久遠の空 久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年5月拍手文

せいくらべ



「はしらーのーきーずーは、おととーしーのー…」
稽古が終わって、生徒たちがわらわらと賑やかに声を上げる近藤道場。
セイは、道場の柱の一つにぴたりと背をつけた。
総司が歌いながら、セイの頭のてっぺんに定規を当て、柱に傷をつける。
他の子どもたちも二人に倣って、近くの柱に自分たちの身長を刻み始めた。

「俺たちもやったよなあ、トシ」
子どもたちを視界に入れ、汗をタオルで拭きながら近藤が言う。
「ああ」
同じく汗を拭いながら、土方が相槌を打った。


近藤道場は古くから立っている剣道道場で、その師範の家の子である勇も、近所に住む土方も、子どもの頃から通っていた。
警戒心の強い子どもだった土方を近藤が引っ張り、二人はいつしか親友となった。
二人は男友達の仲の良さとはまた別に、剣術の腕前ではよきライバルとして競い合ってきた。
そして5月になれば「背比べ」の歌の通りに背の高さを張り合い、道場の柱に成長の傷跡を毎年のように残していた。
同じ年齢でありながら、いつも近藤の方が背が高かった。
土方は毎年悔しい思いをし、来年こそはと毎日牛乳をやたらと飲んだり、
自宅にあったぶら下がり健康器に長々とぶら下がったりしていた。
結局、二人の成長が止まった時には同じくらいの背丈になり、“どっちが大きくなるか競争”はあっけなく終了した。
ちなみにぶら下がり健康器の効果は背を伸ばすものではないと土方が知ったのは、中学2年生の秋だった。


「皆、お疲れ様」
近藤の妻、恒子が手製のちまきを持って道場に入ってきた。
子どもたちは一斉に恒子の元へと駆け寄り、争うようにちまきを手に取った。
今月から入ったばかりのセイは子どもたちの間でもみくちゃにされ、一番最後にちまきを手に取った。
そして総司の隣に座り、笹の葉をむいてちまきにかぶりついた。
二人はにこにこと笑いながら、おいしさを顔中に広げて食べていた。


近藤が道場の隅に歩いていき、一本の柱を眺めた。
「お、これだこれ。おーい、トシ、来てみろよ」
近藤の手招きに応じて土方がそちらへ行くと、近藤は柱についている小さな傷を指差した。
「これが俺だな、きっと。で、こっちがお前」
「そうだな」
近藤も土方も懐かしそうに柱の傷に視線を注いだ。
最初に傷をつけたのは5、6歳の頃だったから、そこから傷を数えれば何歳頃にどの程度の背丈だったのかを窺い知ることが出来る。

「これ、小学校の2年生ぐらいじゃないか? 俺が多摩川の土手から転げ落ちて額を切った…」
「あー…、あれってそのぐらいだったか」
土方は思い出す。
小学2年生の時に、二人で延々と多摩川の土手を自転車で走って行ったことがあった。
何か目的があったわけではなく、ただ夕日に向かってひたすらにペダルを漕いだ。
土手の傾斜を緑の絨毯が覆い、ところどころにタンポポの黄色やシロツメクサの白が散らばっていた。
桜は薄紅色の花びらを若々しい新緑の葉に変え、雲ひとつ無い青空にも、橙色に染まる夕景にも溶け込んでいた。

二人は、最初は緑多き道を調子良く進んでいった。どこまでもいける気がしていた。
しかし長々と走っているうちにだんだんと疲れてきて、ついには近藤が自転車ごと土手から落ちた。
近藤は河原までごろごろと勢いよく落ちたが、額を少し切っただけで大した怪我はしていなかった。
だが、傷のわりに多かった出血に土方は慌て、急いで近藤と自転車を引き上げると、
来た時よりもうんと早い速度で自転車を漕ぎ、道を戻った。
二人が家に戻ったのは日もとっぷり暮れた頃で、おまけに近藤は土まみれな上に顔面血塗れである。
心配した双方の両親に、二人はきつくお灸を据えられたのであった。


「ははっ、けっこう遠くまで行ったよな。今じゃ自転車でなんざ行きたかねえな、あの距離をよ」
「昔は若かったってことさ」
「かっちゃん、それを言っちゃあおしめえよ」
あの頃は、ただ川沿いを自転車で行くのも冒険だったような気がする。
遠い日の記憶に、大人二人は思いを馳せた。


てててっと足音がし、近藤たちの傍にセイが寄ってきた。
「おじさまたちも、どうぞ」
セイは皿の上に載せられたちまきを差し出していた。
「こら、道場ではおじさまじゃねえ、センセイだ」
「はーい」
ちまきを手に取りながら土方がセイをたしなめる。
セイは素直に頷いた。

「おじさ…センセイたちは何を話してたの?」
近藤と土方の前にちょこんと座り、セイは聞いた。
「俺と土方センセイが、セイちゃんたちぐらいの頃の話だよ」
近藤がえくぼを浮かべて、多摩川の土手沿いを自転車で走っていった話をした。
「多摩川ね、この前セイも順おじさんと一緒に行ったよ。土手でおにぎり食べて、寝転がってたら、バッタがいたの」
順おじさんとは、セイの養父の松本順のことである。
松本は小さなこの町にも最新の医療技術を取り入れようと奔走している。
そして元は大病院の息子であり、腕利きの医者であるため、手術だ学会だとあちこちに呼ばれて忙しい。
なのでセイは松本の知人である近藤家によく預けられている。
その松本が多忙の間を縫ってセイと散歩とは、と近藤と土方は密かに眉を動かした。
セイは多摩川の土手での松本との一日をたどたどしくも懸命に話した。
緑萌える景色の中、養父と共に過ごした、穏やかで平和な時間を。

昔自分たちがいた風景に、新しい思い出が重ねられてゆく。
近藤と土方は松本とセイが交わしたであろう笑顔を思い浮かべ、ふと口元を緩めた。


気がつくと、いつの間にかセイの隣に総司が来ていた。
「近藤先生、4年生の時の傷はどれですか?」
柱の傷を見て総司が言った。自分と同じ年だった頃の近藤と、今の自分を比べたいらしい。
「どれどれ…ひいふうみい…ここだな」
近藤が傷を数えて、小学4年生の頃の自分の背丈を示した。
総司は自分の身長をそれと比べ、少しばかり小さい自分にため息をついた。
「さすがは近藤先生です。じゃあ土方さんは?」
くるりと総司は土方のほうへと向いた。
「あ? 俺か? …ここじゃねえかな」
土方も近藤と同じように傷を数えた。
「…やった! 僕のほうが土方さんより大きい!」
土方の傷と自分を比べた総司は、自分の方が背丈があるのに気づくと、ぱあっと明るい顔になった。
「わーいわーい、土方さんに初めて勝った!」
「この野郎、こんなことで勝ちになるかよ」
無邪気に喜ぶ総司に、土方は小学4年生の言うことだとわかっていながら苛立った。
「勝ちは勝ちです〜、僕の勝ちっ」
「待てこのガキが! いい気になるんじゃねえ!」
嬉々として飛び回る総司を、土方は追いかけた。

近藤は胡坐をかいてセイをその上に抱き上げ、大きな手でセイの頭を撫でた。
セイはにこりと笑って近藤を見上げた。
そして近藤とセイは、他の生徒たちと共に、総司と土方の追いかけっこを囃した。


この光景も、いつかは別の思い出が重ねられてゆくのだろう。
柱の傷のように増え、多摩川の風景のように彩られて。
こうしてひとつずつ新しい季節が巡っては移り、移っては巡っていくのであった。




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