久遠の空 勸酒 〜涼〜

勸酒 〜涼〜



 夏の気配はとうに過ぎ去り、秋の風情が漂う季節。
 暖かい日もあれば涼しい日もあり、一日の中でもまた気温の差が激しくなってきた。

 夕暮れ。
 烏が鳴き、赤く焼け落ちた空に黒い点となって飛んで行く。
 街は昼間の喧騒を潜め、ざわめきながらも落ち着いた空気に変わって行った。
 そして店先には提灯の灯りがともり始める。


 この日、新選組の幹部たちは、京のとある料亭で接待を受けていた。
 数日前この店に押し込み強盗が入った際、巡察で通りがかった井上の隊が強盗を追い散らした。 賊は取り逃がしたものの、料亭の女将は井上たち六番隊に厚く礼を述べた。そこへ黒谷からの帰りの 近藤と土方が通りかかり、井上が経緯を説明すると、女将はぜひ幹部の人たちを招いて一席設けたいと 言ってきたのだ。
 近藤たちはもちろん断ったが、主人に先立たれ自分の腕一本で店を守ってきた女将にとっては、今や飛ぶ鳥を 落とす勢いの新選組と関りを持っていて損はなかった。


 宴席が始まり、粒揃いの女たちが銘々に酒を注ぎ始めた。
 色取り取りの料理が並んだ膳。女たちの舞。奏でられる美しき調べ。
 何もかもが気遣いにあふれ、過不足無くもてなしの時間が流れて行く。
 その場にいる誰もが――鬼の副長として恐れられている土方ですらも――柔らかな女性らしい雰囲気の漂う場に満足し、ゆったりと過ごしていた。
 ただひとりを除いては。

 沖田は困惑の表情をうっすらとその面に浮かべていた。
 原因は自分の隣に座る、この料亭の女将の娘である。






 店を助けてくれたお礼にと開かれたこの宴に、当然ながら料亭の一人娘である彼女も駆り出されていた。
 今までにも何度か母の大切なお客様のお見えだという時には座敷に出てきたこともあったが、今回は何と言っても新選組である。
 彼女の耳には、新選組が人斬り好きな粗暴者という噂しか流れてきていなかったから、今日の宴席には出たくなかった。

 しかし実際、接待の席に出てみると、局長の近藤は弁の立つ冷静な指導者であり、副長の土方は大変見目良く浮ついたところのない男であった。
 他の組長たちも、少しはハメをはずす者もいたが、想像していたような無頼の徒ではなく、娘は大いに安心した。

 その彼女が皆の観察を終えた時、部屋の障子がすらりと開いて沖田が入ってきた。巡察があったので一足遅れての到着だった。

 「すみません、遅れました」
 沖田はにこやかに笑い、土方の隣に設えられた自分の席に着いた。

 走ってきたのであろう、上気した頬。
 少しだけ乱れた髪。
 それを掻き揚げて撫で付けるしぐさ。
 仲間から仕事が終わった事に対する労いの言葉をかけられてこぼす笑顔。

 娘はそのすべてに一目惚れしてしまったのである。

 それまで酒を注いでいた井上の側を離れ、沖田の横にちょこんと座った。
 「お、おいでやす」
 桃色に頬を染め、娘は頭を下げて挨拶をする。
 「遅れてすみません、今日はお世話になります」
 間近で沖田が笑顔を返した。
 浅黒い肌に白い歯が光る。
 娘はさらにのぼせ、震える手で沖田の杯に酒を注いだ。




 娘は沖田に酒を注ぎ続けた。
 酒が嫌いなわけではないが、特別に好きというわけでもない。
 それに話し掛けても相手はぼーっと自分の顔をみて、はい、とか、ええ、とか、短い返事しかしない。
 沖田はさすがに困ってきた。

 隣に座る土方に小声で助けを求めても、にやにやと笑うばかりで何もしてはくれない。
 だんだんと近くに寄り、今となってはしなだれかからんとする娘を、沖田はどうしようかと溜息をついた。


 その時ふと、彼女の頭に光る簪に気がついた。
 しゃらりと上品に揺れる飾りの見事なこと。
 室内の灯りを受けて静かにそれは光っていた。

 「素晴らしい簪ですね。どこで手に入れられたのですか?」
 思わず吸い寄せられるように簪を覗き込む沖田。
 それを自分に対する行為だと勘違いした娘は、とろけるような心地で沖田に返事をした。
 「こ、これは、うちに出入りの簪職人から買うたものどす」
 聞けば彼女はかなり簪に凝っているらしく、家業が繁盛しているのに飽かせて職人を出入りさせているらしい。
 「今日もいくつか届けに来てくれはって、今別のお部屋でおもてなしさせてもらってるんどすえ」
 やっと緊張が解けて会話らしい会話を交わせるようになったことに沖田は安堵した。
 「そうなんですか・・・もしその職人の方が他にもお持ちなら見せていただきたいなぁ」
 沖田は困惑の表情から解放され、笑みを見せながら娘に願い出た。
 「へ、へぇ、では今呼びますんで、あちらのお部屋へ」
 娘は自分が先に立ち、沖田を伴って部屋を出て行った。
 後ろでは、総司のヤツやるじゃねぇか、という冷やかしの声が上がった。



 隣の部屋に入った沖田は、別室で飲んでいた簪職人を呼び、作品を見せてもらった。
 娘はいそいそと自分の部屋に戻り、今まで集めた簪の数々を持って沖田の元へ戻った。
 沖田はたくさんの簪を目の前にしてその出来栄えに感嘆した。
 銀の、あるいは塗りの細い棒に様々な意匠がつけられている。
 それは花であったり鳥であったり。
 はたまた赤い珊瑚の玉が幾つも連なって揺れたり、丸い玉が簡素に鎮座していたり。
 男の沖田には細かい楽しみ方は分からないが、どれも手のかけられたものであるのは理解できた。

 「どれも素晴らしゅうおすやろ」
 娘は並んだ肩が触れるほど接近し、先ほどまでのよそよそしい空気を脱いだ沖田にますます心を奪われ、目の縁まで朱に染めて沖田を見つめた。
 「ああ、これ・・・いいですねぇ」
 沖田は娘の収蔵品から一つを手に取った。
 小さな花を模った銀細工が静かな光を反射している。
 娘もそれが一番のお気に入りだった。

 「これに似たものはありますか?」
 沖田が職人に問うと、目の前に花の細工をつけた簪が並べられた。
 一つずつゆっくりと見る沖田。
 彼を見つめる娘。

 「すみません、これを下さい」
 沖田はそのうちの一つを取り上げ、職人に所望した。
 まるで本当に咲いているかのような桜の花と、今にも綻びそうな蕾の装飾。
 まだ春には遠い季節だが、桜の咲く頃の暖かさを思い出すような、そんな品物だった。

 「これを・・・」
 沖田は布に包まれたそれを大事そうに見つめながらぽつりと呟いた。
 まさか、これを自分に・・・。
 娘は夢見ごこちで沖田を見上げた。

 「贈ったら、あの人は喜んでくれるのでしょうか」

 遠い目をして、まったく別の方を見ている沖田。
 その様子を見て娘ははっとし、顔を曇らせる。

 一瞬で始まった恋は、一瞬で潰えた。



 娘は一人で座敷に戻ってきた。
 「おや、総司は・・・沖田はどうしましたか」
 徳利を持ってやってきた娘に、近藤が尋ねた。
 「今しがたお帰りになりました」
 ほんのりと笑い、娘は答えた。そして、振られてしまいました、と近藤にこっそり耳打ちをした。
 瞬間、近藤は目を丸くしたが、目の前の娘がどうぞと傾ける酒を受けた。
 娘の表情は柔らかく、吹っ切れたような爽やかな笑顔だった。




 沖田はいいものを見つけて満足した足取りで料亭を出た。
 酒で火照った体に吹き付ける夜風が心地良い。

 あの人にこれを贈ったら、きっと顔を真っ赤にして怒るだろうな。
 私は女子じゃありません、武士ですって。
 笄つきの大刀の時ですらあれだったもの。

 でも、たまにはいいじゃないですか。
 あなたは紛うことなき女子なんだから。
 たまにはこうして贈り物をしてもいいでしょう。



 懐に抱かれた簪は、きっとしばらく日の目を見ることはないだろう。
 だが、いつかその意匠と同じ花びらが咲き誇り、ひらひらと舞い散る中で、綺麗に着飾った彼女が自分の呼ぶ声に振り返る。
 そんな光景を想像しながら、沖田は月の光が降り注ぐ道を独歩して行った。










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