久遠の空 久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年7月拍手文

夏は来ぬ



「土方さん、アンタ、俺に何をさせるつもりなんです」
まだ朝になったばかりの爽やかな空気の中、細い目元をますます細めてその男は――斉藤一は言った。
「見りゃわかんだろ」
土方はジャージ姿に軍手をはめながら答えた。
男二人の目の前には、細い竹が山のように積まれている。
「俺は道場の手伝いと言われて来たのですが」
斉藤が腕を組んだ。
斉藤も近藤の道場出身で、今は仕事が忙しいので通っていないが、
ほんの時々、子どもの部の手伝いに呼ばれて来ることがある。
「これも立派な手伝いだ。つべこべ言わずにさっさとかかれ」
土方は斉藤に――自分の勤めている会社の顧問弁護士の息子に、軍手を投げつけた。





近藤の道場から少し歩いたところには小川がある。
大きな川から引き込んでいる、穏やかな流れの川だ。

夏休みに入ってすぐの稽古日。
近藤は少し早めに稽古を切り上げ、生徒たちを連れてその小川にやって来た。
皆水着に着替え、ばしゃばしゃと遠慮なしに水を跳ね上げて騒いでいる。
水着を忘れた子どもは、男の子に限るが、パンツ一丁になって浅瀬に飛び込んだ。

総司もセイも水着になって、澄んだ流れに足を入れた。
「きゃー、冷たいっ」
「うわ、石がぬるぬるするよ〜」
見た目からは想像できない感覚に、二人は思わず体を震わせる。
だがすぐに慣れ、他の子どもたちと水をかけ合ったり水の中を駆け回ったりし始めた。



しばらくした後、近藤は子どもたちをいったん川から引き上げさせた。
樹齢百年以上とも思われる大木が枝を広げ、なだらかな土手に影を作っている。
その下で寝転がりながら、子どもたちは近藤が持ってきたクーラーボックスから棒アイスを取り出して食べた。



風が柔らかな草を揺らして吹き抜ける。
小川がさらさらと流れる。
うるさいほど蝉が鳴く。
誰が言い出したわけでもなく、皆が黙って耳を澄ませた。
箱の中にいては聞こえることのない自然の声が聞こえる。



「…おじさまは?」
近藤の隣で横になっていたセイがふと呟いた。
「トシかい?」
近藤は顔をセイのほうへ向けた。
「おじさま、今日は“けいこ”にもこなかった…どうしたのかな…」
セイはしゅんとして草の匂いの中に顔を埋めた。
午前中の稽古に土方は顔を出さなかった。
週に一度、必ず大好きなおじさまに会える稽古の時間。
セイは、例え稽古がどんなに厳しくても、毎週この時間を楽しみにしていた。


近藤は寝転がったまま尻のポケットから携帯を取りだした。
そして片手で開くと短縮ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし、俺だ。今どう…ああ、もうすぐそこか、わかった、頼んだぞ」
ぱたりと携帯を閉じると近藤は立ち上がり、草を踏み分けて土手を上がった。
セイも近藤の電話の相手を察して急いで起き上がり、近藤の後に続いた。


土手の上の道が遠くまで緩くカーブを描いている。
その道の向こうから、黒い影が二つ、自転車に乗ってやって来た。

「…おじさま!」
ぱあっと、セイの顔が明るくなる。
自転車を揺らしながらこちらに近づいてくる黒い影は、土方と斉藤だった。
それぞれの前かごに大きなビニール袋を積んでいる。


子どもたちが皆、土手の上に集まってきた。
土方と斉藤が自転車を止めると、その回りにわらわらと群がってきた。
「トシ、遅いぞ」
近藤が笑いながら言う。
「馬鹿言え、どんだけ作ったと思ってんだ。近藤さん、元はあんたが言い出しっぺなんだぞ」
土方は汗だくになってビニール袋をかごから出し、近藤に押しつけた。

「それ、なあに?」
セイが首を傾げて聞く。
「これは俺が頼んで、トシたちに作ってもらったものだよ」
近藤はビニール袋の結び目を解いた。

「わあ!」
「すごーい、これ土方さんと斉藤さんが作ったんですか?」
「えー、なになに?」
「何が入ってるの?」
覗き込んだセイと総司が声を上げると、ほかの子供たちも次々に袋の中を覗き込んだ。

中には竹で作った水鉄砲がたくさん入っていた。
切ったばかりの青い匂いが立ち上ってくる。
「ほら、一人一本ずつだぞ」
近藤はがさがさと袋の中から水鉄砲を取り出し、子どもたちに分け与えた。
土方と斉藤はその様子を横目で見ながら、川岸の涼しい木陰に座った。

「土方さん、斉藤さん、ありがとう!」
「ありがとー!」
水鉄砲をもらった子どもたちはだだっと土方たちに駆け寄ってきた。
土方と斉藤は無言のまま頷いた。
「どうやって使うんですか?」
「ああ?」
総司とセイを先頭にして、子どもたちは目をキラキラと輝かせながら水鉄砲を差し出した。
「普通に水吸い込ませて押せばいいだろ」
「わかりませーん」
「教えてー土方先生〜!」
「…ったく、今のガキは水鉄砲の遊び方も知らんのか」
土方は実に面倒そうに眉を寄せるとTシャツを脱ぎ、携帯をその上に放り投げると、ジャージのズボンの裾をまくり上げた。
「斉藤、半分ずつ担当だ。お前はそっちのガキどもを見ろ」
「承知」
斉藤も同じように上着を脱ぎ捨てて水鉄砲を手にすると、子どもたちの半数を連れて川に入った。



水鉄砲は大好評だった。
プラスティックの小さな水鉄砲よりも太い水の弾道は、小さな川の向こう岸まで勢いよく届いた。
すぐにコツを掴んだ子どもたちは、川のこちら側とあちら側に分かれて水鉄砲合戦を始めた。
男の子も女の子も、そして大人も混じっての大合戦となった。


存分に水鉄砲で遊んだ後、恒子が用意したおにぎりを全員で食べて解散となった。
空高くからじりじりと容赦なく降り注ぐ熱で、家に帰るまでにはかなり日焼けをするだろう。
だが、川で目一杯遊んだ子どもたちは、太陽に負けじと元気よく家路をたどった。


近藤の道場へ戻る面々は、土方の自転車のサドルにはセイが、斉藤の自転車には総司が座り、近藤がその先頭を歩いた。
セイが大きなハンドルに捕まりながら、こっくりこくりと麦わら帽子を揺らす。
「おい、近藤さんちまですぐだ。着いてから寝ろ」
自転車を押しながら、土方がセイに声を掛けた。
「はーい」
自分がうとうとしていたことに気づき、セイはハンドルを握り直す。
セイが手を添えているのはハンドルの内側だ。
その外側にはがっしりした土方の手が置かれている。
よく見るとその手には細かい切り傷がたくさんあった。
水鉄砲を作った時に出来たのだろう。
きっと斉藤の手にも同じように傷が付いているに違いない。

セイは隣を歩く斉藤と、自分の傍らの土方を見上げた。
土方は頭からタオルをかぶって、口を結んだまますたすたと歩いている。
「えへへ」
「何だ」
セイの笑みに土方は怪訝そうな顔をした。
「おじさま、水鉄砲ありがとう」
「たいしたこたあねえよ」
ふんと顔を背ける土方に、セイはなおもにこりと笑いかけた。


近藤の家に着くと、全員で二階の畳敷きの部屋に転がった。
窓を開け放つと風が吹き抜け、冷房などいらないほど涼しい。
横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。


近藤と総司とセイは、夕方に目を覚ました。
器用度を買われて朝から水鉄砲作りにかかっていた土方と斉藤は、夕飯の時間まで眠っていた。
二人の手には、いつの間にかばんそうこうが何枚も貼られていた。




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