久遠の空 久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年1月拍手文

元日より愛を込めて



 「「あけまして、おめでとうございまーす!」」
 子どもたちの元気な挨拶が、土方のマンションのモニター越しに聞こえてきた。
 「おじさまー」
 「ひじかたさーん」
 画面いっぱいに迫ってくる笑顔。
 「トシ、開けてくれ」
 その後ろにはがっしりした道場主が立っている。
 土方は寝起きでぼさぼさの髪を撫でつけると、仕方なくオートロックの解除ボタンを押した。


 「いやー悪いなトシ、元旦の朝っぱらから」
 居間のテーブルの上に破魔矢を置くと、近藤はソファに腰掛けた。
 「本当にそう思うなら来るんじゃねえ。しかもうるせえの二匹も連れて」
 着替えを済ませ、コーヒーを近藤の前に出しながら土方は忌々しそうに総司とセイを見た。
 ゆうべは年末の格闘技番組を見た後に、某国営放送で除夜の鐘が鳴るのを聞いて、 録画したまま見ていなかったブルーレイを見てから床についた。
 仕事も近藤の道場の手伝いもない元日はゆっくり朝寝坊をしようと決めていたのに。
 うるせえの、と言われながらも子ども二人はにこにこしている。それが土方の口調だと知っているからだ。

 「何しに来たんだ」
 子どもたちの前に日本茶を置き、土方は自分もコーヒーを手にして近藤の正面に座った。
 「初詣に行った帰りだよ。年末も松本先生はお忙しいからセイちゃんはうちで預かって、  総司もうちに来たいって言うから一緒に預かって。で、初詣」
 コーヒーを飲みながら近藤が答えた。
 「それで何で俺んちに来なきゃならねえんだよ、真っ直ぐ家に帰ればいいだろ」
 理由になるか、と土方は眉を顰めた。
 「だって帰り道だし、恒子がさ、“土方さんおひとりでしょ? だったらうちでご飯食べるように誘ってあげたら” って言ってたから」
 「そりゃあどうも」
 近藤の妻である恒子の心配は有り難いが、土方は静かな正月を過ごそうと決めていた。
 「おひとりでも困っちゃいねえよ。稽古始めには顔出すからって恒子さんに言っといてくれ」
 土方はにべも無く断った。
 「えー」
 「えー」
 セイも総司もブーイングだ。
 「茶ぁ飲んであったまったら帰れよ。恒子さんが待ってんだろ」
 土方は素っ気無く言うと灰皿を持ってベランダへ出た。

 「いいじゃないかトシ、どうせ予定もないんだろう?」
 近藤もベランダに出てきた。
 「なくて悪かったな。だがついていく義理はねえ」
 ふー、と晴れ渡った空に白い煙が吐き出される。
 さすがに元日だけあって車の往来も少なく、街は静かだ。
 青い空の向こう側に、白く化粧をした富士山が聳え立っている。
 高層マンションの最上階に位置する土方の部屋からは冬の寒い日にはいつでも富士山が見える。
 が、元日のそれは特別な威容を誇っていた。

 「なあトシ」
 近藤が手摺に凭れて話しかけた。
 「お前も知ってるだろう? あの子たちのことを」
 「…ああ」
 ベランダの二人は急に大人の顔つきになった。
 室内でテレビを見て笑っている子どもたちの目からそれは見えない。

 「セイちゃんは両親を亡くして松本先生に引き取ってもらったのはいいが、先生もご多忙だ。出来る限り可愛がってくれてはいるが…」
 セイはすでに家族を失い、父の親友であった医師の松本順に引き取られた。松本は大病院の家系に生まれたが町医者になった。 学会などには顔を出し、最新の医療を小さな診療所に持ち込むための努力を惜しまずに行動しているので忙しく、家を空けることも多い。 そんな時にはセイは近藤の元に預けられる。松本の診療所兼自宅は近藤が開いている剣術道場の近所であり、道場で怪我人が出るとよく 松本のところへと運び込まれていた。
 土方も先代の頃から近藤の道場に通っていて、稽古中によく怪我をして松本に看てもらった。セイが引き取られてきた経緯も知っている。

 「総司もだ。親が再婚したからって子どもの身で気を使って…」
 総司は総司で父が病気で他界してから母親が再婚した。新しい父親は総司をとても可愛がってくれている。褒めもすれば叱りもしてくれる。 まるで本当に実の親子であるかのように。
 が、総司は昔から通っている剣術道場の主である近藤に懐いていて、まだ実の父が存命の頃から近藤家に出入りしていた。父が病気で入院し、 母が付き添いでいなくなる寂しさもあったのだろう。そして父が亡くなり母が再婚すると、ますます道場に入り浸るようになったのである。 本人いわく、“おかあさんとおとうさんのじかんをつくってあげたいから”なのだそうだ。

 「俺は同情しねえぞ。何があっても、ガキであっても、それがそいつの運命だ」
 土方は空を眺めながら灰皿に灰をとんと落とす。
 「それは俺だって同じだ。俺がどう思ったところで総司やセイちゃんの身の上は変わらない」
 近藤も青い空を見据える。
 高く澄んだ空は、人間の営みなど知るよしもない。

 「だが、ちょっと手伝ってやることは出来るだろう?」
 近藤はそう言って土方の肩に手をぽんと置いた。
 土方は近藤へと視線を向ける。
 「あの子たちが少しでも寂しくないように、一緒に出掛けたり、飯を食ったり。それだけしか出来ないが、それでいいじゃないか」
 土方と視線を合わせた近藤はえくぼを浮かべて笑った。
 「ああ、頑張れよ」
 煙を風にたなびかせて土方が言う。
 「何言ってんだ、お前もだよ」
 近藤は掴んだ肩を揺すった。
 「俺もかよ」
 土方は面倒くさそうに目つきを険しくする。
 「またまたそんな態度して。本当はお前もそうしたいくせに」
 「ば、そんなこたねえ」
 近藤が肩から手を離して肘でどつくと、土方は灰皿を落とさないようにしっかりと持ちながらそっぽを向いた。


 「先生ー」
 「おじさまー」
 その時ベランダのサッシが開いて、総司とセイが顔を出した。
 「お外でさむくないですかー?」
 「これどうぞー」
 そしてふたりは開いたサッシの隙間から、湯飲みをにゅっと二つ突き出した。
 それは先ほどまで二人が飲んでいたものだった。

 土方は子どもたちが家に来る時(押しかけてくるんだ、と土方は言う)、子どもの体には悪い物だと必ずベランダに出て喫煙する。
 妙なところで律儀なのだ。
 冬の時期、ベランダはとても寒い。それなのに土方は自分たちを気遣って外で煙草をくゆらしている。
 テレビのCM中にその後姿を見て、セイたちは温かいものを出そうと相談した。
 が、まだ子どもである二人は、家主である土方の断りなく家の中のものに触ることは禁じられている。
 火の元やポットなどは勿論だ。火傷でもされたら大変だ。
 だから自分たちに出してもらった茶を渡すことしか出来ない。
 しかも落ちたら危ないとベランダに出るのも禁じられているから、少しだけ開いたサッシの間から差し出しているのである。


 「クソ寒いのにそんなぬるいやつが飲めるか、ガキどもが」
 土方は灰皿に煙草を押し付けた。
 「トシ」
 せっかく子どもたちが気を利かせたのに、と近藤は言いかけた。
 「ホラ行くぞ、恒子さんに熱いやつ淹れてもらう」
 土方はそういい捨てて、ガラッとサッシを大きく開けると中へ入った。
 ぱあ、とセイと総司の顔が明るくなった。
 「グズグズすんじゃねえ。早くコート着ろ」
 壁のコートハンガーから革のコートを取って腕を通すと、土方は鍵と財布を持ってさっさと玄関へ向かった。
 「はーい」
 「わーい」
 「まったく、トシは照れ屋なんだなあ」
 子どもたちは嬉々としてその後を追い、近藤は戸締りを確かめてから苦笑いを浮かべて玄関へ行った。



 「かっちゃん、そこの道、右に曲がってくれ」
 近藤の車に乗り込んだ土方は、大通りに出たところでハンドルを握る近藤に頼んだ。
 「ああ、いいが…どうした?」
 「酒屋に寄ってく。手ブラじゃ行けねえよ」
 「そんな気を使わんでも」
 「いいから寄ってけ」
 そう言って土方は助手席のシートに深く沈み込んだ。
 近藤はハンドルを切り、指定された道を曲がった。

 「お前らは上だ」
 「「えっ」」
 酒屋に着くと土方は、子どもたちを二階へと連れて行った。その店は一階は酒の量販店だが、二階は巨大な駄菓子屋なのだ。
 「これ持て」
 店内に入ると子どもたちは、お子様用の小さなプラスティックのかごではなく、大人が持つ大きなバスケットをひとつずつ渡された。
 「これ一杯になるまで選んどけ。俺は酒買ってくる」
 まだ幼いこどもたちにお年玉と言う現金を渡すつもりはないらしい。土方は子どもたちに対して、妙なところで律儀で固い。
 セイと総司が目をキラキラさせて土方を見上げると、土方は足早に一階に降りて行った。
 「あいつ本当に照れ屋なんだから。ほら、早く選んでおいで。トシが来たら一杯になる前に会計されるぞ」
 近藤はふふっと笑って子どもたちを促した。セイと総司は慌てて菓子の棚に駆け寄った。


 大きなビニール袋をそれぞれふたつずつかかえ、セイと総司は車に乗り込んだ。
 近藤がにこにこと笑顔を浮かべて土方に礼を言う。
 土方はまた明後日の方向を向いた。



 近藤家についた四人は、恒子の作ったおせちや雑煮を堪能した。
 そして元旦から押しかけてきた他の門人たちも交えて、ちょっとした宴会になった。
 普段酒を飲まない土方は無理やりお屠蘇を飲まされて、酔っ払って帰れなくなり、翌日の午後になってから自宅に送っていかれた。
 その土方の革のコートのポケットには、「おじさま ひじかたさん ことしもよろしく」とたどたどしい字で書かれたメッセージカードが入っていた。




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