久遠の空 久遠の空 拍手ありがとうございます。2009年4月拍手文

始まりの春



咲き始めた桜は三寒四温の中でゆっくりと花びらを開いていき、辺りを薄紅色に染めてゆく。
その色を愛でようと、多くの人が桜の名所と言われる場所へ集まる。

近藤たちもそれは例外でなく、毎年桜の花見に出かけている。
今年は上野の桜を見物に行くことになり、
近藤と土方、総司にセイの4人は、朝早く電車に乗って都内へと出かけていった。


上野に着くと、桜並木の間を通ってまずは上野東照宮に参拝し、上野動物園に入った。
開園したばかりの時間にもかかわらず、中は人でいっぱいだった。
親子連れもいればカップルもいる。
パンダはいなかったが、総司もセイもゾウや猿、ゴリラなど他の動物を観察して
その迫力や可愛らしさにくるくると表情を変えた。


園外に出るとちょうど昼になったので、
近藤たちは桜の木の下に移動してレジャーシートを敷き、近藤の妻の恒子が作った花見弁当を広げた。
総司とセイはすぐ弁当に手を伸ばした。
つやつやと光沢を放つお稲荷さんは、たっぷりとした煮汁が口の中いっぱいに広がり、ご飯に甘辛く絡まった。
唐揚げはショウガがほんのり効いていて、外はパリッと、中は柔らかく仕上がっている。
出し巻き卵もふんわりとした食感で、いつもながら恒子の料理の腕前は素晴らしかった。


「総司、りんご飴でも食べないか?」
食事が終わると近藤は総司に声を掛けた。
「はい!」
総司はぱっと笑顔を浮かべると靴を履き、近藤に手を引かれて、人ごみの向こうにある屋台へと紛れていった。

近藤は総司を連れてシートを離れる際、背中越しに土方へと目配せをした。
土方もその視線を受けて軽く頷いた。

土方は、自分の隣でお手拭を使って口元をぬぐうセイを見下ろした。
そしてゆうべ近藤からかかってきた電話の内容を頭に思い浮かべた。


昨夜、土方が会社から帰宅すると、家の電話の留守電ランプが点滅していた。
メッセージを再生してみると近藤からで、帰ってきたら電話が欲しいとのことだった。
土方は何事かと思いながら近藤に電話を掛けた。
恒子の取次ぎで近藤がすぐ電話に出て、用件を話し始めた。

先日、セイの養父である松本順から電話がかかってきた。
セイが剣道を習いたいと言っているとのことで、近藤はそれならうちでもちろん預かると申し出た。
「ぜひとも頼みてえとこなんだが…」
と松本は口ごもり、ややあってから続きを話し始めた。

松本がセイにどうして剣道をやりたいと思ったのかを聞いたところ、皆がやっているのがかっこいいからだと答えた。
が、どことなく様子が変だったのである。理由を言った後に、明後日の方向に目を逸らしていた。
その後も松本は何気なくセイに理由を問いただしてみたが、
返ってくる答えは同じで、何かを隠している態度もそのままだった。

「近藤、すまねえがお前、セイに本当の理由を聞いてみちゃあくれねえか?」
仮にとはいえ親子なのに情けねえことだが頼む、と松本は近藤に言った。
電話越しに頭を下げているであろう松本の姿を想像し、近藤はふたつ返事で引き受けた。

そして近藤は土方に電話をかけた。
「頼むよ、セイちゃんに理由を聞いてみてくれよ」
と近藤は土方に頼んだ。
「何で俺が。頼まれたのはかっちゃんだろ」
チビどもの面倒をすぐに押し付けるな、と土方は一蹴した。
「子ども達はお前のほうが言うこと聞くだろ? なんてたって大好きな“土方のおじさま”なんだから」
近藤は苦笑いをしながら土方に重ねて頼み、結局土方が折れた。
そしてこの花見の最中に何とか時間を作るから、セイに剣道を始めたい本当の理由を聞いてみてくれと近藤が提案してきた。


土方は軽くため息を漏らした。
はっきり言って面倒だ。別に本当の理由を聞きださなくてもいいのではないかと思う。
それを知らなくても、やる気さえあれば剣道は上達するだろう。
が、松本の気持ちもわからぬではなかった。
血は繋がってなくても親子なのだから、少しでも子どもの背に陰りが見えれば、それが何であるのか知りたいと思うのだろう。


「…剣道を習いたいと言ったそうだな。何故だ?」
セイにどう切り出そうかと土方は迷ったが、ストレートにそのまま聞くことにした。
「あ…うん…」
セイは土方の言葉にうな垂れると、膝の上でお手拭を握り締めた。

静かに風が流れ、ひらりひらりと桜の花びらが落ちてくる。

「あのね」
遠くに酔っ払いの喧騒を聞きながら、セイが口を開いた。
「つよくなりたいの」
「それは何故だ?」
やっと答えたセイに、土方は静かに畳み掛けた。
「…つよくなったら、なんでもやっつけられるんでしょ?」
お手拭をいじりながらセイは言った。
「セイ、つよくなって、“こうつうじこ”をやっつけたいの」
セイは大きな目で土方をぐっと見上げた。

セイは両親をいっぺんに交通事故で亡くしている。
土方はこの前の稽古が終わった後に、小学四年生の男子がセイに話しかけていたのを思い出した。
その時に、
「強くなったら何でもやっつけられるんだぜ」
と言っていたような気がする。
おそらくセイはそれを真に受けて、自分も剣道を習いたいと言い出したのだろう。
自分から家族を突然奪い去ってしまったものをこの世から排除するために。

「…そうか」
土方は水筒から茶を注いで一口飲むと、セイに語りかけた。
「でもな、いくらお前が強くなっても、“こうつうじこ”はやっつけられるもんじゃねえぞ」
「え…」
セイは握っていた手を開いた。お手拭はセイの膝の上をころりと転がると、ぼとりとシートの上に落ちた。
「やっつけ、られないの?」
セイの大きな目に涙が溜まってゆく。

「ああ、やっつけらんねえ」
土方はコートの胸ポケットを探って、煙草を取り出そうとした。
が、パッケージに触れたところでここは禁煙だったことを思い出した。

どこからか風に乗ってくる煙の匂いに内心舌打ちをしながら、土方は続けた。
「でもな、負けねえ心を作ることは出来る」
セイは目をごしごしとこする手を止めて、再び土方を見上げた。
「まけない、こころ…」
「ああ、どんなときにも踏ん張れる、強い心だ」
「つよい、こころ…」

セイは土方の言ったことを懸命に理解しようと、子どもの頭でぐるぐると考え出した。
その様子を見て土方は、何かもっとうまい言い方はなかったのかと自問した。

確かに剣道を習えば、作法や道場内での上下関係などで心が磨かれ、精神的に大きく成長できるだろう。
多少のことでは動じなくもなるだろうし、水鏡のごとき内面を作り出すことも出来る。
セイが両親を交通事故で失った悲しみや喪失感を、剣道の稽古だけで打ち消すことは出来ない。
しかし、新たな仲間との出会いや絆、剣道を通じての気持ちの育成は、必ずセイにとってプラスになるに違いない。

子どもであろうと、剣の道を歩む以上、理由を履き違えさせたくはない。
それを思っての土方の、彼なりの助言のつもりだった。


「わかったか?」
ぽろぽろと涙をこぼすセイに、土方はお手拭を拾って差し出した。
セイは何度も頷きながら、顔をぐいぐいと拭いた。


土方は頼まれた用件を済ませることが出来て、ほっとした。
と同時に、たったこれだけのことなのに、何だって近藤はいつもセイのことを自分に押し付けてくるのかとも思った。
セイが土方の言うことは素直に聞くことを見込んでの近藤の頼みなのだが、土方はまったくそれに気づいていなかった。


セイが顔を拭き終わった時、土方の携帯に近藤からのメールが届いた。
人ごみがすごくて席まで戻れそうもない、そろそろ帰る時間だし、その場所を片付けて引き払ってきて欲しい、
上野駅の改札で待ち合わせようという内容だった。

土方とセイは食べ終わった弁当とゴミをしまい、レジャーシートを片付けて上野駅へと向かった。
桜が舞い散る夕景の中、迷子になられたらたまらんと、土方はセイの手を握って人の波に逆らって歩く。

「土方部長補佐?」
土方は前から声を掛けられ、ふとそちらを見た。
同じ会社の女子社員たちがぞろぞろと連れ立って歩いていた。
「部長補佐、こんにちわ! まさか社外でお会いできるなんて…」
「お花見ですか? 私たちも…って、部長補佐、この子…」
女子社員たちはきゃあきゃあと土方に声を掛けたが、土方が手を引いているセイを見て一瞬口を噤んだ。

「ま、まさか部長補佐、隠し子…」
「おい待て、誰が誰の隠し子だ」
「恋人の気配もないなんて、おかしいと思ってたんですよね。こっそり奥さんがいたんですね…」
「…何故そういう話になる…」
「違うんですか? …じゃあもしかして部長補佐、ロリコ」
「それ以上言ったら、来週からの仕事がとんでもねえことになるぞ…」
「いやー、土方部長補佐コワーイ!」


騒ぐ女子社員たちを尻目に、土方はセイをひきずるようにして早足で上野駅へと向かっていった。



セイの本当の気持ちを知った松本は安心し、電話越しに近藤に礼を言った。
近藤はまた何かあったらいつでも言って欲しいと告げ、電話を切った。

一方、今回の聞き込みの立役者だった土方は、週明けに出社してみると、
社内の女子社員たちから妙な視線で見つめられ続けた。
人の噂も七十五日と言うが、それまでこの状態なのかと土方は肩を落とし、
始業早々喫煙所に向かった。



セイはその後、剣道を習い始める。
しかしこの時はまだ誰も想像していなかった。
小学生の時にはへっぴり腰だった彼女が、体の成長が止まると同時にめきめきと腕を上げ、
高校生になるとすぐ全国大会で優勝し、「花の阿修羅」と異名をとるほどになろうとは。




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