福よ来い「うわっ」 清三郎は降りしきる雪の中を、西本願寺の屯所まで戻ってきた。 門をくぐり、ぼたぼたと湿っぽい中を早足で階段へと向かう。 もうあと数歩と言うところで、頭上から何かがどさりと落ちてきた。 それは清三郎の歩いている先の雪の上に着地した。 清三郎が何かと思って見てみると、目籠であった。 目籠には竿がくくりつけられていた。 清三郎は雪避けにしていた手拭いの端を持ち上げて、上を見た。 白い雪の降る間隙に、黒々とした瓦葺の屋根が見える。 数日前のことだった。 もう新年の準備に取り掛からねばならないので、掃除を始めた。 行商の者から煤払い用の篠を買い、各部屋の伍長に配った。 一番隊は清三郎がいるので早々に掃除が終わり、他の隊士部屋の手伝いもしている。 そして、新年を迎えるにあたって、もうひとつやっておかねばならぬことがあった。 屋根に目籠を立てるのである。 この籠に、天から降る福を受け止めるためである。 天気がよかったその日、清三郎は屋根に上った。 「大丈夫ですかあ? やっぱり私が上りましょうかあ?」 下から総司が大声で清三郎に声を掛けた。 「大丈夫でーす!」 清三郎は同じく大きな声で返事をした。 ゆっくりと辺りを見回す。 この北集会所は五百畳も敷ける大きさである。 その屋根なのだから大きく、そして高い。 少し怖いが、最高の見晴らしである。 清三郎はさらに高いところまでよじ登り、屋根の棟にしがみついた。 そして腰に結びつけた縄をぐっと握って手繰り寄せた。 縄の先には目籠が結び付けられており、手繰るとそれが清三郎の元へ引き上げられるようになっていた。 総司は下で縄がからまないように少しずつ送り、籠が宙に浮くまで手で持った。 籠はするすると上に上がり、難なく清三郎の所へと届いた。 鬼瓦の真後ろに目籠をつけ、竿をしっかりと立たせる。 紐を鬼瓦にぐるぐると巻きつけ、きつく縛り付けた。 余った縄は小刀で切り、下に落とした。それを総司が回収した。 「これでいいかな」 清三郎は満足そうに笑うと屋根をそろそろと下りていった。 「ふふっ」 下りるときのほうが上るときよりも怖かったなあと清三郎は思い出し笑いをした。 前に進むときは進む方向を見ているので状況が確認しやすいが、 後ろに進むときは見られないので手で探り、足で探りして、いちいち後ろを見ながらになる。 清三郎は目籠を拾い上げて、逆さまに振った。 中から僅かに雪が落ちてきた。 きちんとつけたつもりだったが縛り方が弱かったのだろう、また上って取り付けなければならない。 目籠に視線を落とす。 自分が抱えられるぐらいの大きさでしかないけれど。 どうか、屯所の皆と分けられるような、たくさんの福が降るように。 この目籠いっぱいに。 溢れるほどの福が。 そして改まる年が、誰にとってもいい年でありますように。 清三郎はそう願わずにいられなかった。 「神谷さあーん」 階段の上から手を振る人影がある。 「沖田先生」 清三郎は止めていた足を動かし、そちらへと向かった。 「ああ、目籠落ちてきちゃったんですか」 総司は清三郎の着物についた雪を払いながら、その腕に抱えられている物を見やった。 「はい、雪が溶けてお天気がいいときにまたつけますね」 清三郎はそう言いながら、階段の横に目籠を置いた。 「で、どうでしたか?」 一番隊の部屋に入る障子を開いて総司が問う。 「きれいにしてきましたよ。石も磨いて、新しいお花も生けてきました」 清三郎が敷居を越えて中に入る。 今日は一番隊は今年最後の非番だった。 大掃除も早く終わっていたのはすでに述べたとおりである。 他の隊士たちが別の部屋を手伝っている間、清三郎はどうしても行きたい場所があった。 家族の墓である。 しばらく忙しくて行ってなかったが、年を越すのにそれではいけないと思い、 清三郎はひとり抜けて墓参りに行っていたのだ。 「ありがとうございました、これで父や兄も無事に年が越せると喜んでいると思います」 「いいえ、元々は非番なんですから気にしないでいいですよ」 部屋の中には火鉢が据えられており、清三郎と総司はその前に陣取った。 「あまり積もらないといいんですけどね。じゃないと目籠を付け直すのが遅くなっちゃいます」 「そうですねえ。次は私がやりましょうか」 「いいです、今度はきちんとつけますよ。福をちゃんと受け止められるように」 にこりと清三郎は笑った。 その口からは白い息が立ち上った。 「…福がたくさん入るといいですね」 総司も火鉢に手をかざしながら言った。 「みんなに行き渡るように、たくさん、ね」 そして清三郎と同じように、微笑んだ。 清三郎は、先ほど自分が考えていたのと同じことを目の前の男が口にしたことに、 ほんわりと心が温かくなった。 日頃は鬼と言われようとも、それは仕事上だけの話で、本当は人の心を持っている。 隊規に背いた者は処断されて当然だが、後に花を手向けたり、 厳しいこともあるけれども、女子の自分がこの鬼の棲家で生きていけるように気を使ってくれている。 この男が、本当は温かい、血の通った人であることを、知っている。 「…で、神谷さん。皆さんに今から福を行き渡らせませんか?」 「はえ?」 笑顔を変えずにそう言った総司に、清三郎は何のことかと首を傾げた。 「ほら、隊の皆さんは今、他のところにお掃除のお手伝いしに行ってるじゃないですか。 お疲れ様って甘酒の一つも作って配れば喜ぶと思うんですよね」 総司は眦を下げながら清三郎ににじり寄った。 「…それは先生がただ単に甘酒を飲みたいからじゃないんですか?」 総司の考えていることを瞬時に悟り、清三郎は冷たい視線を向ける。 「いいじゃないですかあ、私にも福を下さい。神谷さんのおいしい甘酒という福を」 ねえ、と総司はとねだるような目で清三郎を見た。 どうしてこの人は、無自覚にそのようなことを言うのだろう。 その言葉の中に、自分が心から嬉しいと思ってしまうようなものをいつも埋め込んでいる。 そんなことを言われたら、嫌だと断れない。 「…仕方ありませんねえ、まったく」 清三郎は立ち上がり、台所へと向かった。 釜の中で、とろりとした白い酒が湯気を上げる。 清三郎が木の玉杓子でかき混ぜる横で、総司が味見を貰って舐めている。 きっと来年もこんな調子に違いない。 清三郎の気持ちは届かないまま、向き合わない心のまま、総司と同じ方向を向いて並んでいるのだろう。 それでも、と清三郎はひとり微笑んだ。 それでも、共にいられる喜び。 それが自分にとって最大の幸福。 来年もどうか、この福がいっぱいに降ってきますように。 参考文献:『大江戸ものしり図鑑』 花咲一男監修 主婦と生活社 2000年 |