久遠の空 ドリーム小説 一話もの Replica Christmas

一話もの Replica Christmas



 師走ともなれば皆が気忙しくなり、新たな年を迎えるために大掃除や正月の準備などを始める。
 はこの時代に来て初めての年末を迎えた。前川邸の大掃除は今年、持ち主の前川が掃除をする小者を何人か寄越してきた。 前川にしてみれば占拠されている自分の家がどうなっているのか心配で様子見のつもりだが、年明けに大坂行きが決定している新選組にとっては 余計な雑事をせずに済み、ありがたいことだった。

 が、
 「いくら小者を寄越してくれると言っても、少しは自分たちでやらないと」
 と神谷が言い出して、それぞれが使っている部屋ぐらいは掃除することにした。も住まわせてもらっている土方の部屋を、黒谷に行くまでの 僅かな時間で掃除していた。

 高いところから順番にはたきをかけ、箒でごみを集める。畳は乾拭きし、障子の桟や納戸の隅にたまっていた埃は爪楊枝で掻き出した。 掃除をしている間に布団を干し、行李も開けて中身を風に当てた。
 中身を再び行李にしまう時に、は自分の持ち物の中にある一枚の紙に目を留めた。それは暦だった。今日が何日なのかわからなくなった時に 土方に見せて教えてもらったり、自分で考えるために持っている。

 今日は何日なのかがわからなくなる一番の原因は、この時代の暦が太陽太陰暦であるからだった。元の時代の暦はグレゴリオ暦で、一年は三百六十五日と 決まっている。そして曜日も設定されているので日付が非常にわかりやすい。が、太陽太陰暦は月の運行を基にしており、新月から次の新月までがひと月である。
 月の満ち欠けの周期は29.53日である。しかし月が地球の周りを回る公転周期は27.32日で、月が巡って地球のある一点に戻ってきた時、地上から見た月の姿は 27.32日前と異なる。新月であった日の27.32日後は細い三日月で、まだ新月にはなっていないのだ。だから日付はどんどんずれていき、一定にはならない。
 そこで起こるのが一ヶ月の日にちの相違である。ひと月を29.53日と表示するわけにはいかないから三十日の大の月と二十九日の小の月を組み合わせて 一年十二ヶ月にする。この一年十二ヶ月は354.36日になるので、太陽の運行による一年の長さ、つまり地球の公転周期365.04日と合わせるために 三年に一度うるう月を設けて調整している。

 さらにもうすこし余談を加えれば、年の呼び名である元号は天皇の代替わりだけでなく陰陽道からくる慣例や不慮の災害、ひどい時には理由もなく変更がお上から伝えられる。 元号の急な変化に対応するために決められているのが干支である。十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)、十干(甲乙丙丁戊己庚申壬癸)五行(木火土金水)を 組み合わせて甲子、乙丑など六十種類の干支を元号の後ろにつけて年を表す。

 にはそれがなかなか理解できず、仕事もほぼ毎日あるために何日ごとに休みとかいうこともないので、気がつくと日付がわからなくなることが しょっちゅうだった。そのたびに土方に暦を見せて教えを請う。暦というのもまた曲者で、細かく記されたまともな暦を読むにはがまだ読解力がないし、 庶民の間に流通した絵暦は絵の一部に暦が隠し文字で入っていたりして、探すのにひと苦労である。土方にはちょくちょく聞いて悪いと思っているが、聞いてしまった方が早い。


 今日は何日だったかと思い、暦を広げる。二日前に聞いたばかりだったからと暦を辿って今日の日付を探した。その時、数日後に二十五日の日付があるのが 目に入った。
 十二月の二十五日は、元の時代で言えばクリスマスである。本来はキリスト教の教祖の生誕を祝う日だが、日本では家族で、恋人同士で、友人同士で和やかに、 あるいはひとりで静かに過ごす日に変化してしまっている。プレゼントを用意して交換したり、ケーキやチキンを食べたりする。
 しかし今いる時代には当然そんなものはない。キリスト教はご法度で、布教活動は禁止されている。英吉利語の講師ハーバーも母国では信じているが、 日本にいる間はそのかけらも見せずに過ごしている。

 クリスマスか…とは小さく息を吐いた。その習慣がこの時代にあればそれを口実に、世話になっている土方や斉藤に食事や贈り物といったお返しが 出来るのに。誕生日も祝うことなく皆が新年に一斉に年を取る。要するにイベントらしきものがほとんどないので、少し強引にでも感謝の気持ちを表す機会がないのだ。 何も持たずに現れ、何も返すものがないことをはいつも気に病んでいた。


 は掃除を終え、勉強道具を入れた風呂敷包みを抱えて黒谷へ向かった。もし土方たちに贈り物をするとしたら何がいいだろう。  出来れば消える物がいい。自分がいなくなった時に痕跡が残っているのはまずい。ちょっと使えるものですぐに処分できるもの。歩きながらは真剣に考えた。

 しかし何も思い浮かばず黒谷についてしまった。英吉利語の宿坊に入ると掃除をしてから机を並べ、自分の勉強道具を並べる。静かに座って皆が揃うのを待ちながら、 授業が始まるまで贈り物について考えをめぐらせた。
 何気なしに自分の持ち物を見遣った彼女の視界に、あるものが飛び込んできた。
 あ、とは目を見開く。


 そうだ、これにしよう。


 その日とその次の日、は少しだけ遅く帰ってきた。


 二十五日当日の朝。
 京の冬の朝は凍みるように寒い。しかし明け六つの鐘が鳴れば嫌でも起きねばならない。土方は布団をめくると白い息を吐きながら起き上がった。
 隣を見ればすでには起きていて、布団がたたまれていた。姿が見えないが、身支度を整えに井戸端にでも行っているのだろうと土方は思った。

 土方も彼女がいない間に着替えを済ませ、布団を片付けた。
 が、その時に枕元に何かがあるのに気がついた。

 手に取って薄い包み紙を開けてみると、そこには小さな帳面があった。赤い地に雲母摺りの表紙がついており、中は普通の半紙。表紙の赤より一段暗い色で 四つ目に綴じられていた。それと、黒い足袋が一足入っていた。

 「あ、土方さん、おはようございます」
 が部屋に戻ってきた。
 「これ何だ?」
 土方は帳面と足袋を両手にぶら下げてに見せた。
 「私からです。受け取っていただけますか?」
 は土方の顔を見上げた。

 土方たちにが用意したものは、手製の帳面だった。
 「土方さん、この前発句帳を駄目になさったでしょう? 脱走して処断した隊士の方のお姉さんでしたっけ、土方さんを刺そうとしたの」
 あれは秋口のことだった。局中法度が制定されてすぐに一人目の違背者が出て処断されたが、その後も処断を恐れた者たちの脱走が相次ぎ、四人目に 中谷久之助という男が脱走して切腹になった。その姉が敵討ちにと土方に襲い掛かり、腹に小刀を差し込んだ。が、懐に入れていた発句帳が凶刃から土方を 守り、土方自身は無事だった。久之助の姉は再度土方を狙ったが失敗して自害した。
 その場に居合わせた神谷に後から話を聞き、土方に発句帳を見せてもらったは肝を冷やした。刀の跡は発句帳の中ほどまで達しており、 刃先の鋭さを物語っていた。まさに紙一重。生と死の境目だった。着物の破れ目は神谷に繕わせ、には黙っているつもりだったらしい。
 は金戒光明寺の住職に頼み、辞書を編纂して製本した時に使わせてもらった和紙を今一度分けてもらった。前と同じように住職は快諾してくれて、 好きなものを好きなだけ持っていくようにと紙を出してくれた。は表紙になるべく厚くて丈夫な紙を選び、丁寧に穴を開けて紐を通した。もし同じような ことがあっても、また土方を守ってくれるようにと。
 そしてクリスマスと言えばプレゼントを入れるのは靴下である。しかしこの時代に靴下はないし、大人に物を渡すのに靴下に入れることはないだろうと思い、 は同じく足を覆うものとして足袋を選んだのだ。
 「足の文数が合えばいいんですけど…」
 密かに準備したので本人に足袋の大きさを聞かなかった。土方の行李を開けて確認することも出来たが、まさかそんなことで人の行李を勝手に開けたりなど できるわけもなく、だいたいの見当で買ってきたのだ。


 「俺に?」
 「はい」
 彼女が自分のために、しかも片方は手製の贈り物を。土方は内心にんまりと笑ったが、表立っては何でもない風を装った。


 「今、斉藤さんにもお渡ししてきたんですけど」
 土方が受け取ってくれてはほっとしながら話を続けた。
 「あ? 斉藤にも?」
 土方は自分だけではなかったのかとがっかりした。が、やはりそれも心の中に押し込めた。
 「足袋は左右の足の文数が違うから後で自分で交換してくるってお店の名前を聞かれて、帳面は使わないから私が使えって返されちゃいました」
 はあ、とは肩を落とした。二人とも同じくらい感謝しているから同じものを贈ろうと思ったのが裏目に出たらしい。土方には土方に、斉藤には斉藤にそれぞれ贈り物を変えるべきだったのだと反省した。

 「俺は受け取らせてもらう。ちょうど新しい発句帳と足袋が欲しかったところだ」
 彼女が項垂れるのを見て土方は咄嗟にそう言った。発句帳はともかく、足袋の数は本当は足りている。が、いくらあってもいいものだし、 自分まで受け取りを断ったら彼女が余計に落ち込むのは目に見えていた。
 「本当ですか?」
 ぱっと顔を上げてが土方を再び見上げた。
 「ああ」
 土方は自分の言葉にがほっとした表情を見せるのを見て、自分も胸を撫で下ろした。
 「あ、よかったら帳面もう一冊要ります?」
 は懐を探って斉藤に渡すはずだった帳面を取り出した。こちらの表紙は黒で、色をそろえて黒い紐で綴じてあった。
 「いや、それはお前が使え。こんだけ分厚けりゃ使い切るまでに相当かからあ」
 土方は帳面の厚みを確かめながら言った。表紙の紙も厚いが中身の枚数も相当ある。前の発句帳の倍はあろうかと思われる量だ。
 「わかりました。またご入用の時にはお声掛けてくださいね。すぐお作りします」
 「これがすぐいっぱいになるぐれえ句作するほど暇じゃねえよ」
 「そうですね」

 土方はじっと赤い帳面の表紙を見つめた。
 「しかし急にどうした? こんなもん寄越すなんて」
 「え…別に、何でもありません」
 「嘘だな」
 「…すみません、嘘じゃないですけど、えっと…元の時代の風習で、今日は親しい人に贈り物をする日なんです」
 どうせ宗教的な意味など薄れているので、はキリストの聖誕祭だということは言わずにおいた。
 「親しい人か」
 「あ、ごめんなさい、馴れ馴れしいですよね、許嫁がいる方に向かって」
 は他意はないということを言いたかっただけなのだが、彼女の台詞に含まれた一言に土方は眉間に皺を寄せた。
 「お前、本当にしつこいぞ。許嫁の話はするなっつってんのに。俺はあいつと一緒になる気はさらさらねえんだ」
 「でも…」
 「うるせえ」
 土方は素早く腕を上げると、の額をぴんと指で弾いた。
 「いたっ」
 は額を押さえた。


 「…俺からは何もねえぞ」
 土方は帳面を懐にしまいながら言った。
 「はい」
 は頷いた。自分が一方的に贈りたかっただけなので、受け取ったもらえただけで満足だった。


 「土方さん」
 「ん?」
 クリスマスツリーがなくても、イルミネーションがなくても。
 やはりこの言葉を言わねばクリスマスではない。
 は土方の耳元に手を当てて囁いた。


 「…Merry Christmas」


 「あ? 滅入り苦しみます?」
 「違いますよ」
 土方の聞き間違いには思わずぷっと噴き出した。
 「何だ今の、どういった意味だ?」
 「それは内緒です。あ、朝餉持ってきます」
 は土方からさっと離れると朝餉を取りに台所へと向かった。


 その後土方は食事をしながら滅入り苦しみますの意味をにしつこく問うた。が、はうまくはぐらかしてさっさと食事を終えて黒谷へ出かけていった。
 土方がこの言葉の本当の意味を知るのは、ずっとずっと後の話である。







参考文献:
中学理科の攻略☆りかちゃんのサブノート ttp://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/
『大江戸ものしり図鑑』 花咲一男監修 主婦と生活社 2000年




 20081223 Merry Christmas to you all.


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