久遠の空 久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年8月拍手文

残暑



夏休みも後半に突入したある日のこと。
近藤道場では夏休みの特別合宿が行われていた。


夏休みの宿題を片付けるという合宿を。


それは何年か前の夏、道場での練習が終わり、近藤が迎えに来た母親に子どもを引き渡したときのことだった。
「夏休みの宿題にまだとりかかってなくて困ってるんですよ」
と母親が近藤に苦笑いで言ってきた。

その子どもは道場に来るのはとても好きな様子だったので、近藤は教室のない日に宿題を持たせて道場に来させた。
そして近藤や恒子の手伝いを経て、その子どもは数日をかけ無事に宿題を終わらせることが出来たのである。

大好きな剣術の道場で宿題を終わらせることが出来た。
その話はあっという間に子どもたちの間に広まった。
次の夏休みには道場での練習後に皆が宿題を取り出し、近藤たちに教わる風景が繰り広げられた。

それ以来、道場で夏休みの宿題をやっつける行事は毎年行われていた。
片付けるのはドリルや絵、工作などだけで、自由研究や読書感想文などはヒントだけ与えて自宅でやらせている。
近藤たちの的確な指導と周りが皆頑張っているという環境のおかげで、
子どもたちは宿題を着々と片付け、残りの日数を楽しく遊んでいる。
今では夏休みの宿題の面倒を見てくれると言うだけで子どもを近藤道場に通わせる親もいるほどだ。
近藤は、少しでもかわいい塾生の役に立てると喜んでやっている。

「だからって俺まで巻き込むんじゃねえよ」
道場に備え付けの大きな冷房機の前に陣取り、土方は目を眇めた。
土方の前には学校から指定された夏のドリルを開き、算数のページに取り組んでいる子どもたちの姿がある。
「いいじゃないか、お前だって子どもたちの喜ぶ顔を見たら嬉しいだろう?」
近藤は笑顔で土方に言う。
すでに宿題が終わっているセイが麦茶を持ってきて土方に差し出した。
土方はそれを手にすると無言でぐいっと飲み干した。


「チワーす。ウルフ特急便でーす」
コンコンと道場の引き戸を叩き、人が入ってきた。
「あ、原田さん」
総司が顔を上げた。
そこには作業服に身を包んだ男が立っていた。胸には狼をかたどったワッペンが付けられている。
「よーう総司、宿題してっか?」
その男、原田左之助は、斉藤と同じくこの道場の出身であり、今は宅配業者に勤務して日々荷物を届けている。
「原田さん、こんにちは」
てててっとセイがやって来て、原田にぺこりと頭を下げた。
「セイも元気か? まあお前はもう宿題終わったクチだろうな。ほれ、お届けもんだ」
原田はセイの頭をひと撫ですると、廊下に置いてあった段ボールを二つ、中へ運び込んだ。

「お、今年も送ってきてくれたのか」
近藤は伝票に判を押し、目を細めて荷物を見た。
これは農家をやっている恒子の親戚が毎年届けてくれるスイカだ。
段ボールのふたを開けると、大きなスイカが二つずつ入っていた。
「よし、川で冷やしてこよう。トシ、ちょっと留守番頼むな」
近藤は早速スイカを箱ごと持つと、もうひと箱を原田に持たせて道場を出て行ってしまった。

「あ、おい、かっちゃん!」
土方は慌てて立ち上がった。が、すでに遅かった。
子どもたちが土方を囲み、宿題のわからないところを教えてくれるよう目で訴えている。
(俺一人でこの人数を見ろってのかよ…)
土方は首から下げたタオルで汗を拭う。
「おじさ…土方先生がひとり先生ね。みんな安心して土方先生に聞くといいよ!」
セイが眩しいほどの笑顔で皆に言う。
皆は期待に満ちた眼差しで、一斉に土方に視線を向けた。
(こ、この野郎、余計なことを)
土方はセイに心の中で毒づいた。
が、セイは何の悪気もなくにこにことして土方を見上げている。
土方はその表情に何も言うことが出来ず、子どもたちの行列を消化していくほかなかった。


近藤たちが道場へ戻ってくると、子どもたちは黙々と宿題に向かっていた。
土方はぐったりと壁にもたれ掛かっている。
「ただいまトシ。すっかり面倒みてもらってすまんな」
炎天下を小川まで行ってきた近藤は汗だくだった。
「土方さん、夏バテかよ。こんな涼しいところにいるのによう」
同じように汗を滴らせて原田が言う。
クーラーの利いた道場で子どもたちの面倒を見るのと、
真夏の日差しの中、川までスイカを冷やしに行くのとどちらがマシか。
それを口にするほど野暮でもなく、土方は黙って二人を睨み付けた。


おやつの時間になると、川の木陰に沈めていたスイカはほどよく冷えていた。
勉強も一休みし、庭でスイカ割りをして切り分け、皆でかぶりつく。
「おい原田、お前こんなところでのんびりしていていいのか? まだ配達の途中だろう?」
三つ目のスイカに手を伸ばした原田に近藤が聞いた。
「ああ、今日は荷物積むときに近藤さんちのがあるってわかってたから、
午前中にめいっぱい配達終わらせたんだよ」
がつがつと食いつきながら原田が答える。
「だったらカミさんところに顔出してやればいいだろ、遠いわけでもねえし」
こんなところで油売ってんじゃねえよ、と土方は言った。
原田の家は隣の市にある。妻のまさ代は妊娠中で、来月が臨月なのだ。
早ければもう産まれるのではないかと、近藤の妻の恒子も待ち望んでいる。
恒子は子どもが産まれたら祝いと手伝いに行くのだと、今からそわそわしていた。
「もちろん真っ先に顔出してきたさ。皆によろしくって言ってたぜ」
原田は種をぷっと皿の上に吐き出しながら言った。
その仕草を見て総司が真似をする。
こつんこつんと音を立て、種が皿の上で跳ねた。
セイもそっと皿の上に種を吐き出してみる。
少しだけ控えめな音を立てて、種が皿の上に落ちた。

「お前ら、行儀悪いぞ」
土方がじろりとそちらへ目を向ける。特に原田へ強い視線を送った。
「いいじゃねえかよう、たまには。よし、お前ら外に出ろ! 種飛ばし大会やろうぜ!」
すっくと原田が立ち上がり、庭へ飛び出す。
子どもたちはわーいと歓声を上げてその後に続いた。
「ったく、人が行儀悪いっつってる側から…」
土方が眉を顰める。
「いいじゃないか、子どもたちは左之助に任せて、お前は少し休んでたらどうだ?
子どもたちの勉強を見るの、疲れただろう?」
近藤はそう言って、自分も庭に出た。

確かに子どもの面倒を見るのは好きなほうではない。
剣道の稽古中もうるさいぐらいに細かく指導しているので、子どもたちから好かれているとも思えない。
なのに何故か子どもたちは自分のほうに寄ってくる。
ガキの考えることはよくわからねえなと思いながら、土方はスイカにかじりついた。

子どもたちからすれば、土方は厳しいがきちんとしている大人なのだ。
時々心に突き刺さるようなことを言われても、それが本当のことなので子どもたちはついてくる。
それが土方にはわかっておらず、首を傾げることになっているのだった。


「じゃ、俺は夕方の時間指定配達があるんで。産まれたらすぐメールするからよ」
原田はタオルで頭と顔をひと拭きすると、笑顔で出て行った。
「ああ、奥さんにもよろしくな」
近藤が道場の入り口で見送る。
子どもたちもその後ろからわいわいと手を振った。

「おじさま、お行儀悪くてごめんなさい。でもね、種飛ばし大会でね、女の子ではセイが一番だったの」
セイが土方の着ているTシャツの袖を引っ張って言う。
「そうか。まあほどほどにしておけよ」
土方がセイを見下ろし、頭を小突く。
「さあ、いつまでもサボってんじゃねえぞ。休んだら続きだ、続き」
土方は子どもたちを促して道場に入り、また冷房機の前に座った。
子どもたちは返事をして素直に勉強を再開した。



今年の夏休みも、近藤道場の生徒たちは全員無事に宿題を終わらせることが出来た。
親も子も、教える側も皆が喜んだ。約一名、疲れ果てた者がいたが。
そして夏休みの終わる頃、原田家に新しい命が誕生した。




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