カー消しゴムの鷹
東京の郊外にある、近藤の剣術道場。
日曜の午前は、毎週、子どもたちの元気なやっとうの声が響く。
「ありがとうございましたー!」
息を切らせて子どもたちが挨拶をすると、二時間に渡る稽古が終了した。
「はいお疲れー」
「気をつけて帰れよ」
道場を手伝う永倉と原田が子どもたち一人ひとりに声をかける。
「はーい」
「永倉先生、原田先生、またね〜!」
着替えもそこそこに、子どもたちは迎えに来た保護者の元へと駆けていく。
だが道場の隅には、お迎え待ちの子どもたちが固まっていた。
「左之助、片付けるぞ。サボってんじゃねえよ」
永倉が自分たちの道具を抱える。
原田の目は、たむろしている子どもたちに向けられていた。
車座になって座る小さな手には、ゲーム機が収まっている。
機械を向かい合わせて通信し、ボタンを忙しなくカタカタと叩いていた。
「俺もやるし、面白いとは思うんだけどよう」
原田がモップの柄に顎を載せる。
永倉もそちらへ視線を移すと、そうだなと小さく呟いた。
小さな画面は常に動きを見せ、遊ぶ者を退屈させない。
子どもたちは通信した結果を楽しげに話し合っており、コミュニケーションもとれている。
親が迎えに来ればすぐに機械を閉じて帰る。
何も問題はないのだが…。
「時代は変わったってことだろ」
と永倉は倉庫へ道具を押し込む。
「平助、プロとしてその辺はどうなんだよ」
原田が、同じく手伝いに来ている藤堂に聞く。
藤堂はタオルで汗を拭いながら言った。
「そうだね、今はああやってゲーム機で遊ぶのが主流だね。ボードゲームにカードゲームですら画面の中で遊んでるし。ぱっつあんの言うとおり、時代は変わったってとこかな」
おもちゃ会社に勤務する藤堂はありのままを答える。
電子化されたボードゲームはいちいちボードを広げなくてもいいし、コマやサイコロをなくすこともない。
カードゲームも、膨大な数のカードを持ち歩かずに済む。
実際に何か道具を使って遊ぶゲームは衰退し、高性能なゲーム機の中で道具やキャラクターを操る遊びが当たり前になってきているのだ。
「たまには古い遊びでも教えてあげたいってんなら、ちょうどいいものがあるけど?」
と、藤堂が意味ありげな笑みを浮かべる。
永倉と原田を集め、頭を合わせると、ひそひそと何かを話した。
「どう?」
「いいんじゃないか?」
「俺、賛成! 近藤さんに相談しようぜ」
まるで自分たちが遊ぶかのように、三人はにやりとした。
次の週。
藤堂は段ボールを一箱抱えて道場にやってきた。
稽古が終わった後、いつもの如く親を待っている子どもたちは、バッグからゲーム機を取り出そうとする。
そこへ藤堂が段ボール箱を置いた。
視線が、おもちゃ会社の社員である藤堂の手元に集まる。
だが、箱の中身を見て、子どもたちはがっかりした。
中に入っていたのは、車の形をした消しゴムと、ボールペンだけだったからだ。
「藤堂先生、これ何? ただの消しゴムじゃん」
一人が古ぼけた消しゴムをつまみ上げる。
「そうだけど、違うんだなあ、これが」
藤堂はボールペンを手に取り、パチンパチンとボタンを確かめる。
ボールペンはノック式のやや四角いもので、端のボタンを押すと芯が出て、サイドのボタンを押すと芯がパチンと戻るものであった。
永倉と原田が、折りたたみ式テーブルを持ってきた。
テーブルの足がしっかり固定されたのを確かめると、藤堂は車の形をした消しゴムと、ノック式のボールペンを持ってテーブルの側に立った。
「何してるんですかー?」
そこへ着替えを済ませた総司と、後ろにセイがくっついてきた。
「いいかいみんな。こうして…」
藤堂がテーブルの端に車の消しゴムを置き、ボールペンの芯をノックして出す。
そして消しゴムの後ろに、ボタンが引っ込んだままのボールペンをぴたりとつけた。
サイドのボタンを押すと、パチンと高い音がし、ボールペンの芯が元に戻る。
同時に端のボタンが飛び出て消しゴムの後ろを勢い良くはじき、消しゴムはテーブルの上をひゅうっと走った。
「よっし、今度はこっちの番な」
永倉も段ボール箱から車の消しゴムを取り出すと、藤堂と反対側の机の端から、ボールペンで消しゴムをはじく。
藤堂と永倉は交互に消しゴムをはじきあい、消しゴムを近づけていく。
子どもたちはどうなるのだろうと、固唾を呑んで消しゴムの行方を見つめた。
「よし、いくよっ」
両方の消しゴムが目前まで近づいた。
藤堂の番になり、消しゴムをパシンとはじく。
藤堂の消しゴムが永倉の消しゴムに当たり、永倉の消しゴムが飛ばされる。
「おっ!」
子どもたちの目が、急に色を変え始めた。
「こっちからもお返しだ」
永倉もボールペンをノックし、自らの消しゴムで藤堂の消しゴムに攻撃を仕掛ける。
藤堂の消しゴムも衝撃を受けて、机の上を滑った。
打ち合うこと数回。
消しゴムはだんだんと机の端に戦場を移していく。
藤堂の消しゴムが永倉の消しゴムに最後の一撃を加えると、永倉の消しゴムは机の端からぽとりと落ちた。
「あー、永倉先生負けたあ!」
「やったー!」
「藤堂先生の勝ちー!」
永倉が天を仰ぐと、子どもたちはわいわいと騒いだ。
「藤堂先生、僕もやりたい」
総司がまず段ボール箱に駆け寄る。
「うん、やってみな。好きなのを選んでいいよ」
藤堂は箱を総司に渡す。
「私もやっていい?」
セイも総司の横に並んで藤堂を見上げる。
「もちろん」
藤堂はにっこりと笑った。
「俺も俺も!」
「僕もやる!」
次々と子どもたちは車の消しゴムを手に取り、ボールペンでパシンパシンとはじき始めた。
だが、思った方向に消しゴムをはじくことが出来ない。
まずまっすぐに飛ぶように、子どもたちは練習を繰り返した。
すると、何回かに一度はまっすぐ飛ばせるようになってくる。
そこからは子どもたち同士で、藤堂と永倉がやったような車のはじき合戦が繰り広げられた。
「あれか。懐かしいな」
土方が、シャワーを浴びた濡れ髪を拭きながら道場を覗きこむ。
「平助が面白いものを持ってきてくれてよかったよ」
近藤も子どもたちの様子を見て眉をくつろげた。
藤堂や永倉、原田だけではなく、土方も近藤もこれで遊んだことがあった。
最初は思った通りに飛ばないことも多いが、少しずつコツがつかめてくる。
だが、ほんの少し狙い所を誤ったために、思うところへ飛ばなかったりもする。
自分の操作と偶然の動きに左右されて、勝敗の行方は複雑に枝分かれしていくのだ。
自分の腕前が伸びていく楽しさ。
目の前で起こる、必然と偶然の積み重ね。
子どもたちは消しゴム飛ばしに夢中になっていた。
消しゴム飛ばしは、道場が終わった後に親を待つ子どもたちの間だけでなく、他の子どもたちへもあっという間に広がっていった。
藤堂が持ってきた、段ボールいっぱいの車の消しゴムも、すべて子どもたちの手に渡った。
子どもたちは学校へも車の消しゴムを持って行き、学校でもこの遊びを流行らせた。
車の形の消しゴムを持っていない子どもは、普通の消しゴムをそのまま使ったり、削って車の形にしたりして遊びの輪に加わった。
ところが。
この消しゴム飛ばしが流行ったのは、子どもたちの間だけではなかったのである。
「うっわ、また土方さんに負けた!」
原田が悔しそうに、足元に転がる自分の消しゴムを拾う。
「ふん、おととい来やがれ」
土方は得意そうに鼻を鳴らした。
なんと、子どもたちが帰宅した後の道場で、大人たちが懐かしがって消しゴム飛ばしに熱中している。
特に強いのは土方だった。
「くそ、次は負けねえ」
と原田はボールペンを分解し、中のバネを出してぐいぐいと伸ばし始める。
「それでバネのちからを強めるつもりか? 俺はバネを2本入れたぜ」
土方がボールペンをバチンと鳴らす。
確かにその音は、バネが1本だけの音ではなかった。
さらに車の消しゴムのタイヤの部分にホチキスの針を刺し、アイススケートの刃のようにして、消しゴムのスピードが出やすくなるように改造まで施していた。
「あー、そういやそんな改造したっけな! 忘れてた〜」
「俺も思い出したからバネ2本入れたけど、両方伸ばしてはじいてみたら、ボールペンの中身がすげえ勢いで飛び出してきちまった」
「新八、そりゃあやりすぎだろ」
「へっへ〜ん、俺は極秘ルートからこんなものをもらってきました〜〜!」
「あ、平助! そんなデカイやつずるいぞ! 重たくて動くわけねえじゃねえか!」
「左之助、土方さん、一緒にアレを落とすぞ! 皆でこつこつやっていけば必ず落ちる!」
「よし、それぞれ平助の消しゴムに向かって攻撃だ」
「ちょ、ちょっと、3人がかりなんて、それこそずるくない?」
子どもも大人も魅了する、身近な道具を使った簡素な遊び。
それは暫くの間、近藤道場の内外で楽しまれていたのであった。