久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年3月拍手文

山笑う



新選組は男所帯である。
多少の綺麗好きがいたところで、屯所内が常に整理整頓され清潔に保たれているわけではない。
松本良順法眼の有り難いお言葉のおかげで、幾分かは皆それぞれ片付けなどをするようにはなったが、
それでも女子ほどきちんとするわけもなかった。

セイは隊務の合間を縫って、屯所の中を掃除して回っていた。
今日は隊士部屋のうち二つを、とか、今日は厠、など。
所詮セイ一人の力ではいたちごっちに過ぎないのだが、やらないよりマシだった。



この日は幹部棟の近辺を掃除しようと思って、桶とボロ布を抱えて廊下を歩いていた。
局長である近藤はいつも喜んでくれるが、副長の土方は勝手に部屋に入るなと言って嫌な顔をする。
二人ともそんなに散らかしたり汚したりすることはないので、畳と高いところをさっと拭くだけだ。

廊下の向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。
セイは目を凝らす。

「おおっ、清三郎ではないか」
伊東甲子太郎だった。
セイは内心、げ、と思いながら頭を下げた。
「伊東参謀、こんにちわ」
「ああ、今日も美しいね清三郎。もしかして僕に会いに来てくれたのかい?」
伊東は満面の笑みを浮かべながらセイの側に寄った。
「い、いえ、ちょっと掃除を・・・」
そろりと下がりながらセイは返事をした。
「掃除かい?ご苦労だね。君のお陰で、お借りしているこの集会所が美しいのだね」
伊東は微笑みながらセイを見下ろした。

「い、伊東参謀はどこかへお出かけで?」
セイは伊東との距離を保ちながら言った。
「ああ、・・・いや、どうしようか考えながら集会所の中をうろうろしていたんだよ」
伊東は懐から扇を取り出し優雅な手付きで取り出し、ぱっと開いた。
「あ、扇お取替えになったんですか?」
セイがふと気がついて伊東に聞いた。
「そうだよ、よくわかったね清三郎」
少しばかり驚いたように伊東は言い、満足そうに眉を上げた。

「これは西本願寺の住職様からいただいたものでね、見てご覧、この墨の流れの美しいこと」
セイは伊東に差し出された扇を、少し躊躇した後に手に取って見た。
墨一色で京らしき山並みが右から左まで描かれており、その上から金粉がところどころに散りばめられている。
静寂な中にも気品溢れる雰囲気が醸し出されていて、送った住職の人柄が見えるような品物だった。

「へえ、見事なものですね」
セイは心底感嘆すると、伊東にそれを返した。
「そうだろう?住職様もなかなか典雅なお人なんだ」
伊東は扇を受け取ると、一度ぱちりと閉じて、また開いた。


「山笑う、という言葉を知ってるかい?」
再度扇を開き、その表に描かれている山を見ながら伊東は聞いてきた。
「山笑う・・・ですか?」
セイは聞いた事がない言葉に首を傾げる。
「もうすぐ春になるだろう?春になって、木に新しい芽が宿り、山の色が変わることを言うんだ」
そう言って伊東は頭をそちらに向けた。
セイもつられて同じ方向を見た。

西本願寺の塀の向こう側、空と地の境界線。
その山並みに伊東は視線を注いでいた。

遠い稜線を戴く山が、なんとなく今までと違った色合いに見えるのは気のせいだろうか。
ほんの少しだが、彩度が落ちていた緑に明るい色が混じってきたように思える。
言われれば確かに、色彩を増やしてきて賑やかな色合いになるのを笑うと形容してもおかしくはない。
「冬の山は、山眠る。秋は山粧うとも言うんだよ、清三郎」
枯れ落ちて生気を失ったように静まる冬を眠る、紅葉に染まった秋の山を粧うとは洒落た言い回しではないか。
清三郎は感心して首を縦に振りながら伊東の話を聞いた。


「ところで清三郎」
伊東がセイの方を向き直った。
「あの変わり始めた山々を見ながら土方君と三人で一献交わそうかと思いついたのだが、土方君を呼んできてくれないかい?」
広げた扇を口元に当て、伊藤はぐいと顔を近づけてきた。
「いいえっ、え、え、遠慮します!」
セイは桶を小脇にしっかり抱えるとざざっと後じさった。
「遠慮する事はないよ、君は私より年こそ下だけれども在籍が長いんだし、昔の新選組の話を肴に」
伊東はやんわりと笑いながら、清三郎との間を詰める。
「いーえ、本当に結構ですから!失礼します!」
セイはそれ以上近づかれないように伊東の顔の前に手を突き出すと、素早い身のこなしで振り向いて、
あっと言う間に廊下のあちらまで走っていってしまった。


余りの早さにしばし呆然としていた伊東は、ふと我に返ると扇をたたみ、懐に戻した。
そしてもう一本を取り出し、辺りにひと気がないことを確かめてそっと広げた。
(うっかりこちらを取り出さなくてよかったな・・・)
伊東は今しがた、西本願寺の住職と会って来た。
そこで住職を通じて、勤皇の方面から今夜話し合いをしたいと言う連絡があり、
待ち合わせ場所が扇に暗号で書かれていたのだった。

暗号になっている和歌を読んで場所を頭に入れると、伊東は扇を懐深く、帯で上から抑えるように差し込んだ。
(清三郎・・・いつもながら勘も観察力もいいことだ。三木もあの半分でも冴えていたら・・・)
何とも言えない気持ちで伊東は苦笑した。
そして鋭い目付きになり、自分の部屋へと戻っていった。



全力で走って井戸端まで来たセイは、はあはあと息を切らしながら振り向き、伊東が追って来てないことを確認した。
(はー、よかったよかった)
水を一杯汲んで飲みながら、幹部棟の掃除はしばらく先にしようと思った。

(でも・・・さすが伊東参謀だな)
山の移り変わり行く様を言葉にする術をご存知とは。
(腐っても幹部、ってところかな)
”腐っても”とは失礼かと肩を竦めながら、セイは口を拭った。
そして幹部棟近辺の代わりに、竹矢来の側の掃除をすることに決めた。
竹矢来の向こうからこちらから、お互いに見物し合っているので、その足元にゴミが落ちている事があるのだ。
セイは持っていたものを片付けると、西本願寺と屯所の間に堂々と立つ竹矢来の元へと歩いていった。



もうすぐ、京を取り囲む山は笑う。
新選組という大きな山はどうだ。
笑うのか、眠るのか。
それとも何か、別なものを粧うのだろうか。









inserted by FC2 system