久遠の空 死装束紅ノ乱 前編

死装束紅ノ乱〜シニショウゾクベニノラン 前編



「神谷さん、私と祝言を挙げてください」
と、総司は清三郎−−セイに申し出た。

病人とは思えないほど、
強く、ゆるぎない眼差しで。




総司の労咳が判明してから数ヶ月。
近藤の説得と土方の手回しで、
総司は隊務を離れ、静かに療養していた。
京都から大坂、そして江戸、植木屋平五郎宅へ。
新選組という大集団の生活から、看護人数人との生活へ。
その看護人の中には、愛しいセイも加わっていた。
どこから嗅ぎつけたのか総司の病のことを
知った彼女は、局長と副長に直談判し、
総司にここまで同行していた。

幕末の喧騒からは程遠い環境。
初めのうちは無理をして剣を振るっていたが、
いつしかそれも適わなくなり、
剣が木刀へ、そして竹刀へ。
今では筆を執るのもやっとになった。

せめて刀の手入れぐらいは自分で、と思っても、
体調の良い日を選ばないと体に障る。
その日は、久しぶりに刀の手入れ日和だった。




「はい?」
声をかけた相手は、自分の言葉が飲み込めて
いないようだった。
本当に突然だ。無理もない。
「だから・・・私と祝言を挙げてくださいって」
何度も言わせないでくださいよ、と
総司は顔を赤らめ、細くなった腕を上げて頭を掻いた。

セイも耳まで朱に染まり、
いやその、とか、病がついに脳まで、とか
妙な事を口走っている。
しかし、総司にとっては突然でも思いつきでも何でもなかった。

己の気持ちに気付いてから2年以上が過ぎた。
いつだってセイを大切に思ってきた。
そして新選組の活動も軌道に乗ってきて、
総司の人生の何もかもが満たされてきたところへ、この病。
青天の霹靂だった。

隊には結局何も残してくることができなかった。
仲間と共に、この動乱期を戦うことも、
共に戦場で死ぬことも。
あれほど大事にしてきた絆なのに。
何も、できなかった。

しかし、目の前にいるこの娘には。
何かしてやりたい。
近しく愛しい彼女にだけは。
そう考えたら、自分にできることはたった一つだった。




数日後。
平五郎宅で、ささやかな祝言が執り行われた。

セイの支度は、セイが総司に付いて江戸へ下ると
いう手紙を受け取り、心配して後を追ってきていた
お里が整えた。

祇園で芸奴を、島原で遊女をしていた頃の仲間の伝を辿り、
下着と小物は新品を用意できたが、
打掛と帯は一度使われた古着だった。
それでも、世間の情勢やセイのいる環境を
考えればよく用意できたものだった。

着付けをしているときに、お里は
「こんな急に・・・」と少し呆れたような口調
だったが、段々と「でも沖田はんやし」と
諦めたような感じになった。

「なぁおセイちゃん」
帯を結びながら、お里は聞いた。
「なぁに、お里さん」
とまどいの残る顔で、セイは答えた。
「何で婚礼の衣装が全部白なんか知ってる?」
「・・・ううん、知らない」

「祇園での芸のお師匠はんが教えてくれたんやけど、
昔、神事の時に祭主様が着る服が白やったんやって」
お里は帯を結び終えた。
「祭主様は葬儀の時にも白い衣装着てはったから、
そこから転じて花嫁の婚礼衣装は死に装束の白、
つまり祝言を挙げた相手の家で、一生を全うします
っていう意味なんやそうや」
帯の形を微調整し、お里はセイの前に回って顔を見た。

セイは、口を引き結び、先ほどとは正反対の、
覚悟を決めたようなきりりとして顔つきになっていた。
「おセイちゃん?」
「お里さん、ありがとう。いい話聞かせてくれて。
私、精一杯沖田先生にお仕えするから」
この、白無垢という名の死に装束で。




きゅっと高く結び上げられた文金高島田を綿帽子で隠したセイが左に座し、
療養中はおざなりだった身支度を完璧に整えた総司が右へ。
勿論、五つ紋の黒の羽織と、仙台平の縞袴姿で。
参列者は、お里と、幕府の御典医として江戸に詰めている松本良順、
そして植木屋平五郎の三人だけだった。

酒宴もお膳も、仲人も嫁入り道具も何も無い祝言だった。
ただそこに花婿と花嫁がいて、三三九度を交わすだけ。
総司の希望で、「杯は絶対にふたつ用意してください」と。
セイはそんなことは気にしたくなかったが、
総司にしてみれば、自分の病がセイに移らないようにするためには必要だった。

酒が杯に注がれ、まずセイが口にした。
花婿は、頬をほんのりと染めた花嫁を満足気に見た。
そして次に総司が己の杯を口元に運んだ瞬間。


突如、胸から熱いカタマリが込み上げてきた。








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