久遠の空 甘い誘惑

甘い誘惑



 麗らかに春の陽の降る昼下がり。
 お昼ご飯をいただいて、庭に咲き始めた桜を愛でながら午睡。
 ああ、なんて気持ちいいんだろう・・・

 「沖田先生」
 腕を枕にして廊下に寝そべっていた私の肩を揺すったのは、
 「・・・神谷さん」
 薄く開いた寝ぼけ眼の隙間から、神谷さんが私を笑って見下ろしているのが 見えました。
 「先生、甘いもの食べに行きませんか?」
 中腰になって私を覗き込み、神谷さんは言いました。
 「あれ?珍しいですね、神谷さんからこんな早い時間におやつのお誘いとは」
 「・・・いけませんか?」
 いつもなら、お昼が済んだばかりなのにと私を諭すのに。
 でも、もちろんお受けしますよそのお誘い。
 「じゃあ腹ごなしがてら行きましょうか」
 私は起き上がって襟を正し、神谷さんの手を取って屯所を出ました。





 「今日はどこのお店に行きます?」
 私は甘いものに目が無いので、行きつけのお店をたくさん持っています。
 近くても遠くても構いません。
 新しいお店が出来たと聞けば即お伺いしますし、老舗は安心して長く通えます。
 私の甘味好きを見込んでお店の方々が、
 「沖田はんは剣の腕より菓子作りの腕磨いた方がよろしいんとちゃいますか」
 って言ってくれたこともあって、ちょっと真剣に考えたこともありました。
 ともかく、甘いものが大好きです。
 「“くまや”さんに行きませんか?」
 神谷さんが手を繋いだまま言いました。
 “くまや”とは、屯所からはちょっと遠いけれど味も見た目も申し分ない、私の中でおいしい甘味屋 さんを3つあげるなら確実にその3つに入るお店です。
 「そうですね、ちょっとご無沙汰してましたし、そうしましょうか」
 行き先も決まり、春の陽気も手伝って、私と神谷さんはいい気分で歩いていきました。





 「あれ・・・?」
 “くまや”さんに着いたことは着いたのですが、いつもと違う暖簾が下がっています。
 「驚きました?実は“くまや”さんはちょっと変わったんですよ」
 どうやら神谷さんは知っていたみたいです。
 「それで今日は神谷さん、私を連れてこようと思ったんですか?」
 私が聞くと、神谷さんはふふっと笑って返事をしました。
 私はとても嬉しくなりました。
 無類の甘いもの好きの私をこうして連れてきてくれたんですもの。
 入りましょう、と私を促して神谷さんは先に暖簾をくぐりました。


 「女将さん、こんにちわ」
 「あら沖田はん、お久しぶり。おいでやす」
 女将さんは軽く頭を下げて挨拶してくれました
 「お店、変わったんですってね。今度はどんなものを置いてるんですか?」
   神谷さんと対面で座り、出されたお茶に口をつけながら女将さんに聞きました。
 「へぇ、南蛮菓子をお出しするようになったんどす」
 「南蛮菓子を?」
 私はちょっと驚きました。
 南蛮渡来の甘味を京でですか?
 「今お持ちします」
 女将さんは会釈すると、お店の奥へ入っていきました。

 「南蛮ものって、どんなお品なんでしょうね」
 私は声を潜めて神谷さんに聞きました。
 「さぁ・・・」
 神谷さんは笑って首を傾げました。
 南蛮のお菓子なんて初めてなので、まったく検討がつきません。

 そわそわしながら待っていると、女将さんがお盆に何かを乗せてきました。
 「おまっとうさんどす」
 女将さんは微笑みながら、私と神谷さんの前に小さなお皿を差し出しました。
 お皿の上には、上に茶色い屋根のある黄金色の四角いものが乗っています。
 「これは何ですか?」
 「粕照、と申します」
 「かすてら」
 お皿を手にとってあちこちから眺め、匂いも嗅いでみました。
 和菓子とはまったく違う種類の香りがします。
 「沖田先生、お行儀悪いですよ」
 神谷さんが私の様子をみて苦笑いしました。
 「えー、せっかくのお品物なんだから・・・」
 私はお皿を卓に置き、添えられている楊枝のようなものを手に持ちました。
 「沖田はん、これでこうやって切って召し上がるんですよ」
 女将さんがお手本を見せてくれました。
 楊枝のようなコレで粕照を一口大に切り、先っぽに刺して。

 渡された粕照を口に運びました。
 「うわぁ、甘い・・・」
 口に入れて咀嚼した瞬間、じわりと蕩けるような甘いものが粕照からにじみでてきました。
 私は口の中で転がる南蛮の味をゆっくり楽しみました。
 「は〜・・・」
 喉をゆっくりと滑り落ちていく感触。
 おいしい。

 「ぷっ」
 神谷さんが突然吹き出しました。
 「なんです?」
 「だ、だって・・・沖田先生がうっとりしているの、おかしくって」
 どうやら神谷さんは粕照を食べている私を観察していたようです。
 「だっておいしいんですもの」
 いいじゃないですか、と私は笑いました。
 「沖田はん、お気に召しまして?」
 女将さんの問いかけに、私はもちろんと答えました。
 「お代わりありますよ」
 と女将さんが申し出てくれたので、遠慮なく持ってきてもらいました。

 5つほどいただいたところで、別なものが運ばれてきました。
 「こちらが金平糖、こちらが有平糖でございます」
 中央で二つに区切られたお皿には、右にいがぐりのようなとげのある丸いものが、左には透明な 楕円形のものが小さく山に盛られています。
 「“こんぺいとう”と“あるへいとう”ですか」
 金平糖は色とりどりで、口に入れるとしばらくそのままでしたがやがてとげの部分から溶け出し、 次第にそれが消えて丸くなって、小さい粒になっていきました。
 有平糖は口の中でころころと転がり、その形を保ったまま、甘い液体となって喉の奥に流れ込みました。

 「ごちそうさまでした。珍しいものをいただきましたよ、女将さん」
 「お粗末様どした」
 女将さんに向かって手を合わせて会釈すると、女将さんも私に会釈を返してくれました。
 「ところで、本当に南蛮菓子屋さんになっちゃうんですか?南蛮菓子もおいしかったけど、“くまや ”さんのさくら餅と塩豆大福、とても好きだったのに」
 そう、ここ“くまや”さんのさくら餅と塩豆大福はとってもおいしくて、必ずお土産を持って帰る くらいだったのに、残念です。

 しょんぼりしている私を見て、神谷さんと女将さんが顔を見合わせて笑い出しました。
 「何がおかしいんですよぅ」
 私は恨めしげな眼で二人を見ました。
 「ご、ごめんなさい先生。実は今日のこれは冗談なんです」
 「へ?」
 ・・・冗談?  冗談ってどういうことですか?

 「もう出てきてもよろしいんとちゃいますの?松本センセ」
 女将さんは店の奥の暖簾を上げて、中に声をかけました。
 すると、奥からなぜか松本良順法眼が出てきました。
 「松本法眼、なぜあなたがここに?」
 「よォ沖田、久しぶりだな」

 法眼は笑いながら私たちの席に近づいてきて、神谷さんの隣に腰を下ろしました。
 「奥からこっそり見せてもらってたぜ。相変わらず甘いものには目がねぇんだな」
 女将さんが運んできてくれたお茶を啜り、法眼は言いました。
 「ええ、でも法眼と今日のこれと何の関係があるんですか?」
 私が問うと、法眼が腕組みをしながら口を開きました。

 「今日はグレゴリオ暦で4月1日なんだよ」
 「ぐれごりお?」
 「西洋の暦だ」
 「はぁ」
 「この日は外国じゃ“エイプリルフール”と言って、嘘をついていい日なのさ」
 「へぇ〜」
 「そのことをこないだセイに言ったら、じゃあお前をちょっと騙してみようってことになってな」

 それで法眼の長崎留学時代のつてを辿って南蛮菓子を用意して、“くまや”さんに協力してもらって、 今日私をまんまと騙したという運びなんだそうで・・・。
 「え、じゃあ“くまや”さんが南蛮菓子屋さんになるっていうのは」
 「へぇ、からかいどす。堪忍え、沖田はん」
 女将は口元を袖で隠してくつくつと笑いました。
 「いいえ、全然!また“くまや”さんのおいしい和菓子が食べられると思うと嬉しいですよ」
 私は心から安堵してそう答えました。




 「沖田はんがそう言ってくらはると思て、お土産用意してありますえ」
 お持ちしますから、と女将さんは言って、お店の奥に行きました。
 「・・・沖田先生、すみませんでした騙して」
 神谷さんは少しだけバツが悪そうに言いました。
 「そんなことないですよ・・・ありがとうございます」
 「えっ?」
 神谷さんがちょっと驚いたような顔をしました。
 「だって騙すったって、私が喜ぶほうに騙してくれたじゃないですか。おいしい南蛮菓子も食べられ ましたし。ねぇ」
 お菓子もおいしかったけど、神谷さんが私のことを考えてこうしてくれて、私は本当に嬉しかったん です。

 「おい沖田」
 「はい」
 それまで黙っていた法眼に呼ばれ、私は法眼の方を向きました。
 「今日の南蛮菓子の礼といっちゃあ何だが、お前セイを嫁にとれ」

 ・・・よめ?
 ・・・嫁?

 「「えええ???」」
 私と神谷さんは同時に声を上げました。
 「ちょっと待ってください法眼、どうしてそういう方向に話がいくんですか?」
 「そ、そそそそうですよ!突然そんな話ッ」
 そしてふたりで同時に慌て始め、法眼に文句を並べたてました。
 「いいじゃねぇか、もう周りでヤキモキしてんのも面倒くせぇからよ、どうよここらでもう」
 「何をわけのわからないことを!」
 「そうですよ法眼!えいぷりる・ふーるだからってからかわないでください!」
 神谷さんの顔も真っ赤でしたけど、私もきっと真っ赤だったと思います。

 「別にからかっちゃいねぇよ」
 法眼は真顔でいいました。
 「「法眼!」」
 「・・・じゃあ聞くが、お前らこの南蛮菓子がいくらか知ってんのか?」
 法眼はおもむろに口元に笑みを作って顎に手を当てて言いました。
 「「・・・うっ」」
 私と神谷さんはやはりふたりして黙ってしまいました。
 「払えるのか?あ?」
 法眼はますますからかうよう顎を上げ、私たちを見ます。
 「「・・・」」

 「おまっとうさんどした・・・あら?お三方どないされたんどす?」
 女将さんがお土産の包みを持って、奥から出てきました。
 黙りこくる私と神谷さん。
 ニヤニヤしながら私たちを見る法眼。
 女将さんが不思議に思うのも無理はありません。

 おいしいものをあげると言われてもついていっちゃいけませんよ、と亡き母上の言葉が頭に浮かびました。
 私には生涯不犯の近いだけでなく、生涯不“甘”の誓いも必要なようです・・・。



    






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