの走りについて、色々と分かったことを教えてもらっているらしい。
 セイは斎藤から受け取ったタオルで汗を拭きながら、ふたりの話に何度も頷いている。
 沖田はセイの後ろを通ってモーターホームに向かおうとしたが、気がついた山崎に呼び止められた。
 「あ、沖田はん、沖田はんにも結果を」
 お伝えしたいんやけど、と山崎が続けようとした。しかし沖田は
 「後で伺いますから」
 と笑って断り、パドックへ消えていった。

 沖田が歩く先には土方がいた。土方もモーターホームへ入るらしい。
 「土方さん」
 沖田が呼ぶと、土方は渋い顔で振り向いた。
 「なんだ」
 「さっきの、ワザとでしょう?」
 土方は沖田の言葉に、ますます眉を寄せた。
 「何がだ」
 「神谷さんをあの場でポコポコやったの、ワザとでしょって」
 沖田はもう一歩、土方に歩み寄った。
 「もしあのままだったら、神谷さんが明日の新聞で土方さんの言うように書かれていたに違いないでしょう。 でも、土方さんがああしたことで記事になる方向を少しでも逸らすことが出来る。神谷さんがマスコミの 餌食にならないように」
 そうでしょ、と言わんばかりに沖田は土方の顔を覗き込んだ。
 土方はこれ以上寄らんとばかりに眉を目一杯寄せて、沖田の頭をグッと押さえ込んだ。
 「ひ、土方さん!」
 「お前の言うようなお綺麗な理由なんかクソくらえだ。万が一お前の言うとおりだとしても、ドライバー がヘタに書きたてられたら、被害を蒙るのはチームなんだ。庇って当たり前だろうが」
 言い終わると土方は沖田の頭をさらに深く押し下げてから、横に振って離した。
 「いったたたた・・・もう、照れ屋さんなんだから」
 沖田は上体を起こしながら呟いた。
 「なんか言ったか?」
 ああ?と土方は怒りのオーラを発して沖田を睨んだ。
 「何でもないですよぅ」
 だが沖田も伊達に長く土方と付き合っているわけではない。土方が爆発する寸前に話を切り上げた。

 「そんなことよりお前、大丈夫なのか」
 沖田にこれ以上詮索する気がないのを見て取った土方が口を開いた。
 「何のことです?」
 沖田は首をかしげた。
 「テレメトリーで見た。お前は走行前、体温が僅かに高かった」
 走り始めたら平常に戻ったがな、と土方は言った。
 「全然平気ですよ?午後もこのまま休憩無しでいけそうなぐらいに」
 沖田はぐっと腰を落とし、四股を踏む真似をした。
 「・・・ならいいが」
 土方はその姿を見ると、自己管理はしっかりしとけよと沖田の肩を叩いてモーターホームへ入って いった。


 午後はエースの沖田と斎藤が走り、鋭い走りを見せ付けた。
 午前中も走行を行った沖田は、疲れをまったく見せない見事な速さだった。
 斎藤も、午後のみの走行時間ではあったものの、明日のためのセッティングを完璧に行った。
 結果、この日のフリー走行でのタイムはトップが沖田、二番手にチームEdgeの藤堂、そして 3番手に斎藤が入った。

 近藤から終了を無線で聞いたMibroのふたりはピットへと戻り、フリー走行での仕事を終わらせ た。




 そして翌日、土曜日は予選であった。
 充分なセッティングで望んだ沖田と斎藤は、前回のチャンピオンシップと同様に予選をトップと二番 手で通過した。
 二人のドライバーの順位が確定した瞬間、近藤監督と土方ディレクターはモニタの前で固く握手を交わした。 セイや他のクルーたちも、肩を叩き合って喜んだ。
 昨シーズンの後半からメキメキと力を発揮し、最終戦では優勝までしたMibroレーシングの勢いは 止まることを知らない。もうこのまま今回の優勝も間違いない。


 誰もそうが思ったのは、油断であった。






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