久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年6月拍手文

身を知雨(みをしるあめ)



毎月三日間。
清三郎はお馬、つまり生理が来る度に、三日間だけ“妾宅”に戻る。
かつて自分の兄の、そして上司の恋人だった女性を、それぞれの男に託されたように囲っている。
ほかの日に会いに行っていないわけではないが、だんだんと少年らしい自覚を備えてきた同居人の正一に
目で追い返されるので、居続けの時でないとゆっくり会うことはできない。

正一の気持ちがわからないでもない。
彼女の、里乃の温かさは同じく女性である自分をも包み込み、訪れる度に男所帯ですさんだ心を癒してくれる。
その優しさを月に三日も、しかも自分を追い出してまで取られてしまうのは正一にとって耐え難いものなのだろう。
年端がゆかなくとも、男は男なのだ。
恋にも似たその思いを清三郎は可愛らしいと思いながらも、どうしても譲れない自分の事情のために
正一を犠牲にしていることを心の中で詫びた。



「雨かあ・・・」
梅雨空の昼下がり、午前中に沖田へと休みを申告した清三郎は集会所の階段を降りると傘を開いた。
里乃の家までは遠くはないが、強い雨足にげんなりした。
ただでさえ生理でだるい気分なのに、ますます憂鬱になる。

「あ、そうだ」
きっと里乃も雨で退屈していることだろう。
そして正一に至っては、この後、自分と同じように雨の中を八木の家まで行かねばならない。
清三郎は無聊に菓子のひとつも買って行こうと思い、足元の悪い中を回り道して行くことにした。


総司が新しく見つけてきた菓子屋で詰め合わせを二つ買った。
一つは里乃へ、一つは正一へだ。
子供だましと思われないように、紫陽花を象った落雁がきっちりとそろえられているものを選んだ。
これなら正一も喜んで受け取ってくれるだろう。
清三郎は二人がそれぞれ笑顔になるのを想像しながら里乃の家へと向かった。



「神谷じゃねーか?」
傘の先に人影が現れたと思ったら、声を掛けられた。
ふと傘を持ち上げてそちらを見ると、永倉がいた。
「あ、永倉先生」
「こんな雨の中、どこへ・・・って、野暮なことを聞くもんじゃあねえなあ」
にっと笑って永倉は言った。
彼も清三郎が月に一度の“逢瀬”に出かけることを承知している。
そのために清三郎が総司に勝負を挑んだことも。
散々からかわれたが、幹部でもない清三郎が妾宅を持つことを快く承知してくれた。

「土産か?」
風呂敷包みを指差して、永倉が問う。
「はい、雨で塞いでるだろうからちょっと」
清三郎は素直に答えた。
「そういうところ、うまいなあお前は。俺も今度、妓に会いに行くときにゃ使ってみるかな、そのテ」
永倉は顎をさすりながら感心したように言った。

清三郎は永倉を見上げた。
手が添えられている顎は無精髭に覆われ、無頼の徒さながらである。
頭も月代を剃らずに伸び放題にしている。
着物も着崩してだらしない感じだし、言葉づかいもよくない。
これで本当に松前藩の江戸定府取次役の嫡男なのだろうか・・・。

「ん?」
その視線に気がついて永倉は清三郎を見下ろした。
「何かついてるか?」
「い、いえ、何でもないです。あ、肩が濡れてますよ」
不躾な視線であっただろう、清三郎は慌てて話を別方向に振った。
「おっと・・・これが本当の水も滴るイイ男ってな」
傘の先から滑り落ちる水滴が永倉の肩に沁み込んでいた。
永倉はまたも笑って傘を斜めに構えた。

「ところで永倉先生はどうしてここに?巡察は三番隊と五番隊でしたよね」
清三郎が質問した。
いったいこの雨の中を何の用事だろう。
「あ?・・・へへへ」
誤魔化すように永倉は笑った。
「?」
清三郎は首を傾げて答えを待つ。
「いや、長雨だからよ、遊びに行くのもめんどくせえ時あるだろ?だから本でも読もうかと思ってよ」
本、と聞けば、ああ永倉先生はまじめなんだ、と思うだろう。
だが清三郎はピンと来た。

「・・・その本って、まさか」
「いやあ、絵本だよ絵本」
「絵本って、笑本とも書くアレでしょう」

清三郎は白い目で永倉を見た。
永倉は言い当てられてバツが悪そうに頭を掻いた。

絵本、笑本。どちらも発音は同じだ。
春画本のことである。

「まったくもう・・・」
ハァと清三郎はため息をついた。
「そりゃお前はいいかもしれねえけどよ、俺たち一人身は寂しいもんよ。絵なんかに慰められて」
そのため息に打ちのめされたように永倉は肩を落とした。
「じゃあ永倉先生もお相手を決めればいいじゃないですか、モテないわけじゃあるまいし」
時折滑稽な噂は聞くものの、花街における永倉の評判はそれなりによかった。
粋のいい江戸弁が似合っていて、素行もよく、遊びにも長けている。
西本願寺に移転する前には多少の借金を作っていたものの、それを借りた斎藤に返した後はきれいに遊んでいる。
だから妾宅を置こうと思えばそれなりの相手も見つけてこられそうなのに・・・。

「・・・神谷」
急に永倉はかがんで清三郎と視線を合わせ、低い声を出した。
清三郎は無意識のうちに身を震わせた。
「俺たちはな、いつ死ぬかともわからねえところで生きてんだ」
その言葉に、清三郎はかすかに頷いた。
「俺は、惚れた女を置いていきたくねえんだよ、ひとりぼっちでな」
だから妾宅を置かないのだと、遊ぶだけで充分なのだとその裏に含ませた。


「なんてな」
ぱっと顔を離すと、永倉は先ほどの人をくったような笑みに戻った。
「じゃ、俺は一人寂しく貸し本屋に行ってくらあ。里乃さんによろしくな」
平助の分もイイやつ借りてきてやっか、と永倉は言いながら通りを歩いて行った。
清三郎はその後姿を、角を曲がって消えるまで眺めていた。


確かに、置いていくのも置いていかれるのもごめんだ。
どちらも辛いことを、清三郎は身をもって、あるいはそうして逝ってしまった人たちの気持ちを鑑みて、知っている。

だからこそ自分はあの風に置いていかれることのないように、置いていくことのないように、強くなりたい。
この世から離れるのであれば、同じ戦場で、同じ時に死にたい。
そのために、こうして無理やり休暇をもぎ取ってまで鬼の棲家にいるのだから。


雨はますます強く降って来た。
たった三日の短い休暇が終われば、また修羅の日々が始まる。

ほんのわずかな安らぎの後を想像しながら、清三郎は里乃の待つ家へと急いだ。









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