久遠の空 青天の誓い

青天の誓い



 厳寒な冬の真っ只中。
 空は寒さで痛いほど晴れ渡り、時折白い雲が薄く流れていた。
 ほとんどの草木は目に見える活動を停止し、いずれ来る春のためにじっと眠りについている。

 日野では「天王さま」と呼ばれる牛頭天王社、時代が変わると八坂神社と改名される社に、三人の男の影があった。

 一人は近藤勇。
 後に新選組の局長となる男だ。
 もう一人は土方歳三。
 こちらも新選組の副長となり、「鬼の副長」の異名をとるようになる。
 いま一人は沖田総司。
 彼もまた新選組・一番隊組長に着任し、隊内最強の剣士として名を馳せる。

 これは、それよりもう少し前の話。


 三人は社に向かい手を合わせていた。
 「・・・いよいよだな、かっちゃん」
 歳三が白い息を吐き出しながら言った。
 「ああ」
 顔を上げ、勇が返事をする。
 まもなく彼らは清河八郎を頭として京に上り、上洛する将軍の警護にあたる。
 多摩の百姓が、大樹公の警護へ。
 徳川家への敬慕の念が厚い彼らにとって、これほどの名誉はなかった。

 どうかこのお役目が無事に果たせるよう。
 そう願ってこの三人は、まず高幡不動尊へお参りし、そして牛頭天王社へもやってきたのだった。

 「しばらくこの天王さまともお別れだな」
 勇は白い息をふーっと吐き出しながらつぶやいた。
 「そうだな」
 歳三も同じように息で口元を白くぼやかした。

 「そうだトシ、別れと言えば、お琴さんにはもう挨拶したのか?」
 ふと思い出し、勇は歳三に聞いた。
 まもなく上洛するにあたり、婚約者であるお琴にしばしの別れを告げなくてはならない。
 ここ数日、歳三と一緒に挨拶回りをしていた勇は、歳三がお琴に会っていないことを知っていた。
 「・・・まだだ。これから言ってくる」
 歳三はいささか間を空けて言った。

 「これからかですか、長い別れの時間になりそうだなぁ」
 ひょいと総司が後ろから顔を出して言った。
 「うるせぇ、ガキが野暮言ってんじゃねぇよ」
 歳三が総司の頭を小突いた。
 「そうですね、春の夜に難しい話はしませんもんねぇ」
 総司は意味ありげに笑う。
 その言葉を聞いた歳三は、こめかみをぴきりと言わせて怒鳴った。

 「テメェ、また俺の発句帳を勝手に・・・!」
 歳三は顔を赤くして総司に掴み掛かろうとした。
 だが総司は身軽に歳三の手を避け、社の裏に逃げた。
 「おい総司、どうしたんだ?」
 勇が二人を目で追いかけながら言う。
 「いえ別にねっ、たいしたことじゃありませんって」
 逃げる総司は目が笑っている。
 「かっちゃん、コイツまた俺の発句帳を読みやがった!」
 断りなく発句帳に触るんじゃねぇと何度言ったらわかるんだ、と歳三は総司を叱りながら追いかけた。

 その様子を続けて目で追いながら、勇は社の左側面に回った。
 そこには安政五年、西暦で言うなら一八五八年に奉納された、天然理心流の門人の名を記した額があった。
 遡ること五年前、三代目宗家近藤周助の名を先頭に配し、井上、佐藤といった年配の門人から若い門人、 最後にまだ元服する前の総司の名前、沖田惣次郎と、嶋崎勇――宗家を継ぐ前の勇の名前が記してあった。

 「あれから五年か・・・」
 五年の間に天然理心流を継ぎ、四代目宗家となったが、何も変わらなかった。
 五年あればなにかができたはずだった。
 ただいたずらに月日は流れ、徳川家のために何かをなさねばならぬという思いが募っていくだけの毎日に、  好機は突然訪れた。
 三月に将軍上洛があり、その警護のために浪士隊を募るという報が飛び交った。
 一も二もなく参加を決め、取りまとめ役の松平上総介や日野の名だたる家、世話になったさまざまなところへ  挨拶回りをし続けたこの数日。

 勇は、これからの自分を考えて武者震いした。

 「かっちゃん、何見てんだ」
 なかなか捕まえられない総司を、どこかの子どもが折って遊んだらしき枝を使って転ばし、 好きなだけ折檻を加えて気の済んだ歳三が勇の横に立った。
 勇は声を発せずに口元だけで笑うと、見ていたものを指差した。

 「あァ、三国志の彫刻か」
 「・・・トシ」
 「かっちゃんは好きだもんな、三国志」
 勇は奉納額を指したつもりだったが、歳三の目にはその後ろにある社の壁の彫刻が映ったようだ。
 社の各壁面には繊細かつ迫力のある彫刻が施されている。
 正面には昇り龍下り龍、側面の足元には今にも音を立てて流れてきそうな力強い波、同じく側面から張り出している板には中国の故事を 模したものを左右に、そして左側面にはかの有名な三国志演義の一場面、「桃園の誓い」が配されている。

 「お、奉納額」
 「いまさら何を・・・」
 やっと奉納額が目に入った歳三に、勇は苦笑いした。
 「んもう、やりすぎなんですよ土方さんは」
 総司が体のあちこちをさすりながら勇と歳三の元へやってきた。
 「あ、奉納額」
 今度は総司が額に目を留めた。
 「何年前でしたっけねぇ、これ奉納したの」
 懐かしそうな目をして総司が言った。
 「・・・これからの俺たちはあの頃とは違うぞ、総司」
 勇が真剣な眼差しで奉納額を見つめた。
 「俺たちは、武士になる」
 勇が静かに、深く、底から響くような声で宣言した。
 歳三と総司は同様に奉納額を見つめ、固く頷いた。



 「トシ、総司」
 勇がふたりの方を向いた。
 「何だ、かっちゃん」
 「何ですか、近藤先生」
 ふたりも勇の方を向く。
 「今から三人で、“桃園の誓い”をしないか?」
 勇ははにかんだように笑った。
 「はァ?」
 「桃園の誓いですか?」
 ふたりとも同じように驚いた。
 勇はそんなふたりを尻目に言葉を続けた。
 「いやぁ、せっかくこの三人が揃っているし、義兄弟の契りを結ぶのもいいだろう?」
 「俺たちに今更そんなもんが必要だとは思えねぇけどな」
 「いいですよ、近藤先生の言うことに賛成」
 「総司・・・」
 ひとりだけ呆れたような歳三を半ば置いてけぼりのようにして、  賛成した勇と総司は仲良く奉納額の前に立ち、額から木刀をはずした。
 「一本足りませんね」
 「ああ、どうするかな」
 奉納額には長さの異なる木刀が二振り掲げられている。
 形からして、天然理心流独特の木刀を模したものであろう。
 「総司、貸せ」
 ふいに横から歳三が、総司の持つ短いほうの木刀を奪った。
 「土方さん、何するんです」
 「テメェはこれで充分だ」
 歳三は先ほど総司に折檻を加えたときの枝を拾い、総司に投げてよこした。
 「ちょっと土方さん、乗り気じゃなかった人がコレを使ったらどうなんです?」
 総司は投げつけられた木の枝を受け止め、縦に持ってふるふると振った。
 「年上は立てるもんだ」
 歳三はうそぶくように上を向き、総司に背を向けた。
 ちぇー、と総司は仕方なさそうに枝をくるりと回しながらも、勇の隣に立った。

 三人で円を作るように内を向き、勇が手にした木刀を天高く突き出した。
 ほかの二人もそれぞれ木刀と枝を、勇の木刀の中央よりもやや先端に交わるようにして差し出した。
 「我ら三人、生まれた時は違えども」
 勇の気迫のこもった声。
 「願わくば、同年、同日、同時刻に死ぬ事を誓わん」
 歳三と総司の、勇に勝るとも劣らない鋭い声。
 三人の宣言が空に吸い込まれるようにして消えてゆく。
 驚いた雀たちが社の彫刻の隙間から飛び立っていった。

 「・・・俺たち大人なのに、何を演義のマネしてんだ」
 木刀を下ろした歳三がぷっと吹き出した。
 「演義っておまえ、三国志をバカにするのか」
 勇がわずかに怒気を見せて言った。
 「いや、そういうわけじゃねぇんだけど」
 「まぁいいじゃないですか、これで私たち三人がより絆を深めたってことで」
 総司が勇を宥めるように笑いながら言った。
 「ちゃんとお琴さんのところへ行けよ、トシ」
 「うるせぇな、かっちゃん。兄貴と同じこと言うんじゃねえよ」
 「春の夜は・・・むずかしからぬ・・・噺かな・・・〜っと」
 「総司!」
 総司は再び歳三に追いかけられ、近藤はそれを見て笑う。
 生命が未だ眠る季節の最中に、彼らの青春時代が終わりを告げようとしていた。





 文久三年二月八日、彼らは親戚縁者に見送られ、江戸を発った。

 後の彼らの軌跡はご承知のとおり。
 壬生浪士組を経て新選組を立ち上げ、時代の波に飲み込まれながらも戦い散ってゆく。
 その最期は、
 五年後の慶応四年(一八六八年)四月二十五日、近藤勇、板橋にて斬首刑。
 同じく慶応四年五月三十日、沖田総司、病死。
 明けて明治二年(一八六九年)五月十一日、土方歳三、箱館にて戦死。

 彼らの死期はほぼ一年の間に義理堅く収められている。
 実際の劉備・関羽・張飛は四年の月日を隔てて死を迎えた。
 日野の誓いも濃密な絆に守られ、果たされたと言えよう。









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