久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年5月拍手文

問わず語り



 「うわあ、見事な藤棚・・・!」
 清三郎は感嘆の声を上げた。
 その隣で斎藤はふっと微笑んだ。



 斎藤は会津藩の隠密行動の途中に、一服入れるのを装って茶屋で同じ隠密の者からの報告を待っていた。
 葦の影でこの季節にしては暑い気温を遮り、額の汗を拭う。

 茶をもらい口に含んで、ゆっくりと喉に滑り込ませながら相手が来ていないか周りを見回す。
 すると遠くに紫色の藤棚が広がっているのが見えた。

 ここを動くわけにはいかないから遠目で見るしかないが、かなり横に広いようだ。
 あれだけ見事なら、清三郎に見せてやったらさぞかし喜ぶであろうに――――

 「斎藤殿」
 斎藤は声を掛けられてはっとした。
 笠を被ったその相手は、自分が待っていた隠密だった。
 ひと言ふた言交わした後に、小さく折られた紙をさりげなく受け取って掌に握りこむ。
 相手はそれを確認すると立ち上がり、元来た道を戻っていった。

 斎藤は紙を広げ、中身を改めた。
 知りたかった情報と、次の行動の指示が手短に書かれていた。
 斎藤はそれを瞬時に頭に入れると紙を小さく千切って握った手の内側に隠した。

 次の活動地点へ移動しながら、握りこんだ手の隙間から密書を時々散らす。
 斎藤の後ろに、風に乗った紙片がひらひらと舞う。
 今は任務中だ。
 この任務が終わったら清三郎を連れてここへ来ようと斎藤は思い、笠を目深に被り直した。



 そして数日が経ち、うららかな日差しのある日。
 三番隊の朝の巡察が終わった後、斎藤は清三郎を外出に誘った。
 総司が近藤の護衛で黒谷へ行っていていないのを承知で。
 時間を持て余していた清三郎はふたつ返事で了承した。


 先日見つけた藤棚の見える場所へ足を運んだ。
 周りは畑で、農家がぽつぽつと点在している。そのうちの一軒にくだんの藤棚はあった。
 遠い山は緑に萌え、湿り気の少ない空気が心地よい。


 「すまんが、お宅の藤棚を拝見したい」
 他人の家だ、いくら畑と繋がっている広々とした庭先に藤棚があるからと言っても、勝手に入るのはためらわれる。
 斎藤は開け放たれた土間の入り口から中へと声をかけた。

 「何じゃいの」
 奥から白髪交じりの老人が現れた。
 「こちらの藤棚があまりに見事ゆえ、少々の時間見せていただきたいのだが」
 斎藤はその姿を認めると、軽く会釈して相手に頼んだ。
 「・・・ん?」
 老人は斎藤の顔を見てはたと動きを止めた。

 そして。

 「つる!つるではないか!」
 斎藤にひしと抱きついた。

 斎藤は突然の事に目を白黒させ、清三郎の方を見た。
 清三郎もきょとんと目を丸くした。
 つる、つると連呼しながらますます力を込めて抱きつく老人が離してくれるまで、
 斎藤たちは固まったままになっていた。


 「いや〜、すまんかったのう」
 老人は恥ずかしそうに笑いながらふたりに茶を勧めた。
 「・・・別に」
 陽の暖かな縁側に通された斎藤はそれを手に取り、茶を啜った。
 「アンタがあまりにも死んだ女房に似とったもんだから、つい、な」
 そう言って老人は頭を掻いた。

 ふうと溜息をつき、老人は庭に目をやった。
 「あの藤棚は、わしの女房がこしらえたものでしてなあ」
 遠い目をしながら老人は語った。


 代々この地で長く田畑を耕してきたこの老人は、早くに嫁を迎えた。
 山ひとつ越えた場所にある神社の祭りで偶然見初めた女子と。

 働き者の妻と、三人の娘に恵まれた老人は、
 生活はいつもぎりぎりながらも幸せな日々を送っていた。
 年月はあっと言う間に過ぎ、娘たちはそれぞれ縁付いて親元を離れ、
 再び夫婦二人だけの生活になった。

 が、何年かして、妻が病に倒れた。
 徳川家康公もかかったと言われる癌だった。

 自分が先に逝く不幸を何度も詫び、程なくして妻は旅立った。

 「・・・その女房が、嫁いで来た時から大事に育てていたのがこの藤で」
 広い前庭に何もないのが寂しいと言って、妻は二本の藤をそこに植えた。
 子どもが生まれるごとに一本ずつ苗を増やし、全部で五本の藤が枝を伸ばすようになった。

 木は少しずつ大きくなって、棚を作るように頼まれて。
 枝が棚にからまっていくのを、やれ今年はあの上まできた、来年はどこまで伸びるのかと
 はしゃぐ妻を、この縁側から笑って眺めるのが好きだった。

 「本当に、アンタによう似とったわい」
 老人は目を細めて斎藤を見た。

 この太い眉毛と細い目。
 それが優しげな女子の輪郭に配置されているのを想像して、清三郎はぷっと吹き出した。
 「何だ」
 ぴくりと眉を動かし、斎藤は清三郎を見た。
 「い、いえ、何でもありません、何でもっ」
 清三郎は堪えきれずにあちらを向いて笑い出した。

 「娘たちは皆嫁に出てしもうたし、形見の藤もわしと供に朽ちて行くばかりじゃ。
 ・・・今日は来てくれて嬉しかった」
 またいつでも寄ってくれと、老人は穏やかな口調で二人に言った。




 「あー、すてきでしたねえ」
 帰る道の途中で清三郎は斎藤を見上げて言った。
 「そうだな、見事な藤だった」
 気に入ってもらえてよかったと斎藤は心の中で安堵した。
 紫の花が天を染めるように垂れ下がる、
 その様の感想を話しながら斎藤は少しだけ清三郎の後ろに下がった。


 初めて出会った頃よりも少し伸びた背。
 稽古で形作られてきた肩。
 軽やかな音を刻む足。
 そしてだんだんと幼さを消してきた顔つき。


 その全てがたとえ沖田さんに向けられていようとも、俺はアンタを守るだろう。
 藤の枝を支える棚のように、静かにこれからも寄り添っていくだろう。
 アンタはただそこに咲いていてくれさえすればいい。


 「兄上、置いてっちゃいますよー」
 いつの間にか清三郎との距離が離れた。
 斎藤は黙って足を進め、すぐに清三郎に追いついた。

 「あの、ちょっとだけ寄り道していってもいいですか?
 帰り道においしいお団子屋さんがあるんです」
 言わないが、総司への土産に違いない。
 斎藤は何も言わずに頷いた。

 ありがとうございます、と清三郎は花のように微笑み、
 兄と慕う斎藤の腕に自分の腕を絡ませた。









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