久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年2月拍手文

 勝負! バレンタインデー!



 2月14日と言えば泣く子も黙るバレンタインデーである。
 近年では本命や義理のほかに友や逆と言ったバリエーションで、この寒い時期の悲喜こもごもを生み出す行事となっている。

 土方はこの日が苦手だった。会社の女性社員たちがこぞって土方にチョコレートを渡そうと必死になって来るからである。
 甘いものが得意でない土方は、毎年この日はぎりぎりの時間に出社、休憩時間はさりげなく逃げ回り、 仕事をきっちり時間内に終わらせて就業時間と同時に退社している。
 土方のデスクの上に勝手に物を置くことは厳禁なので、黙って置いておくことも出来ない。
 仕事同様隙のない動きに、女性社員たちでチョコレートを渡すのに成功した者はいなかった。
 今年はそれが土曜日であるため、土方は前日の金曜日に充分気をつけて行動し、今年もチョコレートを受け取らずに済ませることが出来た。


 が、そんな彼に唯一、毎年チョコレートを渡すのに成功している者がいる。


 毎週土曜日は近藤の道場で子どもたちの稽古がある。その手伝いをしている土方は、朝早く車に乗り込んで道場へと向かった。

 「やあっ!」
 「たーっ!」
 子どもたちの勇ましい掛け声と竹刀が勢いよくぶつかる音が道場いっぱいに響き渡る。
 一年で最も寒いこの時期にも、子供たちはもちろん裸足だ。
 近藤の厳しくも温かい指導の下、子ども達は皆真面目に稽古しており、上達も早い。
 その中には総司も混じっている。
 総司の剣筋は一際鋭い。
 幼稚園の年少組から通っていた総司は近藤の剣捌きに憧れ、小さいながらも必死に稽古を積んできた。
 まだ小学3年生ながら、時には小学生の高学年組に混じって練習するほどの腕前である。

 「もっと脇を締めて! 振りを素早く!」
 「そんなんで相手やっつけられると思ってんのか! もっと踏み込め!」
 道場主の近藤は、子どもたちの間を回ってひとりずつ指導していく。
 土方も手伝い、時には自ら手本を見せて子どもたちに教えを授けていった。


 「では本日はこれまで!」
 「ありがとうございましたー!」
 近藤の号令で少年たちは稽古を終えた。
 面を取った少年たちの顔は紅潮し、額から汗が流れ落ちている。
 そこへ、お盆に皿を載せたセイと、近藤の妻である恒子が入ってきた。
 「みんな、お疲れ様。セイちゃんがチョコレート作ってくれたわよ」
 「恒子おばさまといっしょにね」
 えへへと照れ笑いを浮かべてセイが男の子たちの輪にチョコレートの載った盆を差し出した。
 練習で疲れきった少年たちはこぞってチョコレートに群がり、口の中で甘くとろけるチョコレートに舌鼓を打った。
 去年までは小さな十円のチョコレートを配っていたセイだったが、今年、セイは恒子に教えてもらいながら頑張って作った。 市販のミルクチョコレートを湯煎にかけて溶かし、生クリームを加えて混ぜて成形する。 そして別に溶かしたチョコレートをつけてココアをまぶしただけの簡単なものである。
 恒子はセイが小学一年生になった去年の四月から、季節や行事の食べ物の作り方を少しずつ教えて始めていた。

 「総ちゃんにはあとでもっとあげるね」
 口の中でゆっくりと溶かしながらチョコレートを味わっている総司にセイがこそりと耳打ちした。
 「本当?」
 総司はそのおいしさゆえにもっと食べたいと思っていたので、ぱあっと嬉しそうに笑った。

 土方が道場の隅で防具を外していると、小さな足音が近寄ってきた。
 「おじさまも、どうぞ」
 土方がその足音に目を向けると、セイがお盆を持って立っていた。
 お盆の上にはもちろんチョコレート。
 しかしそれは少年たちに出したものよりもうんと大きかった。

 (でけえ…)
 土方は内心冷や汗をかいた。
 初めてセイが自分にチョコレートを差し出したのは確か彼女が3歳ごろのときだった。
 恒子が用意した小さなチョコレートを持って、もらってもらえると期待に満ちた目で自分を見つめてきた。 それを受け取らずにいられようか。それから毎年なし崩しに受け取らざるを得なくなっている。
 子どもサイズの小さいものであれば一口ですぐに食べ終わることが出来る。
 が、セイが差し出しているチョコレートは一口二口で食べきれるような大きさではない。
 甘さに耐え切れるだろうか、と土方は躊躇した。

 「あ!」
 と、セイの後ろから総司が声を上げた。
 「土方さんの、ぼくのより大きい…」
 「そ、総ちゃん。だっておじさまはおとなだから」
 総司は早く追加のチョコレートが欲しくてセイの後ろをついて来ていたのだ。
 じ〜〜〜〜っと恨めしそうな目つきで総司は土方を睨みつける。

 (そう言やこいつ、正月に駄菓子屋に行った時に甘えもんばっかり買ってやがったな…)
 土方は思い出した。年始に近藤の家に行く際に子どもたちにお年玉代わりの菓子を買ってやった時、 総司の買い物は砂糖が使われているものばかりが入っていたことを。
 総司の目がだんだんと険しくなる。
 土方は呆れた。甘いものなんかのどこがいいのだと。

 「あのなあ総司、たかがチョコ一つでそんなに目つき悪くしてんじゃねえよ」
 と土方はため息混じりに言った。


 ごとん、と皿が落ちる音が道場に響いた。
 皆がそちらを振り返った。


 セイが土方に差し出した皿を取り落としていた。
 その目にはいっぱいに透明な水が溢れている。

 う、とセイは小さく声を詰まらせた。
 「いっしょ、けんめい、つくったのに…」
 セイの口から言葉が漏れたと同時に、目からも涙がこぼれた。
 「セイ、おじさまに、たべてもらおうとおもってえ…」
 「お、おい」
 セイが突然泣き出したので、土方は慌ててチョコレートを拾うとしゃがみこんでセイの顔を覗き込んだ。
 チョコレートを丸める時は手の熱で溶けないように、手を冷やしておかねばならない。
そう聞いたセイは真面目に手を冷水で冷やしながらたくさんのチョコレートを丸めたため、手が赤くなっていた。
 その手を見た土方は、“たかが”という言葉を出してしまったことを後悔した。
 大勢の人数分のチョコレートを丸め、土方用の一際大きなものを丸めるのに、どれだけ手を冷やしたことだろう。
 土方にとってはたかがチョコレートだが、セイにとってはされどチョコレートなのである。


 「…セイちゃんを、なかした…」
 土方はセイの背後でゆらりと影が動くのに気がついた。
 総司が、先ほどとは別の空気を纏って肩を震わせていた。
 「セイちゃんががんばって作ったチョコをそんな風に言うなんて、いくら土方さんでもゆるせない!」
 総司はそう叫ぶと竹刀を二本持ってきて、一本を土方に突きつけた。


 「土方さん、ぼくと勝負してください! そしてぼくが勝ったら、セイちゃんにあやまってください!」


 「あのなあ総司…」
 勝負などせずとも今謝罪の言葉を述べようとしていたのにと土方はため息混じりに言った。
 「そうだそうだ! 土方先生、勝負しろ!」
 鼻息荒く竹刀を突き出す総司の後ろから、一人の少年剣士が囃したてた。
 「やれー! 総司、土方先生をやっつけろー!」
 「え? 沖田君が土方先生と勝負すんの?」
 「おもしろそうだなー、やれやれー!」
 他の生徒たちもわいわいと悪乗りして騒ぎ出した。
 「お前らなあ」
 面白がるんじゃねえよと言いかけたその時、近藤がやって来た。
 「いいじゃないかトシ。勝負してやれよ」
 「近藤さん、あんたまで」
 くだらねえこと、と言おうとして土方は口を噤んだ。
 ここでまたくだらないだと何だのと言ったら、目の前のセイがますます大泣きするに違いない。
 はあと肩を落とすと土方は立ち上がり、総司から竹刀をさっと奪い取った。


 「総司頑張れー!」
 「せんせいをやっつけろー!」
 外野の少年たちが総司を応援する。
 近藤よりも厳しい指導者である土方に総司が一矢報いてくれるかもしれないとの期待に満ち満ちている。
 土方は再度防具を身につけ、道場の真ん中に進み出た。
 総司も身支度を整えて土方に対峙する。
 近藤が審判に立った。

 「始め!」
 近藤の号令で二人は竹刀を構えた。
 周囲の喧騒も一瞬で静まり、冴えて澄んだ空気に変わる。

 土方は柄を握り締め、総司に竹刀の先を合わせた。
 総司の姿が面越しに見える。
 「…総司」
 土方は総司の発する空気を読み取り、打ちかかる前に声を掛けた。
 「そんな雑念だらけじゃ、俺は倒せねえぞ」
 総司が発するのは、怒り。
 土方のチョコレートが自分のものよりも大きかったこと、セイを泣かせたこと、そして土方をやっつけようと思う気持ち。
 様々な感情が総司の中に渦巻いているのが、土方には手に取るようにわかった。
 土方に言われて総司ははっとし、柄を握り直した。

 総司から立ち上る空気がじわじわと変化していく。
 理由はどうであっても、剣を交える以上は精神を研ぎ澄ませねばならない。
 セイは自分が泣き出したことでこんなことになってしまったので二人を止めようと思ったが、しゃくりあげるだけで何も出来ない。
 隣に座る恒子がセイの手をそっと握った。


 二人の間に張られた緊張の糸が極限まで高まり、見ている者たちの息まで詰まってきたその瞬間。
 「はっ!」
 「やあっ!」
 二人は同時に床板を踏み込んだ。




 結果は、土方の勝ちだった。
 土方の胴が、総司の篭手より先に決まっていた。
 その強さに総司は思わず竹刀を取り落とした。

 「総ちゃん、総ちゃん、だいじょうぶ?」
 勝負が決まったところでセイが総司に駆け寄った。
 「うん、大丈夫。それよりごめんね、負けちゃった」
 面を取り、総司は項垂れてセイに謝った。
 「ううん、総ちゃんがけがしてないならいい」
 セイは再び涙ぐみながら総司の手をさする。

 「俺に勝とうだなんて十年早えんだよ」
 土方が二人に歩み寄った。その手には先ほど落としたチョコレートを載せた皿があった。
 土方はチョコレートをひょいとつまみあげると、ふうっと息を吹きかけてからむしゃむしゃと食べた。
 「あ、おじさま、おとしたのたべたらおなかこわすよ?」
 セイが土方の手を掴んで止めたが、すでにチョコレートは全部土方の口の中に収められてしまった。
 「ちゃんと吹いたし、三秒以内に拾ったから平気だ」
 本当はもっと秒数が経っていただろうが、そんなことはどうでもいい。
 内心甘すぎると思いながらも、土方はチョコレートを無表情で食べきった。

 「悪かったな」
 土方は口の周りを手の甲で拭うと、セイの頭を大きな手でくしゃくしゃと撫でた。
 「おじさま…」
 セイの泣き顔が笑顔に変わる。
 周りで見ていた生徒たちにも安堵の空気が漂った。


 「よかったわね、セイちゃん」
 恒子がハンカチでセイの涙を拭った。セイはこくりと頷く。
 「そう言えばセイちゃん、ディスニーランドに行きたいって言ってたわよね。土方さんに連れて行っていただいたら?」
 「あ?」
 「いいの?」
 土方は眉を顰め、セイは目を見開いた。
 「今のお詫びに連れて行ってあげなさいよ」
 恒子がハンカチを畳みながら土方を見る。
 「今謝ったじゃないですか、何で俺が」
 土方は反論した。
 「女の子を泣かせた罪は重いのよ、土方さん」
 恒子はにっこりと笑った。が、その目に宿る光は温かいものではなかった。
 「…はい」
 土方はしぶしぶ頷いた。

 「わーい! おじさま、ありがとう!」
 セイは土方にぎゅっと抱きついた。
 「おわっ」
 土方はその勢いによろけて後ろに手をついた。
 「じゃあトシ、頼むな。もちろん総司も一緒に」
 近藤が土方の肩にぽんと手を置いた。
 「な、あれもかよ!」
 思わず土方は総司を指差して声を上げた。お守りをせねばならぬのがもう一人増えるなんて冗談じゃない。
 「総ちゃんもいっしょだって!」
 セイは土方から離れると、顔中に笑みを広げて今度は総司に抱きついた。
 総司も嬉しそうにセイを抱きとめた。


 たかがチョコレート、されどチョコレート。
 土方は自分の失言を呪いながら、嬉しそうに手を握り合って喜ぶ子ども二人を見遣った。
 やはりバレンタインデーは悲喜こもごもを生み出す行事なのである。




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