久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年10月拍手文

呱々の声いつなりしか



 「はァ…」
 西本願寺の敷地内に立つ、北集会所。
 その階段にどっかりと腰を下ろし、溜息を付いているのは十番隊組長、原田左之助だった。

 「原田さん、どうしました?」
 その前を、箒を持った清三郎が通りかかった。
 「いやー…」
 いつもは過ぎるぐらいに騒々しいこの男にしては珍しく、物憂げな顔で溜息を付いている。
 ぼんやりと虚ろな目で高い空を見据えながら。



 「子が欲しい…」



 「はあ?」
 原田の呟きに、清三郎は小さく聞き返した。
 「子が欲しいんだよ、神谷ぁ」
 原田はぐるっと首を回して神谷を見つめた。

 「作ればいいじゃないですか、原田さんにはおまささんという歴とした奥様もいらっしゃることですし」
 事も無げに清三郎は言った。
 そう、原田には先年娶った名字帯刀御免の呉服商の娘・まさがいる。子を成すことに何ら支障はないはずだ。
 なのに何故この男は悩んでいるのだろうと清三郎の方が悩んでしまう。

 そりゃあそうなんだけど、と原田は続けた。
 「この前な、巡察の途中で家の前を通ったから、まさがどうしてるかと思って覗いてみたんだよ」
 「はぁ…」
 幹部には屯所の近くという条件付で営外居住が認められている。原田もまさとの自称“愛の巣”を近隣に構え、そこから通っている。
 確かに屯所からは近いし巡察の経路の途中にもなっているが、だからと言って隊務の最中に自宅に寄るのは職権乱用なのではないか。
 そう思ったものの、清三郎はあえてそこにはツッコまずにいた。

 「でな、こっそり中を見てみたら、まさがよお…」
 ううっと原田が泣き出しそうな顔になった。
 「台所で、うつむいて立ってたんだよ。あれはきっと俺がいなくて寂しいに違いねえ」
 原田はそこまで言うと、腕で目の辺りをごしごしと擦った。

 そうかもしれない。
 隊務は不規則なる事もある。仕事によっては何日も家に帰れないことも。
 だが、清三郎は知っている。つい先だってまさと偶然道端で会った時に立ち話をして、
 「家に居ると煩くて敵わん。いっそずっと屯所にいてもろてもええって思う時あるで」
 とまさが言っていたのを。

 寂しいに違いない、と言うのはほとんど当たってないのではと清三郎は思った。
 原田と一緒になって早一年、疲れや実家への思慕などでまさの顔がそのように見えたのではないだろうか。

 「だからよ、きっと子が出来りゃあ、あいつも寂しくねえと思うんだ」
 原田がすっくと立ち上がった。

 清三郎は、ごちそうさまと心で呟くと手にした箒を動かし始めた。
 空気が乾き冷たくなってきた今日この頃、枯葉が集会所の前に吹き寄せられてくるようになった。
 油断しているとあっという間に庭が枯葉だらけになってしまう。清三郎はまめに枯葉を掃き清めることにしていた。

 「こんな感じのよ、かわいい手ェした、俺によく似た男の子がいいなあ」
 よっこいしょと原田は身をかがめ、清三郎が集めた枯葉の中から一枚の紅葉を拾い上げた。
 燃えるように赤い、五つの葉を広げるそれは、原田に子どもの小さな手を連想させた。
 「あー欲しい。子が欲しい」
 原田はぼそぼそと清三郎の背中に向かって呟いた。

 「でもよ、俺今までちいせえ子どもと接したことあんまりねえんだよな。こんな俺でも子って育てられんのか?」
 原田は心配そうに地面に“の”の字を書いた。
 「大丈夫じゃないですか?ご自分のお子さんですから、嫌でも可愛がると思いますよ」
 清三郎は言葉半分にしか聞いてなく、ありきたりな返事をするにとどまった。
 「そう思うか?でも心配だな…」
 原田は地面を掃き続ける清三郎の後姿を見上げた。

 「そうだ!」
 再び原田がばっと立ち上がった。
 「清三郎お前、子を産め!」
 「…ハァ?」
 原田の突然の台詞に、清三郎は固まった。
 「俺に子が出来るまでに、お前の子で扱い方の練習をする!我ながらいい考えだ。だろ?」
 ずんずんと原田は清三郎に近づき、得意そうに鼻を鳴らした。
 「ど、どこがいい考えなんですか!馬鹿馬鹿しい、大体私は男ですよ?」
 無理に決まってるじゃないですか、と清三郎は食って掛かった。
 「でもお前は如身遷でほとんど女子の体になっちまってんだろ?だったらいいだろが」
 原田は全く悪びれる様子がない。

 「相手なんか総司辺りでいいからよ、どうだ?」
 原田はにやっと笑い、清三郎に詰め寄った。

 「おきっ…」
 ぼんと音でも立てたかのように清三郎は赤くなった。
 総司が相手で、自分との間に子が出来る。
 清三郎の頭の中に、都合のよすぎる未来が次々と浮かんできた。

 「なーいいだろ神谷ぁ」
 そうねだる原田の声で清三郎は我に帰った。
 「む、無理です!そんな馬鹿なこと起こり得ません!」
 清三郎はざくざくと地面を掘るように掃いた。土の上に竹箒の線が太く引かれてゆく。
 「いいじゃねえかよー、練習させろよー」
 原田は気持ちが悪いほどに清三郎に食い下がった。

 「原田さん、しっつこい!」
 清三郎はとうとう頭にきて、持っていた竹箒で原田の頭をぽかりと殴った。
 無防備だった原田はその衝撃に頭を抑えて座り込んだ。
 「いってーな!何も殴るこたねえだろ?」
 涙目で原田が訴える。
 「原田さんこそ、馬鹿なこと言うのも大概にして下さい!そんなこと、私でなくてもお断りするに決まってます!」
 清三郎は阿修羅のごとき空気を纏って原田を怒鳴りつけると、庭掃除もそこそこに立ち去ってしまった。
 後に残された原田には、秋の澄んだ空気が吹き付けてきた。




 秋が終わり、身も凍るような寒さに皆が震えて火鉢の前を陣取る頃。
 まさの懐妊の知らせが隊内にもたらされた。
 誰もが祝福の言葉を掛け、清三郎もあの枯葉の時期の出来事を思い出してほっとした。
 と同時に、まさが台所でうつむいていたのは、つわりの始まりだったのかもしれないとも思った。

 時が経ち、生まれたのは原田が望む通りの男の子だった。
 やはり原田の育児はからっきしらしく、「高い高い」以外では全く役に立たないと、 妻であるまさは清三郎に向かってぼやいた。

 (練習…)
 清三郎はまたあの時の原田との会話を思い出し、育児の練習させてやる機会を作るべきだったのかとか、
いやまさかそれは出来ないとか、頭の中をぐるぐると様々な思いでかき乱されるのであった。









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