久遠の空 サーキットの狼たち turn the lollypop

サーキットの狼たち  turn the lollypop



 「ちょっとそこに座んなさい」
 ここはシーズン3戦目を勝利で飾ったチームの控え室。
 重い鉄のドアが閉まりきるかきらないかのうちに声がしてきた。
 その声の持ち主は、所属チームのシャツにミニのタイトスカートといったいでたちからすらりと長い手足を惜しげもなく晒し、 目の前にオトコ2人を正座させた。

 彼女の名は、土方マコト。
 Mibroレーシングのプログラマーである。
 父・歳三に連れられて、中学生の夏に初めて見たF1の世界に魅せられ、この世界に入った。
 イギリスに移したMibroのファクトリーに勤務し、グランプリの際にはチームと共に世界を駆け巡っている。
 まだ2年目と経験は浅いながらも、彼女の組んだプログラムはレーサーたちに着実にフィットしてきており、ベテランのプログラマーからも一目置かれている。


 「一体どういうつもりなのよ」
 眉間にシワを作ることも厭わずにマコトは言い放った。
 「アンタたち、他のチームを半分近く周回遅れにしたのはイイけども、その後何よ。2人であんなレースして!」
 彼女は手にもった作戦指令書を机に叩きつけた。
 「サイドバイサイドに並んだと思ったらコーナーでお互いを弾き飛ばすみたいに車体寄せて、尋常じゃないほどに。 それと絶対に総一郎君が後ろから抜くってタイミングで蔵之助君のあのブロック、危ないじゃないの」
 マコトはいらいらとした様子を隠さずに、丸められた指令書を小刻みに上下させた。
 「うわー嬉しいなー。マコトさん、俺のこと心配してくれるんだー」
 固い床の上に正座させられているうちの1人、Mibroレーシングドライバーの神谷総一郎が相好を崩してへらりと笑う。
 「違うわよ」
 マコトがぎろりと厳しい目付きで総一郎を睨む。
 「待ってくれたまえよマコト君、レースなんだから仕方ないだろう?たとえチームメイトでも自分の前を行く奴は敵で」
 もう1人の正座させられている方――伊東蔵之助は腰を浮かして抗議の声を上げた。
 「そうじゃないわよ」
 マコトはそちらにも切りつける様な視線を送った。
 「アンタたちがくだらないぶつけ合いだの邪魔だのして、マシンが壊れたらどーすんのよ!言っとくけど、アンタたちの1年間の保険代より 開発費の方がうんと高いんだからね!」
 そう言いながらマコトは先ほどよりも一層激しく指令書を叩きつけた。

 「く、くだらないって」
 総一郎は困惑気味に下を向いた。
 「マコト君、そんな」
 蔵之助も秀麗な眉を寄せて困り顔だ。
 同じ排気量なら馬力は普通車の3倍以上を出すというF1マシンを駆る屈強な男達を前に、細身の美人はくっと右の眉を吊り上げた。
 「蔵之助君のコックピットに落ちてたコレは何よ」
 そう言ってマコトは何かが書かれているメモ用紙を2人の前に突き出した。お世辞にも綺麗とは言えない文字は、紛れも無く総一郎のもの。
 それを視界に入れた途端、総一郎も蔵之助もうっと言葉に詰まった。
 「“次のレースで勝った方がマコトさんとデートv”って、バッカじゃないのアンタたち」
 大きく溜息をついて、マコトは米神を抑えた。


 去年、神谷総一郎を迎えて新しいシーズンをスタートさせたMibroレーシングは、総一郎の活躍とマシンの性能の飛躍的なアップで チームもドライバーも見事に年間総合優勝を成し遂げた。
 そして勝利に沸くMibroに今年、新規加入してきたのが、かつて土方たちとレースで争ったチームEdgeの伊東甲子太郎の息子・蔵之助だった。
 別のチームのドライバーをしていたが、親子共々のたっての希望でMibro入りを果たしたのだった。

 この2人、大変腕が良く走りも速い。
 今年も3戦目を終えたところですでにチームはコンストラクターのポイントを大きく稼いでいる。
 総一郎と蔵之助のドライバーのポイントは、どっこいどっこいである。
 それはこの2人の力が拮抗しているからに過ぎないのだが・・・。


 「・・・で、俺が勝ったんだから、俺がマコトさんとデートだからね、蔵之助」
 ふん、と鼻息を荒くして総一郎はふんぞり返った。
 「くっ・・・今回は譲るが、次は僕が必ず勝つからな」
 悔しさを滲ませて蔵之助が言う。

 「何考えてんのよ」
 熱く視線を交わらせる総一郎と蔵之助に、マコトは冷ややかな言葉を浴びせた。
 「アンタたちみたいな青二才と私がデートするとでも思ってんの?冗談やめてよね」
 高いところから見下げるマコトの視線は、総一郎と蔵之助に突き刺さった。
 「青二才って、マコトさんも俺たちとほとんど年変わんないじゃない」
 「ああっマコト君、もっとその冷たい目で僕を見つめてくれ・・・」
 「どうあろうとお断りよ」
 自分を見上げる2人のセリフは完全に無視で、マコトは腕を組んだ。

 総一郎も蔵之助も、下位のレースに出場している時に、しゃきしゃきと働くマコトに一目惚れし、ずっと彼女を追いかけている。
 マコトにしてみれば、それが今をときめく所属チームのドライバーであるとしても、迷惑千万な話だった。


 その時、鉄のドアが二回ほどノックされた。
 「お前ら、ここにいたのか」
 ギィと重たげな音を立て、ドアが開く。
 「・・・斎藤監督!」
 「あ、監督」
 「監督、お疲れ様です」
 チームの監督、斎藤一が入ってきた。
 斎藤は現役を引退した後もチームに残り、今では監督を務めている。ちなみに独身である。

 「監督、レースお疲れ様でした。相変わらず見事な采配、感動いたしました」
 マコトは総一郎たちからさっと離れ、斎藤の前に進み出てぺこりと頭を下げた。
 「いや、ドライバーやスタッフのお陰だ。マコトもご苦労だった」
 「いえ、そんな・・・」
 斎藤の労いの言葉に、マコトはぽっと頬を染めた。
 「ピットの片付けが終わったぞ。お前たち、こんなところで何をしている?」
 斎藤はぼそりと言った。
 「マコトさんに連れ込まれまして」
 「そうそう、これから熱烈な愛の告白シーンで」
 総一郎と蔵之助はにこにこと笑いながら斎藤に告げた。
 「ち、ちがうでしょっ。あんなバカなレースをしたこいつらに喝を入れてたんですよっ」
 マコトは今まで従えていたはずの2人に思わぬことを言われ、焦りながら斎藤に弁明した。
 斎藤はマコトと総一郎と蔵之助をそれぞれ眺め、
 「・・・そうか、若いというのはいい事だな」
 と僅かに口元を緩めた。
 「違います、違うんです。信じてください監督」
 マコトはすがるように斎藤の袖を掴み、潤んだ瞳で斎藤を見上げた。
 「・・・わかった」
 斎藤は苦笑いをしてマコトの言葉に首肯した。

 「間もなく祝勝会だ。お前らも早く来い。そう言えば、今夜のケータリングの業者はお前が手配したんだったな、マコト」
 斎藤が部屋を出ながら言った。
 「そうなんですよ、学生時代の友達が教えてくれたんです」
 ぱっと顔色を明るくして、マコトは斎藤の腕にさりげなく自分の腕を絡ませた。
 「ワインのセレクトが絶妙らしいですよ、監督」
 斎藤の耳元に唇を近づけてそうマコトが囁くと、斎藤の目がぱちりと瞬きをした。
 それを確認したマコトはさらに続ける。
 「監督、お酒お好きでしょ?ちょうどいいかなーと思って」
 「そうか」
 斎藤は普段からあまり表情を変えることは無いが、マコトには微妙な変化が読み取れた。
 「さ、行きましょ監督」
 腕を組んで歩く姿は、後ろから見ればまるで恋人同士だ。
 総一郎と蔵之助は半ば呆然としながらその背を見送る。
 その視線に気付いたマコトは肩越しに振り返り、フフンと鼻で笑った。

 まるで、
 (やっぱりオトコは大人じゃなきゃね)
 とでも言わんばかりに。


 「まさか・・・」
 総一郎が顔に汗を滴らせながら呟いた。
 「まさか・・・」
 蔵之助も同じく嫌な汗をかき始めた。
 「マコトさんが好きなのって・・・」
 総一郎はジト目で蔵之助の方を向く。
 「さ、斎藤監督・・・」
 蔵之助も総一郎の方に顔を向けた。


 前回のMibro全盛期を支え続け、あの沖田総司の連勝記録をも塗り替えたレーサー、斎藤一。
 誰もが憧れるその男に、たかが1年目や2年目のヒヨッ子どもが敵う相手ではない。
 レーサーとしても、男としても。
 ドアの向こうに消えてゆく2人を、総一郎と蔵之助はただ見送ることしかできなかった。


 その後の祝勝会でもマコトは斎藤にべったりで、仕事の話をしながら巧みに酒を注いでいる。
 斎藤は彼女の気持ちに全く気付かず、かつての上司の娘であり、今はチームメイトであるとしか思っていない。
 総一郎と蔵之助は他のスタッフに囲まれながらもマコトが気になって仕方が無い。
 あわよくばこの会場であるレストランを抜け出して、2人きりになりたいと思っているのに。
 結局、この日はマコトが斎藤から離れることなく、2人のドライバーは勝利の余韻もそこそこに彼女の姿を指をくわえて見ているしかなかった。



 だが総一郎も蔵之助も、恋敵がいる程度で諦めるようなことはしない。
 次のグランプリでも相変わらずマコトを賭けて走り、怒られ、斎藤に接近する姿を見てはがっくりしながらも闘志を燃やす。


 「いーかげんにしなさいよ、アンタたち!」
 今日もマコトの怒鳴り声が、総一郎と蔵之助に降りかかる。
 新しい世代になってもややこしいこの関係、いつか解決する時は来るのだろうか。











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