サーキットの狼たち the winnerMibroレーシングの栄光はそれからしばらく続いた。 なんと言っても沖田・斎藤のタッグは史上最強と謳われるほど速く、首脳陣の戦略も完璧だった。 マシンもまるで彼らに呼応するかの如く素晴らしい走りを見せ、アクシデントもなくいくつかのシーズンが過ぎた。 だが、運命のいたずらというものは常に起こるものである。 破竹の勢いで勝利を飾り続ける沖田に、突然襲い掛かった病気――慢性閉塞性肺疾患。父親も罹患していたというこの病により、沖田の選手生命は あっけなく断たれてしまった。 命に別状はない程度であったものの療養に入った沖田の代わりに、ひとり奮闘したのが斎藤だった。 斎藤は若いチームメイトを次々と従え、Mibroの黄金期を支え続けた。 時は過ぎ、斎藤も引退の時期を迎え、監督の近藤やディレクターの土方らも一線から退くと、Mibroの栄光は徐々に陰っていった。 どんなチームも永遠に輝き続ける事は不可能なのである。 しかし、一時は失った黄金の日々を復活させる事は可能である。 街がクリスマスのイルミネーションに彩られ、年末の忙しさを紛らわせるように華やぐこの季節に、Mibroレーシングの来期におけるドライバー ラインナップが正式に発表された。この時期まで来期のドライバーが決まっていないという事は珍しくはないが、多少遅めの感もある。 その名前を見て、F1ファンは大いに沸いた。 一人は今年から引き続いてのドライバーだが、もう一人。 その名は、神谷総一郎。 Mibroの全盛期を飾った神谷セイの一人息子である。 彼女は沖田の引退よりも前にステアリングを置き、結婚して、子どもをもうけた。 その息子もまたレースの世界に飛び込み、あちこちで修行した結果、才能を開花させて海外のレースで活躍し、とうとうF1の舞台に踊り出る事となった。 巨大なクリスマスツリーが長旅から帰還した人々を出迎える国際空港の到着ロビー。 人込みの中を、美しい声のアナウンスがこだまする。 そこにカメラやマイクを構えた、いかにも記者やリポーター然とした集団がある人物をいまや遅しと待ち構えていた。 「来たぞ!」 「あ、本当だ!・・・神谷君!」 リポーターたちが声をかける先に、大きなスーツケースを引きながら長身の男性が現れた。 スーツケースを持つ手には、入国審査で見せたばかりのパスポートが挟まっている。 「ありゃ、見つかっちゃったかぁ」 そして空いている方の手で黒いサングラスを少し下げ、眉を顰めて報道陣を見た。 彼はすぐに報道陣に取り囲まれ、容赦なくカメラのフラッシュを浴びた。 「東都中日スポーツです!神谷さん、F1出場おめでとうございます!」 ひとしきりフラッシュの洪水が収まったところで、新聞記者の一人が彼に言葉をかけた。 「ありがとうございます」 あまりの光量にサングラスの向こうで目を細めていた彼が答える。 「スポイチです。お父さんに続いて、二代目のF1ドライバー、しかも同じチームからデビューということですが、心境は」 別の記者が長いマイクを向けた。 「あー、まぁ、特に感想とかないんですけどねぇ」 周りの報道関係者たちはレコーダーを少しでも彼の側に近づけようと手を伸ばしている。速記で彼の言葉を一言も漏らすまいとしている者もいる。 その輪の中心で、彼――神谷総一郎はゆっくりとサングラスを取って胸のポケットに収め、被っていたキャップも脱いだ。 きりりとした印象の、涼しげな目元。 男性にしては長めのゆるいくせ毛。 スポーツ選手特有のシャープな顔のライン。 それと母親にそっくりの優しげな口元のカーブ。 「お父さんは何と?」 「いやー、まだ決まってから喋ってないんで何とも」 「え、まだ報告も自分でしてない?」 「だって皆さんがこうして報道してくれるでしょ。決まってすぐこうして帰国になったし、別に」 次々と質問が繰り出されるが、総一郎は少しも臆することなく答えていった。 飄々としたところは父親そっくりだ。 「ではお母様ともまだ?」 「いや、母とは携帯のメールでちょっと」 「これからはお母さんが上司ですね」 「そうですねぇ・・・まぁそうです」 苦笑いを浮かべながら総一郎は返事をする。 「週刊スポーツですが、所属するチームの監督は、あなたのお父さんの元恋敵でいらっしゃるのを知ってますか?」 突然に横から低い男の声がした。 この新聞はスポーツ関係のゴシップを取り扱うのに長けているので有名だ。表向きは敬遠しながらも、人はその手の記事を楽しみにしているのが世の常であり、それを 巧みに利用して部数を伸ばしている。 「そりゃ知ってますよ。父からも監督からも聞かされてますし」 総一郎は素直に答えた。 「争奪戦はかなり激しかったみたいですね。お父さんと監督がお母さんにプロポーズした時のこと聞いてます?三人してデートして、海辺の観覧車に乗って、 同じブランドの指輪の箱を突き出したって噂ですが」 レコーダーを口先まで突き付けられ、しかも当事者同士でしか知り得ないはずの情報が出てきたことに、総一郎は当惑した。 「オトコ2人が観覧車の座席に並んで座って、同時に指輪の箱を一人の女性の前に突き出す場面。真相はどうなんでしょうか?」 片方だけが妙に傾いた観覧車。真剣な顔つきでプロポーズする2人の男。夜景を背負って困惑気味で座る1人の女。 その場にいる皆がそれを想像した。 そして総一郎の答えを、固唾を飲んで待つ。 「さ、さぁ、俺は本人たちじゃないから知らないし」 総一郎は目を泳がせた。 百戦錬磨の新聞記者はそこを見逃さない。総一郎が何か知っていると踏み、さらに畳み掛けた。 「知ってるんでしょ?別にいいじゃないですか、昔のことなんだからさぁ」 ニヤリと口元を歪ませ、その記者は誘いかけた。 「いや、その、・・・えーと・・・」 総一郎の背中を冷や汗が伝う。遠い目と苦笑いで逃れようとしたが、さらに別の記者たちもどうなんだと彼に詰め寄ってきた。 「総一郎!!」 が、そこで総一郎を遠くから呼ぶ声がした。 「・・・あ、母さん」 カツカツと靴の音を響かせて、彼の母親、つまり神谷セイが小走りでやってきた。 もう結構な年のはずだが、現役時代とまったく見た目は変わっていない。 「神谷さん!」 「神谷さん!」 総一郎を取り巻く輪が崩れ、セイの方へと人の波が流れた。 「母さん、ただいまー」 にへら、と笑って総一郎は軽く片手を上げた。 「ただいまーじゃないでしょ!こんなところで何してるの!」 上がっている手をぐっと引っ張り、セイは総一郎の耳元で囁いた。 「駄目じゃない、記者会見前にこんな連中に掴まって」 「ごめんごめん、うっかり掴まっちゃって」 笑顔を崩さずに総一郎も小声で答えた。 「まったく、とにかく行くわよ」 セイは総一郎の腕を掴み、報道陣の輪をかき分けるようにして出口へと向かった。 「神谷さん、息子さんがとうとうF1のシートに座る事になったわけですが、一言お願いします!」 「今あなたがプロポーズを受けたときのこと話していたんですが、観覧車のことは本当なんですか?」 「その時の心境を」 「今でも知りたいファンがいっぱいいるんですよ」 目を開けていることもできないほどのフラッシュ。 しつこくついてくる人の囲み。 次々と浴びせ掛けられる質問。 セイは現役時代にその煩わしさを嫌というほど経験していた。 こんな時、いつもディレクターの土方は怒鳴りつけて追い返してくれた。 セイも来シーズンのドライバーを守るためにそうしようと足を止め、息を腹に溜め込んだ。 が、肩をぐいっと押され、目の前が暗くなった。 セイが見上げると、それは息子の背中だった。 「すみませんが、これ以上は記者会見でお願いします」 静かだが、響くような低い声だった。 その声に微かに混じるのは、怒り。 「でもねぇ神谷君」 ゴシップ記者は未だ食い下がってくる。 母を背に庇いながら、総一郎はキャップを人差し指でくるくると弄ぶ動作をした。 「記者会見でならいくらでも喋りますよ。いくらでもね」 ふっと口の端に笑みを湛え、総一郎は記者たちに向って言った。 「じゃあ」 「ただし」 ゴシップ記者の言葉を遮り、総一郎はキャップを回すのも止めた。 「俺のマネージメントは今後、土方副社長が務めることになりますんで、そのつもりで」 「ひ、土方さんが・・・」 「それは・・・」 総一郎の一言にその場は静まり返った。 土方の鉄壁のガード振りは、記者たちの間では今でも伝説になっているほどだ。 あの恐ろしいほど際立った見目で一喝され、引かなかった者はいない。 「あー、でもそれじゃなんだから、ここで一つサービス行っときましょうか」 総一郎は深くキャップを被りながら明るく言った。 「え?」 脅したと思いきや朗らかに語る青年に、記者たちははっと顔を上げた。 「俺をね、父と同じに思ってもらっちゃ困りますよ」 真っ直ぐに前を見詰めて総一郎は言う。 そして胸ポケットからサングラスを取り出した。 「ここ数年、停滞してるMibroを救うのはこの俺、神谷総一郎です。他の誰でもありません」 そう言って、サングラスをかけた。 「・・・お、大きく出たね神谷君」 ゴシップ記者がまさかといった風で総一郎を見た。 「俺はヤるといったらヤりますよ・・・どうぞ存分にご覧じあれ」 サングラスを少しだけ下げ、目を僅かに覗かせた。 その目に宿るのは、剣呑な光。 「・・・っ」 気圧される。この自分が。 ゴシップ記者は思わず後退った。 「じゃ、行こうか母さん」 総一郎はにこりと笑顔を見せ、雰囲気に飲まれ唖然とする報道陣を尻目に、母の手を取ってすたすたとその場を離れていった。 「総一郎、何もあなたがあんなことを言わなくても私が」 セイは息子の顔を見上げて言った。 「いいんだよ、俺だってこれからは一人でああしなきゃいけないこともあるだろ?」 ちょっと緊張したけどね、と総一郎はいたずらっぽく笑った。 「・・・もう、そういうところお父さんにそっくり」 呆れた顔をしながらセイは溜息をついた。 「えー、そうかなー」 総一郎は心外だと言わんばかり。 「だいたいね、あなた勝手なのよ。お父さんのスクールに入ったと思ったらすぐ辞めて」 セイは総一郎の胸をとんとんと叩きながら言った。 「だって父さん教え方ヘタクソなんだもの。伊東センセーのスクールに移って正解だったよ。たまに来てくれる藤堂コーチもすごく丁寧に教えて くれたしさー」 満足そうに総一郎は笑った。 「馬鹿ねこの子は、心配したのに」 セイは続けて溜息をついた。 「セイさ〜ん、総一郎〜」 入り口の自動ドアが開き、人が多く出入りする中から声が聞こえた。 「あれ、父さん」 総一郎の父、沖田総司であった。 「迎えに来たよ総一郎、久しぶり」 息子と同じ笑顔で総司は言った。 「ありがと・・・って、何で父さんも母さんも俺の帰国便知ってるの?」 確かに母にはメールで伝えた。しかしそれは近々帰国するというだけで、詳細は語っていなかった。 「土方さんの娘さんから聞いた」 総司の後ろからもう一つの声がした。 「斎藤のおじさま、いや、監督」 沖田総司と共に、Mibroの黄金期を築いた男、斎藤一だった。 「来期からよろしくお願いしまーす・・・って、ど、どうして、土方さんの娘さんがそこで出るんです?」 たらりと冷や汗を流し、総一郎は挨拶もそこそこに狼狽しだした。 「イギリスに移したファクトリーで働いてる彼女にご執心らしいではないか、総一郎?」 フッと鼻で笑い、斎藤は何もかもお見通しだと言わんばかりの目で総一郎を見遣った。 総一郎はうっと言葉に詰まった。 「・・・本当なのね総一郎」 母に問い詰められ、総一郎はあさっての方向を向いて口笛を吹いた。その背には先ほどから冷や汗が流れ続けている。 「やめてよね、よりによって土方さんの娘さんだなんて」 じとーっとセイは総一郎を横目で見た。 「や、だって彼女結構美人だし、プログラムの腕もいいし、いろいろとマシンについて話しているうちについ」 観念したように総一郎は告白した。 「彼女は迷惑がっているようだが?」 ぼそりと斎藤が呟く。 「ええー、ちょっと待ってくださいよー」 それを聞いて総一郎はがっくりとうなだれる。 「まあ後ろのヤジ馬がこれ以上近づかないうちに行くとするか」 総一郎とセイの後ろからは、距離はだいぶ置いているものの、凝りもせずに記者たちが追いかけてきていた。 「そうですね斎藤さん、行きましょうか」 息子の困る様子を面白く見ながら総司が言った。 「ほら総一郎、もたもたしないで行くわよ。本社で近藤社長と土方副社長がお待ちよ」 セイが息子を急かす。 「・・・はーい」 しょんぼりとうな垂れて総一郎は返事をした。 四人は横一線に並んで出口へと歩き出した。 Mibroレーシング監督、斎藤一。 沖田モータースクール代表兼Mibroテクニカルアドバイザー、沖田総司。 Mibroレーシングディレクター、神谷セイ。 そして来期Mibroドライバー、神谷総一郎。 彼らはMibroの復活を肩に背負い、戦って行く。 黄金時代を取り戻す切り札である。 来年の今頃はシーズンの決着もついており、すべての結果が出揃っているだろう。 その時、勝利の女神が口付けを贈るのは一体どのドライバーであり、そしてどのチームであるのか。 気まぐれな女神の寵愛を手にするべく、彼らは走り始める。 まだ先の見えぬ、獣道にも似たアスファルトの戦場を。 |