久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年7月拍手文

甚雨七下(じんうななつさがり)



 黒く厚い雲から滝のような雨が降り注ぎ、地面は容赦なく打ち付けられている。
 土の庭は水分を吸収できる限界をとっくに超えて、あちこちに池のような水溜りを作っていた。

 地を叩く雨音をかき消すように、雷鳴が轟く。
 梅雨の終わりを告げる声が。
 その音は、清三郎の小さなため息など簡単に飲み込んでしまっている。

 今年の雨は長かった。
 いつもより早く雨の時期が訪れ、しとしとと降り続いた。
 たまに雨が途切れても曇りがちで、地面が乾かないところへ巡察を行えば、袴に泥が飛び散った。
 この鬼の棲家にマメなものはそういない。
 当然のように、清三郎に洗濯のお鉢が回ってくる。

 丸ごと洗ってしまっては乾かないから、泥が跳ねた部分だけをこすって洗い落とす。
 そして乾いた手拭いで水分を取り、火熨斗を当てて乾かす。
 当座はこれでしのぎ、梅雨が明けたら本格的に全部を洗うつもりだ。
 そう、この雷が収まって夏が到来したら。



 清三郎が火熨斗を片付けて部屋に戻ろうとすると、玄関に隊士たちがたむろしていた。
 人員を見ると、どうやら八番隊のようであった。
 順番に下駄を履いて外へと出ている。
 「これから巡察ですか、大変ですね」
 清三郎はその中の一人に声を掛けた。
 「ああ神谷か。全くだぜ、昨日ぐらいの雨ならたいしたことないのにな」
 昨日も雨だったが、今日のように土砂降りではなかった。
 清三郎も一番隊の巡察で出て行ったが、さほど濡れることもなく帰営できた。
 「しかもこんだけ雷がすごくちゃ、薩長の奴らも震えて家から出られないんじゃないのかね」
 体の奥まで揺さぶるような大きな轟を聞き、ははっと笑いながらその隊士は言った。

 「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。巡察は巡察だ。早く外へ出なよ」
 後ろから鋭い声がした。
 「・・・藤堂先生!」
 八番隊組長、藤堂平助が腕を組んで立っていた。
 稲光を受けて、平素は柔らかな表情が一瞬険しく照らし出された。
 「申し訳ありません組長、すぐに」
 「ああ」
 じゃあな、と隊士は言い、下駄をつっかけて外へ出た。

 「ったく、緩んでるなーうちの隊は。俺の指導がそんなにいけないのかな・・・っつ」
 眉間に皺を寄せた瞬間、藤堂は額に手をやった。
 「どうしたんですか?」
 清三郎は心配そうに藤堂の顔を覗き込んだ。
 「いったた・・・」
 藤堂は額に出来た傷を―――昨年、池田屋で追った刀傷を押さえた。

 「何だか雨の日は傷が痛んで・・・」
 もうとっくに塞がっており、普段は気にも留めないはずの傷が、雨が降ると引きつるように感じられる。
 一年も経つのに、その傷は今でも藤堂の額で自己主張を繰り返していた。

 「大丈夫ですか?」
 「うん、別に痛いだけで傷が開くとかじゃないからね」
 傷の周りを指でぐいぐいと揉みながら藤堂は清三郎に返事をした。

 そう言えば、と清三郎は着物の上から自分の胸元に手をやった。
 ほんの僅かにだが、自分も天気の悪い日に胸のやけどの傷が引きつることがある。
 藤堂ほど酷くはないようなのであまり気にしたこともなかったが。

 「誰か別の組長に代わってもらいますか?沖田先生なら今日は非番で・・・」
 と神谷が言いかけた。

 が。

 「大丈夫だよ。これしきのことで巡察に出られないようなヤワな体じゃない」

 と藤堂はかがんでいた体を起こし、式台を降りた。
 その目はすでに巡察へと赴く厳しいものに変わっていた。

 清三郎はそれを見てどきりとする。
 見ているほうからすれば、巡察などはただ練り歩き、見世を改めるだけだ。
 が、万が一そこに不逞の輩が潜んでいたら命を賭けて刀を抜かねばならないし、もしうっかり見過ごして
後に事件でも起こされたらと思えば、たかが見世の改めと言えども気も手も抜くことが出来ない。


 たかが巡察、されど巡察なのだ。


 「そういう時は、温まるといいと父が申していました」
 昔の古傷が痛む時、そんな時は風呂に浸かって温まり、血の流れをよくすると改善されると。
 「お風呂を沸かしておきますから、戻ってきたら入ってくださいね、藤堂先生」
 清三郎は敷居をまたぐ藤堂の背に言葉を投げかけた。

 「ありがとう神谷、ぜひそうさせてもらうよ」
 にこりと白い歯を輝かせて藤堂は振り向いた。
 そしてじゃあ行って来るよと軽く手を挙げ、傘を開くと豪雨の幕へと消えていった。


 雨だろうと雷だろうと、巡察は行われる。
 おそらく槍が降っても巡察に出ると組長たちは言って、隊士たちを促すに違いない。
 それがこの集団に身を置く覚悟なのだから。


 清三郎は風呂へと向かった。
 藤堂たちの隊が帰ってくるまでに湯を沸かしておくために。

 どうか今日の巡察も無事に終わりますように。
 落とす汚れが泥だけで、どうかそこに血しぶきの混じっていることがないように。
 そう清三郎は祈りながら薪を手に取った。










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