久遠の空 無形

無形



 出張手当が出た。
 捕縛は出来なかったものの、命令が出てすぐに出動し寺田屋を徹底的に捜索したことを伏見奉行所に評価されて、
ということらしい。
 奉行所から届いた金額は、こちらを莫迦にしているのかいないのか判断するのが極めてスレスレの金額だった。
 土方は苦い顔をしたが、近藤はありがたく受け取った。

 金は出動した一番隊に分配され、総司も組長としてそれなりの額面を受け取った。
 白い紙に包まれた、厚いとも薄いとも言えない手当を袂にしまい、総司は考えた。

 この金を、何に使おうか。

 考えようと思い目を瞑ると、すぐに浮かんできたのはセイの顔だった。
 (神谷さんには一時的な感情で申し訳ないことをしたなぁ。そうだ、何か神谷さんが喜ぶようなことをこれで)
 ぱっと顔を上げ、総司は一人微笑んだ。

 (どうしましょう・・・鍵膳のくずきりを思う存分食べさせてあげましょうか)
 いや、それは己が喜ぶだけだ。
 (あぁ、新しい笄を買ってあげましょうかね、大刀につける)
 いや、それはセイに「私は武士です!」と怒られて断られるに違いない。

 どんなに考えても甘味と装飾品のことしか着意しない総司は自分自身に落胆した。
 今まで女子の機微に疎かった己が恨めしい。

 しばらくの間ああでもないこうでもないと思案していた。
 なかなかよい考えを思いつく事ができなかった。

 総司は短く溜息をついて、この金を手に入れたそもそもの発端を思い出していた。
 坂本龍馬を追いかけて伏見は寺田屋へ赴き、不在だったために情婦の春に縄までかけて―――

 (そうだ)
 総司はすっくと立ち上がり、笠を片手に西本願寺の門をくぐった。
 「沖田先生、どちらへ」
 後ろから組下の相田が声をかけてきた。
 「ちょっと。夜の巡察までには戻ります」
 そう告げると総司はすたすたと歩いていった。




 まだ冷える旧暦一月の空気。
 だが一刻近く早足で歩いてきた総司はじんわりと汗ばんでいた。
 目的の建物が視界に入ったところで汗を拭き、袂のものを確認する。
 被ってきた笠の角度を整え、見世に入った。

 「すみません」
 式台の前に立ち、総司は奥へ向かって声をかけた。
 「はーい、ただいま」
 足音が近づいてきて、この見世の女将が出てきた。
 「いらっしゃいま・・・」
 女将はにこやかに応対しようとしたが、相手の顔を見て表情を固くした。
 「これはこれは、新選組一番隊組長の沖田様やないどすか」
 女将――寺田屋のお登勢は嘲笑うように言った。

 「・・・先日は妹がお世話になりました」
 笠の縁すれすれに顔半分を隠し、総司は軽く頭を下げた。
 「“妹”?・・・おセイちゃんのことでっしゃろ。兄妹だなんてとんだ方便どすな。ええ?沖田はん」
 そんな小道具で寺田屋のお登勢を騙せるとお思いかと言わんばかりにお登勢は吐き捨てるような口調で言った。
 「お陰様で今は妹と平穏に暮らしております」
 お登勢の嫌味を受け流して総司は続ける。
 「本日は才谷さんとお春さんは・・・?」
 「それを聞いてどないしはりますのん」
 お登勢の返事は疑問の形こそすれ、語尾は下がり、答えない事を暗に示していた。

 「これを」
 総司は袂を探り、紙の包みを取り出した。
 お登勢はその中身が何なのか瞬時に悟り、近藤も青ざめるであろう大声で一喝した。
 「何やのそれ!そんなもんいただく謂れはこれっぽっちもありまへん!からかいも程々にしてや!」
 両拳を握り締めて仁王立ちするお登勢に、総司は紙包みを差し出したまま言った。
 「金子は私からですが、気持ちは妹からです。才谷さんとお春さんのことを心底案じています」
 その言葉から、暗にこの度の寺田屋における騒動をセイが知っていることをお登勢は読み取った。
 「・・・受け取るわけおまへんがな、お引取り下さい」
 踵を返し、お登勢は見世の奥へ戻ろうとした。
 「話を聞いて下さい。・・・もうこれっきりにして欲しいんです」
 総司はお登勢の背中に話し掛けた。
 お登勢はぴたりと足を止めた。
 「神谷さ・・・いえ、妹は才谷さんたちと知り合って、お二方のことをとても大切に思い、お幸せになることを祈っています。
しかし私たちはもうこれ以上関りあうのはよくない。妹のためにも、お二方のためにも」
 総司が静かに語るのを、お登勢は黙って聞いていた。
 「これは坂本捕縛の件で伏見奉行所から出た出張手当です。もし妹がもらったなら、私と同じようにしたことでしょう」

 大好きな二人をお金に換算するような真似はしたくない。セイがそう言って笑う姿が頭に浮かぶ。

 「これでおいしいものでも食べてくださいとお伝えください。・・・そして今日を限りに、とも」
 総司は最後の方は脅すように声を低めた。
 ゆるゆるとお登勢が振り向く。
 「手切れ金、言うわけどすか」
 泣く子も黙る新選組一番隊組長を睨み付け、蔑む様な目つきでお登勢は言った。
 「そういう訳ではありません。もし金子がなくとも、私はいずれ同じように話しに来たでしょう」
 やっと笠の際から覗かせた目は冷たく光っていた。
 冷え冷えとした視線を向けられ、お登勢は背筋を凍らせた。
 ・・・これが新選組最強と謳われる、沖田総司の真の姿―――

 「・・・わかりました」
 お登勢はふぅと息を吐き、紙包みを受け取った。
 「梅さんかお春に必ず伝えます。ご足労さんどした」
 「ありがとうございます。お願いします」
 総司は頭を下げ、くるりと後ろを向いて見世を出て行った。
 お登勢は式台を降り、その後姿を見送る。

 そう、彼の言うとおり、セイとあの二人はもう会わないほうがいい。
 敵同士でありながら、お互いに死地を逃れさせるため相手の懐深くまで潜り込んで行くほどの情を通じてしまった。
 それがどんなに、そしてどのように危険なのか、傍目から見ている総司とお登勢には痛いほどわかっていた。
 このままではすべてが最悪の事態に向かいかねない。
 大切な相手だから。だからもうこれきりに。
 見送る方も見送られる方も、気持ちの向く方向は不思議なほど同じであった。




 (余計な事を、と神谷さんは怒るかなぁ)
 帰る道々、冷たい風を身に受けながら総司は思った。
 もう勝手な真似はしないと彼女は決意したはずだ。こちらからはもう万に一つも会いに行く事もない。

 総司は今日のことをセイに言うつもりはなかった。
 始めはセイ自身に何かしてやろうと思っていたけれど。
 このことはいずれセイのためになるはずだ。
 情に流されやすい彼女が新選組で生きていくために。
 白い息を吐きながら総司は屯所への道を急いだ。




 「あ、沖田先生」
 西本願寺の門の外にセイが立っていた。
 「神谷さん、ここで何を」
 総司が言い終わるより早くセイが答えた。
 「もう巡察の時間ですよ先生。なかなか先生がお帰りにならないから一番隊のみんなが庭で待ってます」
 「え、もうそんな時分ですか」
 総司は頭を掻いた。

 「もう、どこで油売ってたのか知りませんけど、組下のものに示しがつかないじゃないですか。
先生は一番隊の組長なんですよ?もっと責任のある行動してくれなきゃ困ります」
 セイは眉を寄せて小言を言った。
 「・・・すみません」
 ふと総司の目元が緩む。
 「や、何ですか先生、私は説教してるんですよ」
 微笑みかけられてセイは頬をわずかに赤く染める。

 「じゃあ巡察に行って来ます」
 笠をセイに預け、総司は庭に整列している一番隊に声をかけた。
 「一番隊、巡察開始します」
 総司の掛け声で素早く隊伍が動いた。セイは少し離れたところで見守っている。
 整列して門をくぐる一番隊。その先頭に立ち、総司は表情を引き締めた。

 新選組も、近藤さんも、土方さんも、そして神谷さんも私が守る。そのためには鬼にでも何でもなろう。
 それが私に課せられた使命だと言うのであれば。



 夕暮れに染まる町を、怪しいものを見逃さずに歩く。
 気になる宿場は宿帳改めを行った。
 ひとつひとつを検分しながら、総司はこの同じ空の下にいる坂本と春、そして愛しいセイの
無事と幸福を思わずにはいられなかった。









inserted by FC2 system