インターミッション 〜peace,love and understanding〜
土方とは、伝習第二大隊と新選組を率いて陸路を行った。
仙台という大きな町から離れ、枯れた雑草のはびこる道が続いた。
陸を行く部隊は、これからに備えて軍事訓練を怠らなかった。
追ってくる新政府軍とは必ず戦になる。勝たねば居場所を獲得することは出来ない。
皆、これまで以上に真剣に、声を掛け合って訓練を重ねた。
また、途中途中では物資の補給を行わなくてはならなかった。
食料、金、衣料、薬。他にも、これから蝦夷渡航に必要な物を、土地の有力者たちに募った。
すでに仙台恭順の報を入手している有力者たちは、
「すまんが、あんたたちに手を貸したとわかったら、薩摩や長州らに何をされるかわかんねえ」
旧幕府軍とわかるや否や、土方たちに門前払いをくらわせることもあった。
逆に、
「仙台様も好き好んで頭下げたわけじゃねえ。新政府軍と戦したら土地が荒れるのをわかってて、仕方なくそうしたんだべ。あんたらには力を尽くして欲しい」
と言って、ありったけの品物や金穀を差し出してくれる者もいた。
「かたじけない」
土方は丁寧に頭を下げ、協力に感謝の意を示した。
途中では山越えを行わなくてはならなかった。
地面を枯れ葉が覆い、しかも葉が数日前の雨で湿っているため、やたらと滑る。
(ただでさえ斜面なのに…)
歩きづらいことこの上ない。
もし転んだら、下手をすると斜面を勢いよく転がって、崖下に着く前にあの世行きかもしれない。
は肝を冷やしながら、確実に一歩ずつ歩を進めた。
「おーい、荷物落っこちてんぞー! 拾ってくれー!」
「大砲が進まねえ! 手を貸してくれ!」
荷車を押している伝習隊の隊士たちが声を上げる。
荷車が山肌の凹凸にがたがたと揺れ、覆っている布から品物がぼろぼろとこぼれ落ちたり、万が一敵と遭遇した時のために引いてきた大砲を山の上まで押し上げるのがきついようだ。
「下ァ、もっとちゃんと支えろ!」
「やってらあ! そっちこそ方向きちんと守りやがれィ!」
だんだんと声が荒くなってくる。
「おい、」
土方がを呼ぶ。
「はい」
少し後ろを歩いていたは、なるべく小走りで土方に近づく。
「あいつらの差配をしてこい」
「かしこまりました」
土方の指さす先では、大砲の運搬を巡って伝習隊の猛者たちが怒鳴り合っている。
は湿る枯れ葉に足を取られながらも、伝習隊の隊士たちの元へと駆け寄っていった。
「お疲れ様です、大丈夫ですか?」
の涼やかな声が響くと、怒鳴り合っている伝習隊の隊士たちが一斉に振り返る。
「あァ、さん! 大丈夫じゃあねえよ〜」
「そうだよ、こいつが手ェ抜いて支えやがらねえから」
「何だとコラ、手抜いてんのはテメエのほうだろうが!」
「ふざけんな、下で支えてんのがどんだけ力がいると思ってんだ! お前の体で確かめてみやがれ!」
一瞬静まったかに見えた男たちは、また口々に騒ぎ出す。
はそれには口を出さす、大砲を積んでいる荷車の足元へと目を向けた。
大砲は、分解していくつかの荷車に分けらている。
しかし集めた荷車の数にも制限があるので、一台の荷車に載せられるだけ載せている。
それが大砲の部品となれば、重さは格別だ。
案の定、ふかふかとした枯れ葉の地面に車輪がめり込んでいた。
「こっちの車輪が沈んでいます。ここだけどうにかなりませんか、みなさんのおちからで」
最後の一言をさりげなく強調し、は男たちを見上げる。
「お、おう。じゃあまず車輪の下にあてがいものをーーそこの木っ端でいいだろう」
「よし、いったん皆こっちに来てくれ、持ち上げるぞ!」
「わかった!」
掛け声とともに荷車の片側が持ち上げられ、車輪の下に拾った木の枝が差し込まれる。
荷車の後ろに人を集め、ひと呼吸おいて押す。
それまで抵抗を続けていた荷車は、大砲の重みを枯れ葉の下の地面に刻みつけながら、ようやくぎしりと前へ動いた。
「よっしゃ、動いたぞ!」
場が歓喜に湧く。
「ありがとうございます。これからこの先の温泉に泊まる予定なので、そこで一本つけましょう」
は懐から付近の地図を出して、向かう先を皆に示す。
「うお、温泉か! 久しぶりに休めそうだな!」
「しかも酒が出るとなりゃあ、急いで行くしかねえ」
伝習隊の隊士たちは勢いをとり戻し、明るく騒ぎながら山道を深く分け入っていった。
「ご苦労」
戻ったに土方が労いの言葉をかける。
「いいえ、すぐに動いてよかったです」
も土方に会釈で返す。
ふたりは動き出した大砲運搬の一団を前に見ながら、自分たちも足を進めた。
苦労して上った山の上から、崖のように急な斜面を降りる。
その先で木々の間から視界が開け、旅宿の家並みが立ち並ぶのが見えた瞬間、誰も顔を明るくした。
いくつかの宿に分散し、それぞれの宿に責任者を定めた。
そして一応羽目を外しすぎないように注意を与え、明日の出立時刻を告げる。
兵たちは宿に駆けこむなり、風呂もそこそこに酒席が始まった。
土方とも、幹部用の宿に荷を降ろした。
ブーツを脱ぐと、長く歩いてきた疲労がじわりと逃げていく。
しかし、彼らにはまだ休息の時は訪れない。
宿泊地の周囲に、島田を頭とした斥候を放ち、敵が来ていないか、地元の民の反応はどうかを探らせる。
急ぎ書き留めた宿の割り振りの清書、物資の保管場所の確認、金の管理など、やることはいくらでもあった。
それらをこなし、風呂と飯にありつけたのは、日がとっぷりと暮れた後だった。
交代で風呂に入り、部屋に運び込まれた膳をつつく。
風呂の湯は柔らかく、温度も高めで、冷え切った体に優しかった。
食事も土地の料理が並び、心をほぐすのには十分であった。
後は斥候からの報告を待つばかりとなった。
が、遠くまで見に行っているのか、斥候はなかなか帰ってこない。
こくり、こくりと、は正座をしながら船を漕ぎ始めた。
「お前はもういい。寝ろ」
土方がを布団に押し込める。
「すみません…」
も自分の体力の限界を悟り、素直に従った。
「遅くなりました、副長」
半刻も過ぎただろうか、島田たち斥候が戻ってきた。
「敵が接近している気配はありません。それと、この辺りはまだ新政府軍に寝返っているような感じでもないです」
「わかった」
それを聞き、土方は少しだけほっとする。
「ご苦労だった。お前らも隣に部屋を用意してある。朝まで休んでおけ」
「ありがとうございます」
「それとな、島田」
「はい」
「“副長”はやめろ」
「すみません。でも、俺たちにとっては副長はいつでも副長です」
島田たちが隣の部屋に入ると、しばらくは風呂や食事などで騒がしかったが、やがて静かになり、いびきに変わった。
土方はそれを耳で確認すると、ようやく布団に潜り込む。
自分のではなく、の眠る布団へ。
長い山越えの日が終わり、目をつぶるとすぐに睡魔が襲ってきた。
腕の中に閉じ込めたの体温が心地よい。
夜明けまでの束の間、土方は深く眠った。
訓練と補給を繰り返し、土方たちは榎本率いる艦隊と合流を果たした。
「土方君、ここまでお疲れ様。よくこれだけの物資を集めてくれたモンだ」
広くはないが、それでも海岸を埋め尽くす物資の山を見て、榎本は驚く。
「それは運んでくれた野郎どもに言ってくれ」
土方は言葉少なに、荷を運び続ける新選組や伝習隊の隊士たちへと目を向けた。
どんなに物資を集めようとも、運べなければ意味は無い。道中の苦労は並大抵のことではなかった。
「そうだね。指揮する君たちも大変だっただろう。服が泥まみれだ」
榎本が土方との姿を上から下まで眺める。榎本が指摘したとおり、軍服が泥や土、埃に細かい草があちこちについていた。
「積み込みが終わったら出発しよう。で…」
榎本はの横に立って、肩を抱いた。
「今度こそ、君は私と一緒に船に乗ってもらうからね」
「…私は」
「土方君と同じ船に乗るってんだろう? この前は見事な飛び込みを見せてくれが、今度はそうはいかない」
榎本の手に力がこもる。
は思わず顔をしかめた。
「君はあれでよかったかもしれないが、私は部下に逃げられるという赤っ恥をかかされた。この艦隊の将であるこの私が、ね。ここで君を一緒の船に乗せて蝦夷まで行くことが出来なければ私の沽券に関わる。もし君が来てくれないなら、私は君の同行を、木に縛り付けて置き去りにしてでも許すわけにはいかなくなる」
高く厳しい視線がに注がれる。
は土方を振り返る。
土方は、榎本に従えと言わんばかりに頷いた。
「わかりました」
はおとなしく首肯する。
「君がすんなり聞いてくれてよかったよ。悪いが、出航まで見張りを付けさせてもらう。おーい、神谷君」
榎本はにこりと笑って神谷を呼んだ。
「はあーい」
荷の積み込みを指示していた神谷がやって来る。
「すまないが、このわからずやさんを出航まで見張っていてくれないかな」
「わからずやさんって…さんのことですか?」
「ああ。蝦夷まで一緒の船に乗ってもらうことにしたんだが、また海へ飛び込んで脱走されちゃあ困るんでね」
「あはは、違いない! わっかりました、お任せください!」
では早速と、神谷はを連れて行った。
「赤っ恥ねェ…本当はそんな風に思っちゃいねえだろ」
土方は榎本をじろりと見る。
「やっぱりバレてたか。あんなことでかくような安い恥は持っちゃいねえさ」
くつくつと榎本が笑う。
「この前、彼女が海に飛び込んで君のもとに戻っただろう? あの独断的な行動をよく思わない連中もいるんでね。悪いが、見かけだけでも軽く処罰をしなきゃならない。彼女は蝦夷に着くまで預からせてもらう。なァに、誓って妙なマネをしたりしないし、誰にもさせたりしない。神谷君を付けておくから」
じゃあ、と軽く手を上げて、榎本は荷物を運んでいる現場へと足を向けた。
「神谷さんだけじゃ心配でしょう。俺もついていきますか?」
島田が横から顔を出す。
「いや、いい。俺らは榎本さんの指示に従おう」
土方は島田を制する。
「わかりました。でも、ご用の際はすぐ声をかけてくださいよ」
「ああ、そんときゃ頼む」
土方がぽんと肩に手を置くと、島田は頷いて荷運びの仕事に戻っていった。
(やれやれ…)
と土方はため息をつく。
榎本の言うとおり、がとった行動は独断が過ぎた。それに悪い印象を持つ者がいてもおかしくはない。
(蝦夷までの軟禁か…その程度の罰で済むならいいだろう)
側に姿がないのは心許ないが、今は榎本に任せる。
そう決めて、土方はの後ろ姿を見送った。
神谷に案内され、は“開陽”に上がった。
この前はすぐに飛び降りてしまったためよく見ていなかったが、高さも幅も、これまでの船とは桁違いだった。
よじ登った格子状のロープの前を通り過ぎた時は、
(よくあんなところから飛び降りたな…)
改めて見ると、その高さに背筋がむずむずとした。
「さ、さん、どうぞ!」
神谷に案内され、は“開陽”の艦長室に入った。
中は外と遮断されていて、暖房も効いており、温かい。
どっしりとした机の上には、航海日誌とおぼしき綴りが乗っていた。
二人が部屋に入ってすぐ、榎本も姿を現した。
「お待たせしたかな。神谷君、ここはいいから荷の積み込みを手伝ってきてくれ」
「はーい。さん、また後で!」
神谷は元気よく返事をし、部屋を出た。
「さてと…」
部屋のドアをパタンと閉め、榎本は机の前にある革張りの椅子に腰掛けた。
「君もかけたまえ」
と、部屋の隅にある椅子を指さす。
は、美しいカーブを描く椅子を出し、榎本の正面に座った。
「まあそう固くならずに。君に説教をかますつもりじゃないんだ」
榎本は机に肘をつき、両手を組んでその上に顎を乗せる。
はじっと榎本を見つめた。
「常に一緒にいたい土方君と引き離したのは悪かった。君が女子で、土方君が守ってくれるならなおさらだよな」
「…」
帰す言葉がなく、は沈黙する。
土方に守ってもらっているのは間違いない事実だ。
「君、聞いておきたいことがある。君は、男として私の艦隊に加わっているのか? それとも」
「男としてです」
女としてなのか、と榎本が続ける前には即答する。
(断じて女子としてではない。これまでもこれからも、男として土方さんのそばにあり続ける)
それだけだと、は膝の上の拳を握り固めた。
「それを聞いて安心したよ」
榎本が手を解き、椅子の背にもたれかかる。
ぎ、と小さく木が鳴った。
「では、これからの話をしよう。君は男だ。私の艦隊の一員として歓迎する」
榎本は立ち上がり、に手を差し出した。
「榎本さん…ありがとうございます」
はその手を握り返した。
「だが」
突然、その手に力が込められた。
はびくりとし、榎本を見上げる。
「我が艦隊の一員となったからには、私の命に従ってもらう。命令を聞かない部下がいれば、いつこの船が沈み、艦隊すべてが瓦解するかわからない。そうなれば君だけじゃない、土方くんも、君たちが守ってきた新選組も、そしてこれからの私たちもまるごと終わる」
「…っ、榎本さん」
「新選組は、この榎本艦隊の一部となった。土方君もそうだ。いいかい、これからは全体のことを考えて動くんだ。それが君たち、いや、私たちの未来を切り開くことになる」
「私たちの、未来…」
「そうだ。土方君とともにありたいのなら、蝦夷に国を作り、一刻も早く安定させるんだ。徳川様の家臣たちが安心して暮らせる国を作るために、今は個人的な思いは封をして、協力してくれ」
榎本はゆっくりと手の力を弱め、今度は両手での手を包み込む。
「通訳や翻訳に、医療まで出来るそうじゃないか。これまでの経験を活かして活躍する場はいくらでもある。あえて女子だという必要はないが、もし女子だとばれたとしても必要とされるぐらいに、君ならなれる。頑張り給え」
「…」
「一方的にこっちから話をしたから驚いただろう。だが、君ならわかってくれると信じているよ」
榎本はまた笑みを見せて、から手を離した。
その夜、は神谷と同じ部屋を与えられて眠りについた。
勝手な行動をとったことを、布団の中で今更ながら恥じた。
(国を作る…)
その言葉が重い。
(これまでの、経験…)
それを活かして、と榎本は言った。
そう、これまでもいろいろな場に面してきたではないか。
イギリス人の講師に英語を教わったり、徳川慶喜に呼び出されて通詞をしたり、薩摩の藩邸で翻訳をしたり。
戦になって、負傷者の手当をしたり。
それも皆、この時代の誰かに助けてもらい、手ほどきを受けてのこと。
手を差し伸べてくれたひとりひとりの顔が思い浮かぶ。
新選組の面々も、だ。
やるしかない。
これからのために、これまでに助けてくれた人たちのために。
心の整理をすぐにつけることは出来ないが、まずはやるべきことをやる。
頭から布団をかぶり直し、は目を閉じた。
20140912