久遠の空 拍手ありがとうございます。2008年4月拍手文

空を飛ぶ草



 山南は夢を見ていた。




 暖かな春の土手をひとり歩いていた。
 多摩の浅川にも似ている景色だった。
 そう言えば京に上る前は、試衛館での稽古の後によくあの辺りを散歩したなと山南は思った。


 桜が道の左右にずらりと立ち並び、頭上にその花を揺らしている。
 薄紅色、桃色、桜色、退紅、灰桜。
 同じ花の中にも様々な色をその中に見つけ、目を楽しませながらゆっくりとその下をくぐってゆく。

 しばらく歩いていくと辺りは夕闇に包まれ、桜並木が途切れた。  山南が後ろを向くと、木々は遥か遠くになり、桜の花びらがはらはらと音もなく散り始めるのが見えた。


 花は桜木、人は武士。
 その形容の通りに潔く迷いなく桜は散り続ける。

 自分もそうでありたいと山南は思い、延々と地に落ち続けるそれを見つめた。


 山南は長くその様を見ていた。桜の枝からは際限なく花が落ち、散った花びらが地面に降り積もる。
 光一筋もない暗い夜の中、花びらだけが薄暗く存在感を放っていた。



 いつまで散り続けるのだろうと山南が思った時、地を覆った花びらがぼんやりと光り始めた。
 その光はだんだんと輝きを増し、桜も闇も飲み込んでゆく。
 あまりの眩しさに山南は袖で顔を覆って目を瞑った。


 光が止み、山南は袖を退けた。
 彼の目の前に広がった光景に山南は目を見張った。


 土手は命漲る萌葱色に覆われ、シロツメクサの白、オオイヌノフグリの青、つくしの茶色、タンポポの黄色などで彩られていた。
 確かに墨一色の世界にいたはずなのに、夢の中とはいえ展開の早さに山南は驚きを隠せずにいた。


 そしてタンポポの花が黄色から白へ、綿毛へとその姿を変えた。

 地面からふわりと風が吹き、綿毛はほわりと天色の空へ飛び立った。


 白く小さな綿毛は青い空を漂いながら風に揺られてどこまでも高く昇っていく。
 その様子を見ている山南の脳裏に、ある言葉が浮かび上がった。


 風に教える草になれ、と。


 女子の身で鬼の棲家に住まうあの娘に向かって、自分が言ったあの言葉。
 つかみ所がなく自由に飛び回る風のような男に恋をする彼女に、  草になってその身を揺らし、風の存在を知らしめるように諭したことを思い出した。



 草だって、その身を変えることを知れば、こうして風と共に飛ぶことができるじゃないか。



 あの娘は、自分は草だから、風についていくことはできないと言った。
 しかし草にも色々な草がある。ただ地面にしがみつくだけでなく、茎を伸ばし、花をつけ、実を空に飛ばす事だってできる。

 彼女がそうであればいい。
 地において空を仰ぎ葉を揺らすだけでなく、空を飛ぶ術を身につけて、風と共に飛べばいい。
 そして時には風も凪ぐように、地に落ちて休みを得たらまた若葉をつけて背を伸ばし、風に誘われ飛ぶ時を待てばいいではないか。



 山南はこれが夢であることを自覚していた。
 目が覚めたら彼女に教えてやろう。
 草にも飛ぶ方法があることを。


 山南は、意を得たりと笑って空を見上げた。



 「・・・?」
 セイは山南の笑う気配を感じて衝立の向こうから顔を出した。
 眠る横顔の口元には笑みが宿っている。

 自分が山南の小姓になってからずっと観察していたが、山南は睡眠があまり取れていない。
 病がちであることも影響しているのだろう。
 だが今は安心したような顔で、深い眠りに入っているようだ。
 よかった、とセイの顔に安堵の表情が浮かんだ。
 セイは再び衝立の影にその身を戻し、山南から借りた本の続きに目を落とした。




 山南が目を覚ますまであと少し。
 それは長い秋の夜に訪れた、


 ほんの僅かな春の宵夢。













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