久遠の空 おじさまにお願い

おじさまにお願い



「トシ、頼むよ」
と近藤は顔の前で手を合わせて、目の前で顰め面をする男に頭を下げた。
「断る。何で俺が」
近藤の前で、土方はふいとそっぽを向いた。
「いやー、恒子が急に町内の婦人会に呼び出されてな、行けなくなったんだよ。
で、あの二人に聞いたら“じゃあ代わりに土方のおじさまがいい”って言うもんだから」
近藤は手を下げるとそう説明した。



あの二人とは、セイと総司のことである。
セイは父母を早くに亡くしていて、父の親友の医者の養女になった。
その医者が近藤の家の近所で、近藤が開いている剣術道場の怪我人をよく看てもらっている。
総司は近藤の生徒で、ある日の練習中に土方に打ち込まれて右手を骨折した。
その時に運ばれたのがセイの家で、二つ年下のセイとすぐに仲良くなり、何かの折には一緒に遊ぶことも多い。

今年はセイが七歳で、七五三をやらねばならない。
が、セイの養父・松本は学会での発表があり、七五三の日には家を空けることになってしまった。
一週間ずらして祝おうとした松本に、近藤は「その日に自分が面倒を見るから」とセイを預かることにして、
松本は写真館での記念撮影だけは共に行い、学会の発表へと旅立っていった。

普段から行き来してる近藤家では、セイの七五三を喜んで祝うことにした。
近藤の妻の恒子はたくさんの手料理を用意し、神社でのお参りの後に皆で賑やかにやろうと決めていた。
しかし恒子は婦人会に呼び出されて、月末に行われる町内餅つき大会の話し合いに
駆り出されてしまったのである。
恒子が断りの言葉を発する前に、婦人会のお局様方から
「参加するわよね?恒子さんがいないとお餅と一緒に出す豚汁の手配がつかないもの」
と目で参加を強制され、仕方なく出て行くことになってしまったのであった。お局様の力は恐ろしいのである。
恒子は料理がとても上手でセイも総司もよく食べさせてもらっている。
町会での夏祭りでも婦人会の飲食屋台では恒子が欠かせない。
今回の餅つきも恒子は頼りにされているのだ。
「ごめんなさいね、夕方には戻るから」
と何度も頭を下げて、恒子は町会会館へ出かけていった。


綺麗な着物を貸衣装屋で着せられて戻ってきたセイは笑顔で恒子を送り出したが、
ドアがぱたんと閉まると表情を曇らせた。
「恒子おばさまと、一緒に行きたかったなあ…」
同じく貸衣装の羽織袴に身を包んだ総司がセイの頭を撫でた。
総司はセイが着物を選ぶのにもついていって、自分の七五三はとっくにおわっている歳であるのに、
松本の勧めで自分も衣装を借りてしまったのである。
「しかたないよ、お夕飯には戻ってくるっておばさま言ってたから、それを待とうよ」
総司の言葉にセイはこくんと頷いた。

近藤は玄関での二人の様子を見て、なんとか出来ないものかと思案した。
そこでふと、幼馴染で道場の手伝いもしてくれている土方の顔を思い浮かべたのである。
口は悪いし子ども相手でも稽古は容赦ないが、総司もセイも懐いている。
当の本人が振り払っても振り払っても後ろからちょこちょことついてくるのだ。
きっと土方なら承知してくれると思い、近藤は子どもふたりに同行を聞いてみた。
すると総司もセイも目を輝かせて頼んできた。 近藤は二人を車に乗せると土方の家へと向かった。



「今日ヒマだって言ってただろ。だったらちょっと付き合ってくれてもいいじゃないか」
近藤は玄関先で土方が閉じようとするドアを押さえながら言った。
「ヒマったって、それだけで付き合わされちゃたまんねえよ」
土方はドアノブを握って言う。
「別にいいじゃねえか、かっちゃんだけだって。夕方には恒子さんも帰ってくんだろ?」
「二人のご指名だぞ、一緒に行ったってバチはあたらないし」
近藤は何とか土方を懐柔しようと必死だ。

「断る」
帰れ、と続けようとした土方の目に、近藤の右から左からにょきっと出ている小さな影が写った。
総司とセイが近藤の後ろに隠れながら、頭だけ出して土方を見上げている。




「土方の、おじさまぁ…」
セイが小さな声で言った。




「〜〜〜〜〜〜!」
土方はドアノブから手を放した。
「支度してくる。スーツでいいな?」
くるりと身を翻すと土方は、どすどすと足音を立てて家の奥へと消えていった。
近藤とセイと総司はやったとばかりに顔を見合わせた。




行き先は大国魂神社である。
参道の入り口には平安時代後期に植えられたと伝えられる樹齢九百年を越える欅が堂々と立っていた。
四人はまっすぐ奥に伸びる参道を歩いていき、朱色の中朱雀門をくぐった。
セイは他の七五三の参拝客と一緒に拝殿の前でお祓いを受け、拝殿の重々しい屋根を見上げた。
薄い緑色の銅板葺きの屋根の上には、真っ青に晴れ渡った空。
セイはお祓いの最中の緊張感を、その気持ちいい空気の中にそっと吐き出した。


「ほら、トシ」
それぞれの参拝客が拝殿を背に、思い思いに記念撮影をしている。
近藤は自分と総司とセイで撮ってもらった後に、土方と子ども二人の写真を撮ろうとした。
「いらねえって、俺はただついてきただけだ」
土方はポケットに手を突っ込んだまま、近藤の一歩後ろに下がった。
「いいじゃないか、記念だ。並んで並んで」
近藤は大きな一眼レフのデジカメを首から下げると土方の腕を掴んで総司とセイの後ろに立たせた。
何で俺がガキなんかと。
と土方は思い、子ども二人を見下ろした。
二人の目は、土方と一緒に撮影できる喜びでキラキラしている。
土方は観念するしかなかった。

「行くぞ、はいチーズ」
近藤は一度ボタンを半押しにしてピントを確認すると、シャッターを切った。
そこには満足そうに笑う子どもたちと、照れ隠しに向こうを向く土方が収まった。




翌週、土方は道場の手伝いに近藤の元を訪れた。
「んなっ!」
道場の入り口で靴を脱いだ土方は、その場でピシリと固まった。
入り口の手前には近藤が趣味で撮っている稽古の様子の写真が何枚も飾られているのだが、
その一番端に、この前撮影した七五三の写真が堂々と、しかもでかでかと額入りで展示されていた。
土方は道場の生徒から、
「土方さんもこんなところあるんですね」
と、しばらくの間からかわれたそうである。









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