久遠の空 居続けの、その後に

居続けの、その後に



今月も無事にお馬が終わった。
これで新選組へ、
…沖田先生の下へ帰ることができる。
そう思うと、厳しい隊務にも気合が入る。
明里の店を出ると、
女子じゃない、私は武士だと
心に強く楔を打ち込んだ。


背筋に力を入れて歩く。
風はまだ冬の感触を残していて、
袷から入り込んでくる風はこぶしを固く握らせる。
腰の二本差しが、清三郎の歩きに合わせて
冷たい音を立てた。
太鼓楼が見えてくる。
もうすぐ。
もうすぐで、会える。
清三郎はますます刀の鞘の音を
立てて、屯所の入り口へと足を速めた。


屯所の門をくぐる。
門の前で警備を行っている隊士が
神谷、おかえりと声をかけてきた。
ただいま、と返す声も軽い。
沖田先生はどちらだろう。
まず一番隊の部屋へ行ってみるか。
そう思ったとき。

「神谷さぁーん」
明るく、少し間延びした声で後ろから呼ばれた。
振り向かなくてもわかる。
くせのついた髪を纏め上げ、
優しげな目で笑いかけるあの人。
だんだんと足音が近づいてくる。
音の大きさから判断して、あと二間ほど、
というところで、清三郎は振り向いた。

「・・・!」
振り向いた途端、総司の笑顔が
自分の目の前にあった。
絶対にあと二間分の距離があったはずなのに。
足音であとどのくらいの距離なのか
わかる程度に、彼のことは知っているのに。
おかしい。

清三郎が混乱しているのを見て、
総司は満足そうに口角を上げた。
「おかえりなさい、神谷さん。
どうしました?吃驚した顔してますよ?」
総司の笑顔がそこにあるのを
ようやく頭で理解した清三郎は、
いつのまにか詰めていた息を吐き出した。
「た、ただいま戻りました・・・
すみません、沖田先生がもっと
遠くにいるかと思って・・・」
「私があと二間ぐらい先にいると思って?」
見透かすように言って、総司は笑った。
「はい・・・もう、わかってながら人が悪いですよ先生」
清三郎もやっと、苦笑いで返した。

ちょっと散歩しませんか、と総司が誘い、
ふたりは集会所からぐるりと回って歩き始めた。

「ところで神谷さん、今後の”神谷流”のことですが」
人気のないところまで来ると、総司は唐突に切り出した。
「まだ、抜いた後の鞘を効果的に使う練習してませんでしたよね」
「はい。まだですが・・・」
「次から取り入れたいと思います」
「はい!よろしくお願いします」
清三郎は背筋を伸ばして頭を下げた。
組に、この方の下に帰ってきたという
実感が沸くやりとりだ。

「それから、相手が仕込み杖などのこちらから
見えない武器を持っている場合への対処法と、
大掛かりな捕り物に行く時に有効な
隠し武器を、神谷さんにいくつか
見積もっておいたので・・・」
総司は一気に捲くし立てた。
その様子に清三郎は面食らってしまった。
「沖田先生、いきなりどうされたんですか、
いつもは実際に稽古するとき一緒に考えて
”神谷流”を編み出していくのに」

清三郎は怪訝そうに眉を顰めた。
頭で考えるのは苦手な方なのに。

そんな清三郎の様子を見て、
総司は懐に手を遣った。

懐からは、二冊の書が出てきた。
「これ、何だと思います?」
総司は書を清三郎に手渡した。
表書きの文字に、どこか見覚えがある。
どこかで・・・

「!この文字・・・」
あぁ、そうだ。
この文字は、山南さんの。

「あなたが今回の居続けでいないあいだに、
屯所で待機していないといけない時間が
あったんですよ」
屯所を西本願寺に移転してから、浪士たちの行動が
少しずつ賑やかになってきた。
事前に情報が入れば、巡察以外の隊が
屯所で待機し、相手の動き次第で
出動する事になっている。
今回、清三郎が居続けで三日間留守に
している間にも、一番隊が待機しなければ
ならない日があった。

出動を待っている間に、副長室で土方と話していた。
会話の中に、山南のことが出てきた。
山南が切腹し、直後に屯所を移転した。
その際に山南の荷物はできるだけ処分したが、
わずかながらに、山南の遺品を
取っておいたんだ、と副長はつぶやいた。

それが屯所の蔵に眠っていたのだ。
総司は埃の舞う、薄暗い蔵に入っていった。
土方に教えられたとおりの場所に、
行李が置いてあった。

たぶん誰も触っていなかったのだろう。
蓋を両手でそっと取り上げると、
辺りが白く煙った。
中には山南の使った品が
懐紙に包まれて収められていた。
上に乗っていた品物をどけると、
下から出てきたのは−−−


「山南さんの修行時代の覚え書だったんです」
山南が若い頃、江戸に武者修行に出てきて
たくさんの流派の門を叩いた。
その時の様子を書き記したもの。
ただし、本人は剣術の稽古を傘に、
門人たちと時勢を語り合ったり、
様々な学問を吸収したりしていたが。

「先ほどの縮地法も、この覚え書に
コツが書いてあったんですよ。
少しやってみたら、今までよりうんと
遠くまで、早く着けるようになりました」
実はあなたの手貫緒もこの書で知って・・・と
総司が語る横で、清三郎はパラパラと
頁をめくった。

山南先生の筆跡だ。間違いなく。
時には黒谷へ。
時には明里へ。
山南の小姓をしていた時に、何度となく
この筆跡の手紙を届けた。
山南が死んでからまだ季節も
移り変わっていないのに、
清三郎はその頃の事を遠い昔のように感じた。


じわりと、目頭が熱くなった。
「神谷さん?」
総司が清三郎の顔を覗き込んだ。
清三郎は慌てて、ぐいっと手の甲で涙を拭った。
「沖田先生、私、頑張ります」
山南の書を抱きしめ、清三郎は笑った。

「では、次の朝の巡察の後に早速」
「はい!」
「お弁当作ってくださいね、神谷さん。
あぁ、卵焼き入れてください、甘いの」
総司が胸の前で手を組んで、お願いするような
仕草を見せた。

また、厳しくて暖かいこの人との
一ヶ月が始まる。








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